土地の力、言葉の力 ……小野裕三
縦組10句は→こちら
ニューヨーク
五月雨がマンハッタンの底にたどりつく
国際線機内
月光のやがて聖徳太子かな
ギリシア
ギリシア人夜の魚を食べにけり
パリ(空港)
水力で灯されているエアポート
ハワイ
ペーパーバック海の匂いの信号機
カナダ
オーロラの家たくさんの鍵を持つ
広州
竹の秋象は裸足でやってくる
北京
前門の虎の大きな熱帯夜
ミラノ
工場の影に力のある月夜
バンコク
フラスコの影が連なり囀れり
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海外詠は僕にとって大きなテーマのひとつ。ここに挙げた十句は、八句までが句集『メキシコ料理店』(角川書店)に収録したもの。時期的には二十代半ばから三十代後半までの十数年に跨っている。特にギリシアは新婚旅行の地でもあり、前後の句もその新婚旅行時の機内や乗換空港での句なので、思い出は深い。
それでも、どこの場所でもうまく句ができるというわけではない。この句を作った期間には、実はチェコ(プラハ)やアイルランドにも行ったのだが、そこでは結局いい句ができなかった。両方とも好きな土地なので、そこで句ができなかったことはとても残念な気がする。
いや、実はそれ以上に残念なのは、学生時代から俳句をやっていなかったことだろう。大学時代、バックパックを背負ってアジアとアフリカのいろんな国をうろうろしていたことがある。そのときの写真も、あるいはさまざまな記念の品も、あるいは日記も、まだ大切に保管している。だが、どんな記念品も、一句が持ちうる言葉の力にはかなわなかったのではないか、と、最近そんなことを痛切に感じる。
その場の雰囲気、その時持っていた思い、出会った土地の力、出会った人の力――そんなものが交錯してふっと一句の姿になって現れる。インドの寺院で、バリ島の森の中で、シンガポールの夜の路で、ネパールの山の上で、バオバブの木々を抜けるアフリカの鉄道の中で、どうして俳句を作っておかなかったのか、今となっては大きな心残りではある。自分の手で作った、その一瞬にしかありえなかった言葉の力を、見たかった。
言葉は土地の力を宿す。というか、宿しうる。いや、言葉だけに限らない。音楽や絵画もおそらくは同様だ。そんなことを思ったのは、その学生時代の旅行から帰った時だった。ユッスー・ンドゥールという西アフリカ出身のミュージシャンの「バマコ」という曲を聴いた。バマコは西アフリカにあるマリ共和国の首都なのだが、その曲からは、その町が持っている独特の匂いが強烈に立ち上り、まるで目の前にその町の姿がまざまざと現れてくるかのような思いがした。これは僕にとって驚きの体験だった。音楽が土地の力を運んできている――その時、まさしくそう感じた。
そして、きっと僕の海外詠はその時の夢をずっと追いかけている。言葉が、土地の力を運ぶ。その瞬間を、いつも探している。
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