『五七五定型』最終号を読む
西原天気
小池正博と野口裕による『五七五定型』第5号。2011年12月1日発行。本文56頁。5号限定で創刊されたので、この号が最終号。
小池正博「川柳の近代」は川柳と銘打ちながらも、広く定型文芸の近代小史のおもむき。近代=詩を取り入れる過程という視点は、俳句にも深く関わります。
「近代精神」「近代的な内面意識」は「私」をいかに表現するかにかかっている。(…)近代川柳においては「私性」と「詩性」が同義に受け止められたふしがある。断章がゆるやかにつながるスタイルをとるこの記事では、キーワード的な扱いの「かなしみ」へ、さらに西脇順三郎の言う「アイロニー」へと話題が展開します。
(中野重治の詩「真夜中の蝉」を引いて)「実に馬鹿だ」という否定・あるいは自己否定の中に批評性がある。日本的感動の根本である「かなしみ」は超克され、詩は批評性や社会変革へと向かうようになったのである。
野口裕「矛盾」は、情報の送り手と受け手という側面から俳句を捉えます。
もし発話者の発する情報のすべてが矛盾なく連なっていることが最善なら、大方の神話・説話の類いの価値はほぼ消えてしまうだろう。矛盾を乗り越えて見いだされるもの、あるいは矛盾あるからこそ光り輝くものの発見こそが読み手としての醍醐味ではある。ただし、この場合の「矛盾」が実際の句に出現するときの相は、当記事においては、《滝の上に水現れて落ちにけり》の「滝」と「水」から、いわゆる二物衝撃(取り合わせ)まで幅広く捉えられ扱われ、理路を追うという意味で私にはやや手強い。
「川柳の近代」「矛盾」ともに、重大なテーマへと、軋みつつ(というのはつまり単純化を避け含意を凝らしつつ)接近するといった感じです。
要領を得ない紹介ですが、関心のある方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。残部があるかもしれません。
なお、小池、野口両氏の句も100句ずつ掲載(50句作品×2)。気ままに引いておきます。
蜃気楼紅い田麩がちょんと乗る 野口裕
月面をピザカッターが走り抜ける 同
鰯雲アイネクライネちんどん屋 同
名刺来る無声映画の雨連れて 同
帚木の中のドアさえ揺れている 同
人形の家を訪ねて将棋指し 小池正博
雅楽の最中に変な音がする 同
戦争に線がいろいろありまして 同
芋煮会における四人の人格者 同
次々と裸体を晒す空爆機 同
●
0 件のコメント:
コメントを投稿