○○○○のあれでどうして・・・・・
嵯峨根鈴子
電飾寒し人を待つ人ばかり 原 雅子
クリスマスも近い頃だろうか。大都会のイルミネーションに照らされて沢山の人が立っている。「人を待つ人ばかり」とはみんな誰かを待っているのだ。作者もその中の一人かもしれない。句跨りとも相まってちょっと狐につままれたような表現が面白い。煌びやかな電飾がより大都会の寒々しさ、淋しさを語っている。
冬の夜のバス身震ひをして止まる 髙勢祥子
「身震ひをして止まる」がまるでエンジンが事切れてしまったかのような不安を誘う。こんなところで止まちゃってもう二度とエンジン掛らないんじゃないの?とも受け取れるではないか。昔はよくこんなことがあって何時間も待たされたものだった。「真冬日をバスは二時間来ぬつもり」(櫂未知子)と言うことにもなりかねない。
生きのびてセーターやはり黒選ぶ 渋川京子
生きのびてと言うからには、それほど若くはない作者だろう。戦後の混乱か、災害に遭遇したか、生活苦か、男運のことか、ともかくもここまで生きのびてきたという感慨を滲ませている。その究極の選択が「セーターは黒」ということだ。ところで黒という色は難しい色だ。私には、黒自体が気難しいのだと思える。地味なようで黒ほど饒舌で派手な色はない。誰にでも似合うという色ではない。若いころ黒を着こなすにはそれなりの力が要ったのだが、力を用いなくなったころから似合いだすような気がするのだが・・・。そこのところが「やはり」であろう。
ああこれも中古の夢瀧涸るる 山田露結
夢の中で、この夢は確かに一度見たことがあるとはっきり認識することがあるが、それが作者にとっては「中古(チュウブル)の夢」というやや古風な表現になった。涸れ切った瀧が夢の真ん中にズドンと現れる。また巻き戻しては同じ涸瀧が現れるのだ。しかし夏がくれば大きな緋鯉が遡る大瀧となって、襦袢の裾模様ともなれるのだからすごい!!!
誰も見ぬ喫茶のテレビ冬ぬくし 小野あらた
誰も見ていないのに電気の無駄ではないかなどと考える人などここにはいない。窓の内側はほこほこして、冬の太陽はとてもエネルギッシュで熱いのだ。しかし真昼の喫茶店で作者は一体何をしているのだろうか?アンニュイを気取っているとは思えない。そこのところが妙に不安だ。
寒鯉のあれでどうして解っている 岡野泰輔
「○○○○のあれでどうして○○○いる」と言う俳句の容れ物があるとしよう。あなたならなにを入れてみる?と問われた訳ではないが、お手上げというのもなんだしと言うことで「海鼠腸のあれでどうして哭いている」。
花石蕗に日の差してゐる歌謡曲 太田うさぎ
明りや日差しと共に詠まれることの多い石蕗の花であるからここまでは定番の出だしである。下五でうーんそうくるか!と唸らされてしまった。しもた屋風のちょっと湿っぽい坪庭に咲いてるあの癖のある黄色の花に陽が差して、部屋は一段と暗いのだ。ラヂオから洩れるのは「港の見える丘」なんてどうよ。うさぎさんには「捨ててあるものに秋日が殺到す」などと言う句もある。
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