2012-01-15
林田紀音夫全句集拾読198 野口裕
林田紀音夫全句集拾読 198
野口 裕
赤い月の出踏絵の切なさを溜め
昭和五十三年、未発表句。昭和五十七年「海程」に、「赤い月の出誰か幾人かが過ぎて」。未発表句と発表句の年月が離れているので、無関係とも考えられるが、その間に「赤い月」の句はない。「赤い月」に何らかの思い入れがあって、書き換えてみたと想像できる。それを推定する手がかりとして、未発表句の「踏絵」は格好の材料を提供している。
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身に触れて盆提灯の揺れすこし
昭和五十三年、未発表句。わずかな接触が、誰かに肩を叩かれたかのように感じ、盆提灯の揺れを見ながら思い出にふけっている。景の描写だけでそれを感じさせる。盆提灯という季語が、季語としてよく働いている。有季定型句の典型的な成功例。こうした佳句を発表せず封印してしまうところが、無季作家の矜持でもあったのだろう。
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納骨の手を出して雨確かめる
昭和五十三年、未発表句。室内から戸外を確認した動作が含まれるので、墓に骨を納める場面とは考えにくい。骨を骨壷に納め終えての何気ない動作をとらえた句。無理に季語を省いたような不自然さがない。前項の盆提灯と納骨の句を等価で並列するところが自然体の林田紀音夫である。
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電線を走らせて野のきらびやか
昭和五十三年、未発表句。野が身につける装身具のように電線がある、というわけだが、納得する人と首をひねる人に分断されるだろう。「きらびやか」という断定がなければ句にならないだろうし、といって価値観の押しつけと感じる人を納得させることはできない。納得する側に身を置けば、鬱陶しい物としか思えなかった電線がにわかに輝き出す魔法にかけられたようではあるが。
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