林田紀音夫全句集拾読 256
野口 裕
日脚伸ぶ海への階を踏むしじま
昭和六十三年、未発表句。防波堤を越えて、砂浜へ出るところか。しじまとあるが、実際には波音があり、自身の足音もあるだろう。しかし、意識の中でそれらは捨てられている。歩行の体感のみがあり、それを支えるのが夕暮れには遠い日の光なのである。砂浜を散策する時間がまだ少しある。そのことに対する感謝の念さえ湧き上がりそうだ。
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紙雛の立ちたる宵の手くらがり
昭和六十三年、未発表句。雛とくらがりの相性の良さを素材とする句は、紀音夫ばかりではないだろう。ここでは「手くらがり」とすることで、アクセントを付けた。闇を認識する作中主体の意識は、手のない紙雛へと向かう。ただ、宵をかつての紀音夫ならば、「戦争」や「戦後」に置きかえただろう。すでにその視点は薄れている。
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水鳥に樹に茫々と時流れ
昭和六十三年、未発表句。終の棲家を定めた者の心境だろう。何を見ても過ぎ去った時を感じてしまう。焦燥・不安といったマイナス要素が皆無の点がかつての句と異なる。
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木瓜咲いて三日月の夜の薄明り
昭和六十三年、未発表句。「青・四〇〇号」の詞書。「青」といえば、波多野爽波のところだろう。創刊が昭和二十八年だから、勘定も合う。しかし、この句から推し量ると、「青」に対してあまり良い印象を持っているようには見えない。誤読だろうか。
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