【八田木枯の一句】
月光は箒のごとくあわただし
太田うさぎ
『八田木枯全句集』の末尾には初句索引のほかに季語別索引の項が設けられている。凡そ全集とはそういうものなのかどうかは知らないが、個人歳時記のように使えて季語別の索引は便利だ。どの季語に対してもほぼ同数の例句を並べる一般的な歳時記と違い、個人全集の季語別分類は当然ながら句の数はまちまちで、作者の嗜好を知るよすがともなるから面白い。
どの季語が多用されているかざっと調べてみた。1985句のなかで断然トップを占めているのが「雪」で62句。そのおよそ半分は『汗馬楽鈔』に収められており、『鏡騒』では1句のみ。次いで多数を誇るのが「月」35句となる。雪と対照的に月の句は『汗馬楽鈔』には見当たらず、晩年の二作『夜さり』『鏡騒』に集中している。3位に控えるのが「春」31句、同点4位で「花」と「鶴」が28句ずつ、そして5位「障子」21句。なんというか堂々たる雪月花ぶりだ。
月光は箒のごとくあわただし 八田木枯(『夜さり』)
そんなわけで九月に入ったことでもあるし、二位にランクインの月の句を取り上げてみることにした。
月の句が最も多い『鏡騒』の中でも半数以上の季語が「月光」なのだが、その光は、〝けしかける〟ものであり、〝皿を咬む〟ものであり、〝釘ざらざらと吐き出〟すものであり、〝ちくと刺す〟ものとして描き出される。暴力性、或いは嗜虐性を帯びた輝きと言えようか。
一方、この句はかなり趣を異にしている。
月光が慌ただしいとはどういうことなのだろう。「だるまさんが転んだ」遊びのように見上げるたび夜空に身のおきどころを変えている月の忙しなさか。それとも、風が強い夜などに雲がつぎつぎと月影を過っていく様なのか。わからない。「慌ただしい」という言葉を見出して、使ってみたら存外嵌った-もしかしたらそんなところかもしれない。窓から差し込む月の光がサーチライトのように机上を行ったり来たりする、というイメージを浮かべることも出来る。現実的にはありえないけれど、世の中には言ったもん勝ちということもある。
さて、サーチライトではなく箒、である。
慌しさを直喩するに箒を持ち出すのは凡庸だが、その喩えられた主体が月光であれば非凡なレトリックとなる、とも言えるのだろう。
然しながら、作者には非常に不本意だろうことは承知の上で地金を出すわけだが、私はアレを連想せずにはいられない。そう、「おーでかけですかー?」のおじさんを。レレレのおじさんが決して手から離さない箒が月光なら、流れ星は目玉のくっついたおまわりさんのぶっ放した流れ弾か。夜空を舞台にちょっとタルホチックなバカボン劇場を妄想的に展開させたりもするのだ。
この句は『夜さり』までの五句集からの自選138句に含まれている。それだけの自信と思い入れのある句なのに赤塚不二夫の漫画を持ち出すとは困ったものだ。
それでいいのだ!!と誰か言ってくれないかしらん。
0 件のコメント:
コメントを投稿