スタートライン
対中いずみ
第497号・第498号、堀下翔まるごとプロデュース学生特集号を面白く拝読した。堀下氏は、「こんなに甘やかされて若手は大丈夫なのだろうかと僕自身心配なのですが」と前置きしつつ、全国の学生俳人たちを網羅して紹介して下さった。
「甘やかされて」、とは、学生という篩いだけで作品発表の場を与えられることへの恥じらいかもしれない。マラソン中継などでも、スタートラインには大勢の顔が並ぶ。誰もが目を輝かせているが、数十分も走ると、やがて先頭集団ができてくる。そこから、入賞を狙う人はさらに絞られ、ゴールテープを切る人はたった一人だ。どの世界でも何らかの篩いがかかる。息長くつづけることも、良き指導者や仲間に恵まれることも、日頃の鍛錬を欠かさないことも、たくさんのことが必要になってくる。
混ぜるたび湯気新たなる茸飯 野名紅里
ご飯が炊きあがった。甘辛く煮た具材と混ぜ合わせる。そのたびにほこほこと湯気が立つ。ただそれだけのことだけれど、その目でたしかに見て、その五官でたしかに感じている。
だから、読み手は追体験ができてすこし幸せな気持ちになる。
水澄みて口笛吹けばそれも澄む 野名紅里
秋に入り、気温が下がってくると、空も空気も水も澄んでくる。水が澄んでくるとこちらの気持ちも澄んでくる。口笛の音色も澄んでくる。夏の暑さから解放された気持ちの良さが素直に詠まれている。
消化器の剥き出しにある文化祭 野名紅里
学内の一景。何かの事故に備えてところどころに配置されている消化器。俳人の目は、いつもと違うモノの出現に敏感だ。
月光を知る公園のかたちかな 野名紅里
こちらは月の光を得てはじめて感じ取った公園の姿。昼間とは明らかに違う輪郭なのだ。夜の闇と月光がなせる技を、俳句という短い詩にのせて掬い取って見せてくれた。
朝寒や植物園にそつと鳥 野名紅里
植物園にはけっこういろんな鳥が来るが、主役はあくまで樹木や草花。だから「そつと鳥」。ここに「朝寒」の季語を置けること、しなやかな感性だと思う。「そつと鳥」の措辞はタイトルにもなっているが、初々しく可憐。
この作者は、季語そのものを詠もうとしている姿勢が清々しい。安易な見立てや言葉つきだけで一句を仕立てようとしていない。言葉以前に、一句の芯になるところの把握がある。それはささやかな発見であっても貴重なことだ。その把握や発見が、句の質感となり、鮮度となる。ほんの少しの違和や差異を見止める目があることもいい。平明であるが類型をわずかに抜け出している。作者がほんとうに感じたことを詠んでいるからだろう。良きスタートを切っておられると思う。
第497号 学生特集号
第498号 学生特集号
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