降る雪や
吉田竜宇
降る雪や二二六百で割ることの 岩城久治
歴史上の事件や天災地変を詩歌にすることは古来よりの常套だが、そこに個別の事件名を詠み込むことは、よほどの手練が求められるに違いない。壇ノ浦や原爆などはむしろ使いやすいのだが、3.11や9.11など、こういった日付で語られる事件は、教科書に載るくらいなら良いにしろ、詩語としては格が下がる。政治的な文脈が顔をのぞかせがちなのもくさい。初学の頃なら、屈託なくつかってみることも構わないけれど、何事かの芸を高めようとする上では、事件の日付を盛り込むのは無理筋であろう。
226を100で除算すれば2.26であり、これは二・二六事件を詠んだ句である。しかしここでは、事件の内容や、それに由来する悲喜交々は一切語られない。ただその名称がぽつんと示されているだけで、そのことがなにかを雄弁に語っている、などとはとても言えない。皇道派の激情、天皇の苦悩、やがて訪れる大戦争、すべてを隠して雪は降り、歴史上の事件として教科書に載り暗記されるだけのものとしての、単なる名称が残される。扱う手つきも雑で、事件とは無関係な計算の結果たまたま現れた数字を、暇だからはじいてみましたというような、そんなぞんざいさがある。
割るところの100は単なる切りのいい数字であり、また同時に日本史の100年でもある。一年々々、雪はさまざまに降ったであろうし、どこかの誰かにとって、それは忘れ得ぬ雪となったであろう。しかしこの句においては、百年がその一語として纏められ、あの日、あの日本史の夜の時間、もはや歴史の一部となったあの雪を召喚するための供犠に捧げられている。
そしてその当の事件でさえ、単なる計算の結果、かろうじて名が瞬いているに過ぎないのだ。この手際を俳諧と言わないのなら、月を青いと指しても間違いではない。
俳句において降る雪や、とくれば当然、明治は遠くと続くであろう。昭和6年の作である。内乱は昭和11年に起こった。それから80年と少し、もうすぐ平成も終わる。陛下のお望みとあらば否やはない。掲出の句は今年2017年2月はじめの句会で見た。京都北白川の消防団詰め所で、破の会といい、作者の岩城氏は欠席投句であった。雪が降らないでいるのも不思議なほど寒い夜で、会が終わって河岸を変えようとするわたくしたちは、明日の天気を心配することで間をつなぎながら暖かい場所までを歩いた。その晩に雪は降らず、舞う鳩もおらず、鐘も鳴らなかった。処刑の銃は演習の砲声に紛れた。ニイニイロク、ニヒャクニジュウロク、わたくしたちの自由になるのは言葉ばかりである。百周年は新元号の18年に来て、それは辰年に当たる。
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