【俳苑叢刊を読む】
第16回 片山桃史『北方兵團』
戦争という日常
竹岡一郎
第16回 片山桃史『北方兵團』
戦争という日常
竹岡一郎
「北方兵團」は、片山桃史が昭和12年、日中戦争に応召された時の、いわば俳句による記録。尤も、「戰爭以前」と「戰場より」の二部に分けられ、句集のほぼ半分は戦争以前の、平時のモダンな句である。句集の題は、「戰場より」中の
北望すれば北方兵團の眼玉
による。この直前に「南京陷つ輜重默々と雨に濡れ」とある。昭和12年12月、南京陥落の際、日本中が戦勝の喜びに湧き、東京では奉祝の提灯行列が40万人に達したという。桃史の部隊が南京陥落の際、その場に居合わせたかどうか定かでないが、少なくとも大陸の戦場には居た。掲句においては輜重(しちょう)、即ち、食料品、武器、弾薬等、長い行軍に必要な諸々の物品、それらを運ぶ輜重兵たちが黙々と雨に濡れている。(或いは桃史自身も輜重兵か。)桃史の眼玉が見た風景に、勝利の興奮も正義の確信も反映されてはいない。ただ沈黙と重荷に満ちている。それが現場の目線であろう。「黙して」ではなく、「黙々と」と、中八にしてまで表したかったのは、蜿蜒と続く隊列の沈黙、この先も蜿蜒と続くと予感される沈黙の行軍だ。
「北望」の句に戻ると、北を望んでいるのは桃史だろう。では、北方兵団とは何か。南京陥落の直後だから、敵部隊とは考えにくい。自分たちの部隊よりも北方に居る味方の部隊か、桃史の属している部隊か。もし自分たちの部隊なら、桃史は部隊の只中にありながら、第三者(いわゆる神の視点か)のように、自分も含めた部隊を眺めていることになる。もし北方に居る部隊を眺めているなら、それはやはり日本の軍隊の動きを遠望しているに等しい。
なにもない枯原にいくつかの眼玉
「斥候」と前書きのある掲句は、枯原を行く斥候の眼玉とも、また斥候が発見した敵兵の眼玉とも取れようが、前書きを外すと、空虚な枯原に眼球だけが、てんでバラバラに転がっているような印象を受ける。戦争の中でじっと瞬かない個人たちの眼だけを描いたようにも見え、その方がこの句集の本意に沿った読み方のような気さえしてくる。なぜなら、この句集は、聖戦賛美とも戦意高揚とも程遠いと思われるからだ。その代わりに、先の眼玉の句に象徴される如く、能う限りの客観性を以て戦争を描こうとしたのではないか。
「北方兵團」の序に、桃史は言う。
『戰場俳句に於ける僕の射擊は激情の速射を戒しめ、距離の測定、照準の正確、引鐵を落す指先ばかりに囚はれたため、彈著は槪ね對象の足許で土煙をあげた。本當はそれらを統べる精神の問題だつた。俳句と云ふ銃に裝塡される激しい作家精神の彈は、射擊敎範に云ふ「暗夜に霜の下りる如く」狙ひ擊つとき對象の心臟部を強く貫通するに違ひない。』
一見、聖戦に従事する兵の本分に忠実な印象を受ける。しかし、桃史の正直な「作家精神の彈」は時代のどんな制約も受けずに、「對象の心臓部」、つまり、この句集においては、「ある特定の国家に属する兵」という立場抜きに、戦争という人類普遍の本能を貫通し暴きたいと欲する筈だ。そして貫通した結果が、この名句集なのだと思う。
この頃、大陸へ赴いた兵隊の感想を聞いたことがある。「戦闘よりも行軍の方が辛かった。戦闘が始まると、地面に臥せられるので、ほっとした。」この句集でも、同じような感慨が見受けられる。
冷雨なり眼つむり步く兵多し
秋風よ追擊兵は疲れたり
行軍中、あまりの疲れに歩いたまま眠っているのだ。「冷雨」が容赦ない置き方だ。二句目では、「秋風よ」という呼びかけが切ない。「追撃」と勇まし気な言葉であっても、その実態はひたすら歩いてゆくのだろう。風にでも呼びかけるほかなき疲れだ。
我を擊つ敵と劫暑を俱にせる
正直な感慨だろう。「不倶戴天の敵」というが、戦場で撃ち合うのは相手に恨みがあるわけではない。兵の義務だから、撃ち合い、殺し合う。あちらも暑いだろうと思い、敵兵と俱(とも)に炎天を戴き、奇妙な幻の共感をふと抱くのだ。
空爆の衝動快く憩へり
味方が敵を空爆しているのだが、それが勝利の幻想を抱かせるわけでも敵への憎悪或いは憐れみを掻き立てるわけでもない。敵が空爆されている間は、休める。神経を尖らせることも引鉄を引くことも無く、物陰に隠れて只休める。休める事が何よりありがたい、それだけだ。
「空爆の衝動」とは、空爆によって五感に突き刺さる衝迫、大気の振動であり地響きであろう。それすらも快い。束の間の休息を保証してくれるからだ。果てもなく行軍してきた兵士にとって、戦争は日常だ。
彈ひとつ壁刺ししのみ長閑なる
ここでは、そんな日常が皮肉に詠われている。平時なら、只一発の弾で忽ち非日常だが、ここでは一発程度の弾は、のどかな部類に入るのだ。
一線は射ち我れ飯を喰ひ梅を嚙む
一線では戦闘が行われている。作者は、そこから少し下がった所に居る。「衞生隊」という章にある事から、作者自身はこの時、衛生兵なのかもしれない。いつ負傷者が出るかもしれないし、いつ呼ばれるかもわからない。何よりも、一線がこちらへと下がってくることだってあり得る。ともかく眼前の飯を喰ってしまわねばならない。梅を嚙んだのは、慌てて種を嚙み砕いてしまったのか、それとも少しでも栄養を取るためにあえて嚙み砕こうとしているのか。戦友が戦っているときに自分は飯を喰っているという黒いユーモアだが、作者のひそかな罪悪感も含まれているだろう。
「戰場の動物たち」という章に「豚」と題された句がある。
食ひあかずかなしきかなや天に風
眼前の豚を詠っただけではなく、いつも飢えて行軍している自嘲でもあろう。風ならば飯を喰わなくとも良いので、自由に天までも行ける。同じ章に「驢馬」と題された句、「愚かなる瞳(め)は戰爭の拔けし孔」と合わせ読む時、戦争という行為に絶えずかきたてられる人類の一員としての自嘲かもしれない。「黃天」の章にある「死の夏天驢馬に愚かな縞ありぬ」も同じ感慨であろう。
葬り火か飯を焚かむと來て禮す
戦友を火葬しているのだろう。それとは気づかずに、飯盒を火に掛けようと近寄った。「禮す」には哀悼の意の他に、自らは生き延びて飯を喰う事への、死者に対する恥じらいが含まれているだろう。
「冷雨なり二三は遺骨胸に吊る」の句から、火葬した遺骨は兵士たちが可能な限り持ち歩いていたと思われる。
胃を照らす月光圍りには寢息
腹が空き過ぎて眠れぬのだ。月光は我が胃の空洞を照らしているようにさえ思えてくる。個人の飢えを照らしているのだ。周囲はみんな寝息を立てている。この状況で「胃を照らす月光」と洒落たことを言える作者を眠らせないのは、肉体の飢えだけではなかろう。
次の句はいずれも「戰爭以前」に収められた句である。
タイピストすきとほる手をもつ五月
透明な紅茶輕快なるノック
雨がふる戀をうちあけようと思ふ
雨はよし想出の女みな橫顏
本当は、澄んだもの、優しいもの、清純なるものに精神が飢えているのだ。戦闘も取り敢えず果て、皆が寝静まった夜中、澄んだ月光に照らされて、美しい数々が浮かび上がる。大陸でも日本でも、同じ月光であろう。雨が降ればよいのに、と密かに思ったかもしれぬ。
擔架舁けりちきしやう狙擊してやがる
軍醫の灯つゝしみぶかき手に蓋はれ
水を欲(ほ)り重傷者なりやるべきか
水欲し亢奮の掌にのみこぼす
いずれも「擔架中隊」という章の句。担架を支えている最中も弾が飛んでくる。弾を潜り抜け、何とか味方の陣に転がり込む。軍医の傍らで、指図のままに灯を手で覆い、或いは灯の方向を調整している兵の、困惑と冷静さと沈痛な面持ちを「つつしみぶかい」と表現している。戦友は水、水と呻く。「やるべきか」とは、腹に被弾しているのか。もし腸が裂けているのに水をやれば、死ぬ。だが、やらなくとも死ぬかもしれぬ。末期の水と思って、渇きを癒してやるべきか。結果、水は与えられたのだ。「亢奮の手にのみこぼす」という表現に、負傷兵の切迫した息遣いが顕れる。
雷雲の上に臥しなほ擊ちあへり
もりあがり地平のしかゝりくる苦熱
超現実の描写がなされているが、実感だろう。一句目では、砲撃か空爆の地響きが、この身にとっては雷雲そのものの上に臥しているように伝わるのだ。二句目では、爆風が土煙が、地平の起き上がり我が身へとのしかかるように熱く、息を詰まらせるのだ。
穴ぐらの驢馬と女に日ぽつん
女は唯一残った財産である驢馬を連れて、穴ぐらに避難していたのだろう。陽が差し込む程度だから、隠れるには浅すぎる。「ぽつん」とは、女の、明日の見えない心でもあろう。
殺戮の涯し風ふき女睡れり
殺戮の漸く果てた後で、硝煙や血や呻きの匂う風の中で、女はひと時の眠りに落ちる。疲労が限界に達したゆえの眠りであって、安らかでもないし深くもない。
暴河かの一點の灯に棲む人は
氾濫の多い河の向こうに棲む人も、やはり不安な夜に、希望とはとても言えぬ灯をともす。こちら側から見れば、あえかな一点に過ぎない。「暴河」の語には河の氾濫のみならず、戦争の暴虐も重なるだろう。
ここに詠われる人々は、作者の味方側ではない。大陸の、いわば敵側の民である。敵味方や正義という概念を超えて、見知らぬ一人の女を、誰のものとも知れぬ一灯を思っている。帝国でも軍でもない一個人として、同じく一個人の抱えている不安と絶望と一時の休息に寄り添っている。だからこそ、次の句群で作者は儚い希望を詠う。
難民の駱駝秋風より高し
天上に颶風童女を載せ駱駝
駱駝の上が秋風より高いのは実景のように見えて、実は作者の密かな願いである。二句目では、童女(当然、難民の子であろう)は、駱駝ごと大風に乗り、天上を馳せる如く見える。そうあって欲しいと祈る作者には、罪責感情があるだろう。どうしても兵になりきれない桃史である。
うすあかうほとりは春の唇死ねり
死んだのは戦友だろうか。或いは敵の兵士か。民間人の女子供かもしれない。死せる唇以外、時間も場所も状況もおぼろげだ。「うすあかう」とは暁なのか、夕暮れなのか、それとも地の色か、或いは飛び散り沁み込んだ血か。
「ほとり」とは、「我が身のそば」の意かもしれず、「大河の水際」の意かもしれず、「片田舎」の意に取れば「都(東京)から遠く離れた戦場」の意かもしれず、或いは「極み」と取れば、「戦闘の果てにおいて」の意かもしれない。
死ぬのは「春の唇」、笑ったり食べたり言葉を発したり口づけたりする器官だ。「春」というからには、まだ若い唇が想起される。死の、取り返しのつかなさを、茫洋と抱きしめているようだ。
ひと死ねり御勅諭を讀む日課なり
御勅諭とは、「軍人勅諭」だろう。「日課」とあるから、兵の義務として課せられた口誦の景かもしれない。それとも束の間の個人的な時間に、国家の兵とは何か、その本質を、勅諭の悲愴な文体から探ろうとしているのかもしれない。
「ひと死ねり」の際に読み、想い湧き乱れる箇所は、「世論に惑わず政治に拘らず只々一途に己が本分の忠節を守り義は山嶽よりも重く死は鴻毛よりも軽しと覚悟せよ」ではなかったろうか。いずれ自分も無残な死を遂げるかもしれぬ、その時の為に「死は鴻毛よりも軽し」と、日々己が心に叩き込まなくてはならぬ。しかしそれならば、
ひと死にて慰問袋の獨樂まひ澄む
ひと死にて色盲の子の圖畫とどく
氣輕に死に一箱の煙草匿(かく)しゐき
これらの死の状況は、御勅諭の外にある。御勅諭を以て納得する事の出来ぬ死である。鴻毛よりも軽く、気軽に死んでゆく兵の、一箱の煙草に託していた密かな休息よりも、御勅諭はかけがえがないのか。遥か故郷から海を渡り来て、眼前に舞い澄む独楽よりも、御勅諭は清らかであるのか。色盲の子の描いた、全面戦争へ傾いてゆく世相を体現したような色の図画よりも、御勅諭は切実であるのか。
黃天にキリストのごと落伍せり
行軍について行けなくなった瞬間であろうか。或いは、落伍したのは友かもしれぬ。自らであれ、友であれ、行軍からの落伍者を敗者とは視ず、キリストと観たのだ。(キリストは、勝者こそが正義である糞のような世の只中にあって、勝ち負けという二元対立を遥かに超えて輝く義か。)つくづく軍隊に向いていない作者だ。
この「キリスト」の句の直前には、「いつしんに飯くふ飯をくふはさびし」と、動詞の繰り返しの句が置かれ、直後には「旗をふり旗をふり城壁より墜ちし」と、同じく動詞の繰り返しの句が置かれている。生きるため喰う事を反復する句と、死に至るまで正義の旗を振り続ける句の間に、キリストは挟まれているのだ。この配置に秘められた作者の眼差し。
「戰爭以前」にはこんな句がある。
雨ぬくし神をもたざるわが怠惰
紫雲英野をまぶしみ神を疑はず
蝶ひかる風ふき神は寢たまへり
行軍中には次のような句を作っている。
叱られて叱られてありたりし神よ
花の上に神々を見失ふ勿れ
「戰爭以前」よりも神の立場は一層切実となっているように思える。「哀悼」という章の冒頭に置かれた、この二句の後に、先に挙げた「ひと死にて慰問袋の獨樂まひ澄む」「ひと死にて色盲の子の圖畫とどく」が置かれている。
「叱られて叱られて」は、童謡「叱られて」(作詞・清水かつら、作曲・弘田龍太郎。大正九年四月、少女雑誌「少女号」に発表)の冒頭部分をそのまま思い出す。戦後に至るまで人口に広く膾炙している歌だ。小間使いや子守として遠く奉公に出された子供たちの哀しみを詠った詞で、桃史の少年時代には、巷に良く唄われたであろう。
「哀悼」とあるから、戦友の死を悼んでいるのだが、桃史がこの童謡の歌い出しの部分を使ったのは、桃史と同年代の兵に捧げるためではないか。陸軍の初年兵は、怒鳴られ殴られ続ける日々であった。
恐らく「叱られて叱られてありたりし」で一度、句は切れる。そのあと「神よ」と嘆くのは、桃史であり、死んだ戦友であろう。
二句目も、死んだ戦友に語りかけていると同時に、自らに言い聞かせている筈だ。惨たらしい死を遂げた友に、せめて花という慰撫を捧げている。「神々を見失ふ勿れ」の意味を、「神」という語から本来想像されるべき、優しく穏やかな気高い雰囲気に即して思い、かつこれが戦場から発せられたと考える時、胸が詰まる。
(「神」の二句により死者の童心を、「ひと死にて」の二句により遺児の童心を描き、二つの童心を並列させることにより、戦争から死者を解き放とうとする、桃史の祈りも読むことが出来よう。どちらの童心もあまりに哀しい。)
戦場においても神を見失わなかった桃史が、「燃ゆる街」という章において記した句群を、ここでどうしても挙げねばならぬ。(無念を詠うとは、むごたらしさを詠う事か。多分、そうだろう。では、無念に寄り添うとは、怨念を背負って立つ事か。)
生きの身燃えひとりいや二人だ燃えつゝ擊つ
敵兵が飛び出してきたのだろう。「ひとりいや二人だ」、敵兵の身は炎に包まれて、個人単独の肉体という領域を無くしつつあるように見える。そもそも戦争がそういうもの、個人の領域を踏みにじるものだ。炎に包まれて撃つ動作は、指の肉が焼け縮む結果に過ぎないのかもしれない。こちらが何もせずとも直ぐ倒れ、肉塊となるだろう。その敵兵の、瀕死の痙攣的なあがきを、大幅な字余りとギクシャクとしたリズムによって写生している。写生されているのは死ではない。いつ果てるとも知れぬ地獄だ。
燃ゆる街犬あふれその舌赤き
犬あふれ屋根の上にも人死ねり
犬は炎に囲まれて、その舌もまた炎を吐き出すごとく赤い。人は地に死ぬのみではない。銃撃と炎に追われて、あらゆる場所で、屋根の上でさえ死ぬ。犬なら、燃える街でも生き延びるだろう。犬は殺戮の対象ではないからだ。兵は人間をこそ殺さねばならない。殺さなければ兵ではない。生きるために殺すのか、いや、殺すのは義務らしい。いつの間にか義務となった。では、生きるのは殺すため、殺すために飯を喰うのか。
街燃ゆる劫暑のにがき舌に飯
苦いのは、街に燃える瓦礫や焼ける屍や炭となる未来の味かもしれぬ。それでも、飯は何としても喰わねばならぬ。
頭あり我あり發射彈快調
撃つべき頭がある。相手にとってはやはり撃つべきわが頭がある。恨みはない。名も顔も、その家族も知らない。敵兵だから撃つだけだ。発射弾は日常の如く快調である。快調に気軽に死は飛び交っている。
喇叭ふき人ら岩攀づ墜ちては攀づ
あるひは墜ち墜ちしまゝ手榴彈の音
人をめき岩攀づ鐵火そこに裂け
屍らに天の喇叭が鳴りやまず
雷電と血の兵が這ひゐたる壕
この連作において、初め兵が吹いていた喇叭は、人体と共に炸裂する手榴弾の音や、岩もろとも人体を抉る銃弾の閃光を経て、いつか天に何者かが吹く喇叭と化す。やがて雷となって地をおびやかす。生者が死者へと変化するにつれ、喇叭は地を離れ、天に属するものとなる。
ここに戦場の興奮と幻視が存する事は否めない。何としても生き残るために、肉体が、脳が高揚するのは自然の摂理である。この世の終わりに立ち会っているような、恐ろしい血の滾りであり、実際、戦闘する当事者たちにとっては、この世の終わりに等しい。この滾りと恐怖と絶望を、遥か東京の指令部で、飢えず凍えず焼かれず、大陸の地図を広げている者達は、味わう事がない。なぜ終末の、黙示録の喇叭は、我々の上にばかり鳴り止まぬのか。
一齊に死者が雷雨を驅け上る
屍なほ鬪へり月の炎あげ
「死者」とは霊であろう。死して尚、戦争の激情の最中にあり、その激情の具現化であるかのような雷雨を駆け上る。雷雨は高みから、避けられぬ運命の如く地上を打ち、死者達は地上からの逆襲のように、雷雨と同じ烈しさで、天を叩きつけんと駆け上る。だが、掲句における「死者」とは、本当に死者なのだろうか。彼らは実は生者であり、生きながら既に死者として疾駆しているのではないか。
では、二句目の「屍」とは何だろう。未だ戦いの意志を顕わし、力み、ねじくれ、見開いたまま息絶えた肉体を描いたとも取れよう。もう一つは精神の無い肉体、思考も感情も絶えた肉体だけが動き、殺し合う様を詠ったとも考えられる。それは理想の兵かもしれぬが、すでに人外のものだ。月光であり陰性の光である冥府の光源は、「屍」を照らすのだが、地上の生き物が太陽の光に活かされるように、彼らは月の光によって活かされ、全身から月の冷たい炎を上げ、炎を呼吸する。
兵は、もはや生きているのでも死んでいるのでもない。生にも死にも如何なる安らかさも見出せぬゆえに、生と死の区別がつかない。この二句が集中の白眉であり、絶唱である。何と痛ましい白眉であるか。
陽炎よ耳盲ふるは花の光か
「戰爭に捧ぐ」の章にある、この奇妙な句を、砲撃爆撃の為に耳が聞こえ辛くなった様と読んでも良いが、戦争によって五感が互いに入り交じり常のものではなくなったと見ても良い。陽炎の中で、何もかも霞んで見えるのだ。それは聴覚の減退によって生じているのかもしれぬ。言葉通りに読めば、耳が聞こえなくなったのは花の光ゆえ、あるいは耳が聞こえないこともまた「花」である光だ、とも読めそうだ。
しかし、これは戦闘果てた後の、まるで生きながら彼の世にいるかのような静寂を表現したかったのだと思う。戦闘の極度の緊張からまだ回復していない五感に、世界は陽炎のように揺らぎ、静寂は聾(みみし)いたように思え、無残な戦を経た目には花の色は余りに眩しく、光そのものから形作られているように思えたのではなかろうか。戦禍と、あまりに美しい花や風景との、激しい落差が人を狂わせる、その例を、沖縄の地上戦において聞いたことがある。
(尤も、「戰爭以前」の句に「いんいんと耳鳴りわれに時亡ぶ」がある。平時よりふっと彼の世に心跳ぶ作者であったかもしれぬ。または自らの運命を予感していたのだろうか。)
「秋風部落」と題された一群は、占領した部落のさまであろう。
頑是なき人に銃擬す秋風裡
女去る秋風の兵を眼に視ざる
紅の鞋(くつ)手榴彈秋の土間に蠅
ここに勝利の実感は皆無なのだ。この期に及んで銃を突きつけねばならない遣る瀬無さ。恐怖からか怒りからか、決してこちらを見ない現地の女、その寄る辺ない後姿。女か子供かの美しい靴と、手榴弾が、同じ空間に転がっている。屍の空虚な眼にたかるように、かつて生活の在った土間に居る蠅。
生きてくふ飯荒寥とひとりびとり
それでも飯を喰い、次に進んでゆく。まだ生きてまだ行軍するために、飯は食わねばならぬ。「荒寥」とは兵士の心情でもあり、眼前の大地でもあろう。勝ち残った筈なのに、栄えある皇軍兵士として意気軒高と食うのではない。暴力の果てた後、暴力の当事者として、「ひとりびとり」、個人の孤独の中で飯を喰うのだ。
片山桃史は日中戦争から帰還して、昭和15年10月、この句集を出した。昭和16年、再び応召、その年の12月8日、太平洋戦争勃発。各地を転戦し、昭和19年1月21日、飢餓とマラリアの蔓延するニューギニアにて戦死。享年33歳。
「戰爭以前」の中から二句引こう。
夕燒けてマストの十字架(クルス)ひとおりる
船の十字型マストから人が降りたと読める。しかし「クルス」とルビを振っているから、まるでキリストが磔刑から解放されたようにも見える。先に「黃天にキリストのごと落伍せり」を引いた。十字架(クルス)から降りたのも、やはり片山桃史ではなかったか。
身のまはり靑き濕度の手紙書く
「靑き濕度」に片山桃史の憂愁と詩性を見る。戦争以前にそうであったように、大陸の乾いた戦場にあっても、彼は青き湿度を以て句を作ろうとしたのだと思う。生きて帰れば、戦後俳句にどれほどの色彩と清澄が、何よりもどれだけの良心が加わったことだろう。
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