音とことばの印象から
宮﨑莉々香
俳句は切れだと思い実作しているので、音の点から俳句を考えている事が多い。以前このコーナーで書かせていただいた際は「ことばの印象」から作品を辿っていったが、今回は音とことばの印象の二点から観察していきたい。
天窓の落葉溜りや駅舎に日 榮 猿丸
榮猿丸の句には五七五を飛び越えようとする音の自由さがある。その点に私は興味を持っている。例えばこの「日」のあり方は日が駅舎に差し込んでいることを表しており、やや強調して「エキシャニヒ」と読みたい。「日」の音としての在り方は「や」で切ることにより発生するのではないかと考察する。福田若之の〈伝説のロックンロール! カンナの、黄!〉の〈黄!〉の部分のように読みたい。
うぐひすもちの粉あをし粘着ローラーに 同
〈粘着ローラー〉に〈鶯餅の粉〉が〈青くくっついている〉の語順にするならば、「粘着ローラうぐひすもちの粉あをく」のようになるのだろうが、のびのびと型を崩して言い切っている点に興味を持った。この俳句を声に出してみた際、音数で分けるならば「うぐひす餅の/粉あをし粘着/ローラーに」となる。この時の中七は「粉あをしネンチャク」のように「粘着」の部分を短く読む。「粘着」ということばが、「粉あをし」以前にちょこんと、くっついているように在る点に面白さがある。
けさらんぱさらん黒くない外套を着て 佐藤智子
確かに「けせらんぱさらん」という物体はあるのだが、ここでは「けせらんぱさらん」という音の響きに注目したい。乱暴な読みかもしれないが、「けせらんぱさらん」を意味のない呪文のように捉えると、黒くない外套って一体どんなんだろう、と楽しくなってくる。この作者には他にも〈春浅しぽとぽととクリームパスタ〉のような句があり、オノマトペに特徴が見られる。
かまぼこに山葵すわりのわるい昼 同
「かまぼこに山葵」で一度切れるのかと思いきや「山葵すわりのわるい」と、かまぼこの上の山葵がぐらつくことを続いて言っている点になるほどと思う。ここでは山葵が「かまぼこに」と「すわりのわるい」の重なり合う部分として在る。
晩春の唾液を溜めるかたつむり 丑丸敬史
この句でのかたつむりの在り方を考えてみると、かたつむりの字面はまるまるとしており、「かたつむり」の部分だけが「在る」ような印象を覚える。字面の印象は前部での「唾液を溜める」と裏側でつながってき、いかにも駐屯しているようにも感じられる。
春光や姪の娘の束ね髪 伴場とく子
少しだけ十句作品の全体像に触れる。まず、この作品群は動詞で終わる俳句のかたちが多いのだなぁと思いながら読んだ。その中でも唯一体言止めであり、名詞の力が強い俳句をここに挙げた。姪の娘という点に屈折があり面白く、春光と束ね髪の組み合わせからは、いきいきとした娘の姿が浮かぶ。
駄菓子屋の前のとまれに春の雪 木田智美
道路の地面に見かける白い文字で書かれた「とまれ」のことと取り、その白い「とまれ」にぽつぽつと春先に雪が降っているという句。駄菓子屋の前の「とまれ」なのだと敢えて場所も指定し、その上で白い線に向かって雪が降っているのだという細かさがばかばかしくていい。例えば同作者の〈シーソーは錆びた水色ぎいばたん〉や〈ふとん屋の看板猫の名はさくら〉と挙句が異なるのは単なる報告に終わっていない点だろう。作者のそのような俳句がもっとみたい。
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