自慰と憐憫
北大路翼句集『天使の涎』『時の瘡蓋』評・その1
山口優夢
「お兄さん、あともう1軒いかがっすか。飲みですか、それとも抜きですか」
歌舞伎町の客引きは、思った以上に紳士的で礼儀正しい。手ですっと拒否の意志を示せば、たいていは引き下がる。新橋や神田あたりで深夜に遭遇する年増のマッサージ嬢の強引さに比べたらはるかにマシだ。彼女たちは時に腕をつかみ、断っても100メートルはついてくる。この間などは肩掛け鞄をずっと離さないので往生した。
客引きを無視しながら歌舞伎町のネオン街を歩いて行くと、「思い出の抜け道」という汚い看板のかかった路地がある。ネオン街から急に暗い小径に入るので、知っている店がなければまず入ろうと思わない。その角のあたりに1棟の小さなビルがある。入り口がすぐに急でせまい階段になっている。その一番下に小さな黒い看板が寝かせてある。何度訪れても、この看板がきちんと立てられて看板の機能を果たしているのを見たことがない。看板に書かれた文字は、「砂の城」。俳人・北大路翼さんがオーナーを務める「アートサロン」だ。
この店は開いているのだろうか。最初に訪れたとき、路地の向かいにある屋台に似た飲み屋にいたオカマに「ここ、開いてるのかな」と聞いた。オカマは首をすくめて見せただけだった。どうやらこんな状態がデフォルトだと知って、二回目以降はもう聞かなかった。
一応、看板には敬意を払って踏まないように階段を上りはじめ、3階の砂の城まで上がる。この階段はかなり急で、太ももをしっかり上げないとのぼることが出来ず、酔っぱらいにはつらい。「手摺りつけようよ」という人もいるが、「この階段を上り下りできることがこの店に来る唯一の条件なんだよ」と翼さんは笑う。
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墓洗ふお前はすでに死んでゐる(「天使の涎」)
「洗ふ」の一語がなかったら、ふざけすぎだ、と不快な気持ちになったかもしれない。「お前はすでに死んでゐる」は、もちろんマンガ「北斗の拳」の主人公・ケンシロウの決めぜりふ。戦いの最中、すでに相手の秘孔を突いて勝負が決まっているときに「お前はすでに死んでいる」とケンシロウは吐き捨てる。すると、それを聞いた敵は最初は笑っているがそのうち攻撃が効いて倒れる、というのが定石だ。
その言葉を、墓に入っている相手に向かって言っているわけだ。墓に入っている以上、すでに死んでいるのは当たり前。しかし、お墓を洗ってやりながらそうやってつぶやいているのだと想像してみると、改めてその人物が亡くなったことを自分の中で反芻しているようで、どこか死んでしまった相手に向かってそのことを言い聞かせているようでもあって、同じ言葉でもケンシロウとはずいぶん趣きの違った響き方をするように思う。
ただ墓場に来て「お前はすでに死んでゐる」と言っているだけならばそれはパロディのためのパロディに過ぎず、悪趣味だ。墓を洗ってやっている、その行為から、たぶん自分と同世代か下の世代ではないかと思うのだが、その人物と彼とのつながりが見えてくる。だからこそ、パロディが自己目的化せず、ちゃんとこの句ならではの意味合いを獲得している。それと同時に、ブラックジョークの味わいも舌にざらりと残してゆくのだ。
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アートサロン「砂の城」があと何年ああいうふうに続いていくものなのかよく分からないところもあるので、店内の様子を書き留めておくことには意味があるだろう。
もともとは現代美術家の会田誠のお店だったそうで、私自身は会田誠なる人物のことをほとんど何も知らないのだが、お店にはその肖像画らしきものが掲げられている。メタリックな銀色のカウンターは彼の作品なのだ、とお客かバーテンに聞いたことがある。カウンターの周りには7脚ほど安物の丸椅子が並び、それだけで店はいっぱいだ。だから、店の奥にあるトイレに行くのに他の客をかき分けていかねばならず、いつも難儀する。
雨でもないのに天井から水が漏れてくるので、バケツが床に置かれている。クリスマスツリーの周りに絡まっているような電飾がツタのように天井を這い回り、壁には北大路翼が取り上げられた新聞や雑誌の切り抜きが所せましと貼られている。翼さんは子どもの頃、自分で作った俳句を部屋の壁に貼っていたそうで、「こういうの好きなんだよ」と言う。
バーテンは日によって違うそうだが、天狗のお面をかぶったてんぐちんという女性が入ったり、誰もいないと翼さん自身が入ったりしている。「今日はてんぐちんじゃないのか」という声も聞いたので、どうやらてんぐちんが人気らしい。「お面」と言うと本人は「これはお面じゃなくてこういう顔なの」と顔を真っ赤にして怒るのだが、天狗なのでもともと顔が赤く、あまり怒っているように見えない。
「ここはちょー事故物件だよ、100人くらい死んでるんじゃねえの」と翼さんは言っていたが、100人は誇張だろう。しかし昔はうりせんだったという来歴(翼さん・談)を考えると、多少何かがあったことは間違いなさそうだ。何時間もいると気持ちが悪くなってくることがあるが、たぶん空気が悪いのだろう。
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素麺を食べたくなるや自慰の途中(「天使の涎」)
ふいに、という言葉を隠しつつ書くとしたらこんな俳句になるだろうか。自慰に集中していないわけでもないのだろうが、「あ、なんか素麺食いたい、暑いし」みたいな瞬間は確かにある。そしてたぶん果てたあとは忘れている。そのときだから食べたかったのであって、果ててしまえば男の生理はがらっと全く変わってしまっているのだ。いい自慰ではなさそうだな。やっぱり集中できていないのかもしれない。
「自慰」という言葉がやけに強く響いてしまうかもしれないが、句の内容を見ると、意外とあっさりしている。トリビアルな欲求の流れをそのままふと漏らしたような句だ。割とポーズを作りがちな北大路の句群において、これは結構珍しいかもしれない。
思ひ出し笑ひを悴みながらする(「時の瘡蓋」)
これも同じ系列と言えるか。「思い出し笑い」の持っている寂しさという本意にかなった句であろう。
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翼さんが歌舞伎町を拠点に俳句を作り始めて5、6年になるらしい。その間にずいぶん飛んでしまった女の子や自殺した奴も多いとか。
指名用写真が遺影朧月(「時の瘡蓋」)
特に最初の1、2年は周りで自殺する人が多かったという。そのことについての翼さん自身の述懐をそのまま載せようと思う。
Q・死んじゃった人っていうのはどういう人か
A・左翼で灯油かぶって抗議したり。それも最初の1年目はいっぱい死んじゃった。毎月毎月。俺が励ますと元気になって死ぬ元気が出ちゃう。「砂の城」に来て元気になるじゃん、それで帰りに死んじゃうんだよ。だから変に励ましちゃいけないんだよ、うつ病のやつは。良くなったな、って言うと死ぬ元気出ちゃうから、勢いに乗って死んじゃうんだよ。変に同情したりすると死んじゃうだけだから。俺もプロじゃねえから、精神科の。バカにした方がいいんだよ、そうしたら死なないから、悔しくて。ほめると調子に乗って死んじゃうんだよ。元気になったな、なんでもできるな、って言うと、なんでもしちゃうんだよ。バカだから一番目立つことやりたいんだよ。ぽーんと行って終わりだよ。ほっとくしかない。どんな気違いでも天才でも普通に扱うしかない。器がいる。その修業ですよ、僕がやってるのは。
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キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事(「天使の涎」)
「燃えてるねー」「ねー」くらいの軽い会話が聞こえてきそうだ。ライバル店が火事になるのはキャバ嬢にとっては「ラッキー」くらいのものか。
いや、決してそんなことはないだろう。ライバル店はつぶれてしまえ、くらいは思ったことがあるかもしれない。でも、火事とか、下手したら人が死んじゃうし。ガチだし。そこまでがっつり不幸になる感じのはちょっと望んでなかったかな…。どっちかと言うと内心、とまどいに揺れるのではないだろうか。
たぶん、キャバ嬢から最初に出てくる言葉は、「あーあ、かわいそうに」。憐憫と興奮とが入り交じり、それがだんだん、火事の火に見惚れていく。冬場だからしばらく見ていると肌寒くなってきて、「行こうか」とどちらからともなく促す。そんなキャバ嬢の微妙な心の揺れを男は感じ取っているだろうか。
キャバ嬢と客の深く断絶した関係性の中で、ライバル店の火事という微妙に力関係を崩しそうな偶然の出来事が、ふと2人に言いしれぬ「何か」の雰囲気を共有させてしまう。「何か」とは何か。北大路本人はきっと、「幸福感」と言うだろう。僕は「生命力」と呼びたい。他人の死が生きる活力になる、そういう世界で僕たちは生きているのだ。
ところで、北大路の句には中七が八音になっている句が多い。
啓蟄のなかなか始まらない喧嘩(「天使の涎」)
こんにちはスケベな花咲爺だよ(「天使の涎」)
白日傘与党に投票しさうだな(「時の瘡蓋」)
ちょっと拾っただけでこれだけ見つかる。中八は間延びした印象を与えるから避けるべき、というのはちょっと俳句をやっていればどこかから必ず聞こえてくるアドバイスなのだが、北大路のこの多さは意図的に中八をしているのではないかと思えるほどだ。
加藤楸邨の十七音量説? それも根底にはあるのかもしれないが、どちらかと言えば、これは北大路の句が基本的に口語で書かれていることと密接な関係があるように思う。文語で流暢に俳句を作る方法であれば、中八はただただ間延びするだけだろう。七音にして緊密な調べを取る方がいいに決まっている。ところが、北大路の句は口語調に威勢良く読まれてしまうため、八音でも間延び感はあまりない。もちろん、八音だな、とひっかかりは覚えるが、それをぐっと乗り越えていく勢いで読んでしまう。意識的か無意識的か、とにかく内容と形式はきちんと合っているように感じられる。
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たとえばコンビニで酒を買って、新宿の適当な公園や道ばたで飲み始める。と、そこに女が通りかかる。
「何してんの?ヒマ?ヒマでしょ?ヒマだよね?じゃ一緒に行こうよ」
とにかくたたみかけて自分で答えを出してしまうのが、ナンパのコツだという。「100人に声をかけたら10人は飲みまで行ける。そのうち1人くらいは最後まで行く」と豪語されて、ナンパしたことがない僕は、本当かよ、と目を丸くする。歌舞伎町すげえな、いや、この人がすげえのか、どっちだ。
翼さんいわく、自然には「人工的な自然」と「自然な自然」がある。前者は庭、後者は山や海。「自然」をテーマに書く俳人だったら、やっぱり「人工的な自然」より「自然な自然」を書こうとするだろう、と。しかし自分は「人間」をテーマにしている。人間にも「人工的な人間」と「自然な人間」がいるのであって、自分は「自然な人間」、つまりより人間くさい人間を書きたい、だから歌舞伎町に来た、と、ここまで一気に話した。自分の中で何度も語っている物語なのだろう。
なんか哲学者みたいな話をするな、と何となく相づちを打っていたら、思い出したように「合コンジャックって遊びもしてたな」と話し始めた。居酒屋で合コンをやっている席に乗り込んで「イエーイ」って勝手に盛り上がり、そのまま女の子を連れて帰っちゃうという遊びだそうだ。
「それをやっていたのはいつ頃ですか」と聞くと、「えー、ずいぶん昔の話だよ。大学生頃からかな」。
「いつ頃まで」「30過ぎかな」。
いやいや、結構最近までやっていたんじゃないですか。しかも10年以上の長きにわたって。
【つづく】
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