俳句読者・金原まさ子さん
佐藤文香
ゴマ粒ほどであるが、私は金原まさ子さんの句集『カルナヴァル』に協力した。 なんのことはない、P33の〈ラフレシアの奥へ奥へと「翼さん」〉という句の下にある、北大路翼の写真を提供したというだけである。
それもあってだったか、金原さんのご自宅近くで行われた『カルナヴァル』句会に参加させてもらった。今見返すと句集の奥付が2013年2月12日、句会は23日だった。ほかの方や金原さんがどんな句を出したか、それはどこかにいってしまったが、Gmailを検索したところ、私はこんな句を出していた。
白梅のスウプに垂らすみことのり
孔雀は孔雀に出逢ひてそれを鏡と思ふ
一応、どちらも金原まさ子オマージュのつもりであった。
その日の写真のアルバムが出てきたのでリンクを貼っておきます(≫こちら)。
「徹子の部屋」の観覧にも参加させてもらった。これは同じ年の8月13日(火)13:30から。六本木のテレビ朝日まで師匠池田澄子を連れていくという役目で、澄子さんとふたりで同じ丸ノ内線に乗り合わせて行った。
金原さんが徹子さんと何をしゃべったのかは思い出せないのだが、あのときの金原さんの顔ははっきりと思い出せる。私はずっと金原さんの顔を見ていたようだ。
私にとって、その人が100歳以上かどうかなどは関係なく、面白い作家だと思ったのだが、なにしろ年が離れているので、どれくらいの敬意で接していいかわからなかった。加えて、私は文学少女が苦手で、それは何も読んでいない私のような人間のことをつまらない人間だと思うだろうという勝手な思い込みからなのだが、だから金原さんに好いてもらえる気があまりしなかったというのが、本当のところである。ただそれはすべて、金原さんにはバレていたような気がする。金原さんも、私を少し怖がっていたようだった。
ともあれ、「街」会員でもないのに二度のイベントに参加させてもらえて、ラッキーだった。このときのメンバーのなかでは、私が最年少だ。金原さんは当時102歳、私は27,8歳。仕事があまりなくて平日悶々と過ごしていたころ。辛い時期だったけれど、金原さんと同じ空間に存在したという事実があることは、今となっては何にも代えがたい。
目かくしの土竜の指の花の香よ 金原まさ子『カルナヴァル』
嚙んで吐けば檸檬の皮の黄やけわし
わが足のああ堪えがたき美味われは蛸
それ以後も、金原さんからは創刊した「クプラス」へぽち袋をいただいたり、関悦史さんの出版記念パーティーの幹事をやって関さん宛のお手紙を預かったりと、ありがたく思っていた。私はいつの間にか、金原さんのことを、一級の俳句読者として信頼するようになっていた。金原さんの享受者としてのミーハーさは、俳句という詩のありようと、非常にマッチしていたと思う。
「金原まさ子百歳からのブログ」2017年4月7日に更新された「ブログ終了のお知らせ」に、「今後は皆さまの句集、ブログ、ツイッター等の読者として俳句を楽しんでゆきたいと思っております。」とあり、最高じゃんと思った。私は、金原さんに読んでほしい本をつくっていたからだ。若手の俳句アンソロジー『天の川銀河発電所 Born after 1968 現代俳句ガイドブック』(左右社)である。金原さんには、まずお送りしようと決めていた。いつものように、きれいな字でお手紙をいただく想像までしていた。でも、金原さんは、6月27日に亡くなってしまった。あと2ヶ月早く出来上がれば……。
私は俳句の外の世界へ『天の川銀河発電所』をアピールすることに決めているので、きっといま金原さんがいる世界へも、届いてくれるはずだ。そして、金原さんの作品やお人柄が開拓した俳句読者の皆さんにこそ、この本を読んでいただきたいなと思っている。
ああみんなわかものなのだ天の川 金原まさ子『カルナヴァル』
2017-08-06
俳句読者・金原まさ子さん 佐藤文香
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