【句集を読む】
穴と棒
大野泰雄『むつつり』を読む
西原天気
世の中には「脱力系」と称される(と受動態を使うには局所的すぎるかもしれないが、それはともかく)俳句があって、読んだとたん、なんだか、ふにゃふにゃっとなっちゃう句、ね。まあもちろんいろんなタイプがあるのですが。
パラソルの棒パラソルの穴の中 大野泰雄
腰の入った脱力、覚悟の決まった脱力、という言い方が矛盾を抱えていることは承知で、強度に脱力、というのも矛盾か。力の抜けきった句は、きっているだけに、つまり抜け方の純度が高いので、気持ちがいい。
パラソルは「穴」も込みでパラソルなのだなあ、と、夏の浜辺を思いつつ得心し、だからなんなんだ? といったまるでなにものにも意義や目的があるかのような問いには耳を貸さず、だからなんなんでもない、ただそうあるのだ、と、なにかを伝えるでも伝えないでもなく、在る。そんな句は、洗練された挙措を備えていて、それだけで私(たち)を魅了するに充分なわけです。
ところで、この句を収録した大野泰雄句集『むつつり』(2019年11月30日/夜窓社)は、げによろしき脱力を成分とするほか、だらしのないオトナ(字義通りに受け取ってしまう人のために、いちおう言っておきます。いい意味です)がたくさん出てきます。巫山戯ているのです(いい意味です)。
建国の日や味の素振りたれば 同
酒で口濯ぎ四月を病み抜けり 同
一月のかっぱえびせん鯉に乗り 同
だらしのないオトナ。言い換えれば、いろいろなことを知っている、というのは、知識の話ではなく、暮らすことの重さ・軽さを知っている、簡単にいえば経験豊富なオトナなので、たとえれば、悪いことばかり教えてくれる叔父さん、みたいな感じですか。
打ち下ろす二の腕白き蠅叩 同
じだらくとじだらくの丸裸かな 同
ことほどさように軽妙洒脱な句集なのですが、ウィットや遊びが背後にすっと引いたようなこんな句も妙に心に染みたりします。
うら山にあきつみてきて入院す 同
以上、ごたくばかりを並べましたが、まとめると、《いいかんじの句集》です、『むつつり』は。
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