テーブルの上には
鈴木茂雄
わたしが俳句を始めたころの写生観とか俳句観が著しく変貌してきたと感じたのは、この「俳句を読む」欄に書くようになってからである。そのことをひとくちに新しい感性の芽生えとか表現スタイルの変革と言ってしまえばそれまでだが、俳句がひとつの作品として成立したとき、わたしがいままで使っていた言葉で語るには、どこか古いむかしの言葉のようにもどかしく、通用しなくなったような気がしている。うまく言えないが、なにかが変容していることは皮膚感覚でわかる。かつて山本健吉や大岡信が批評した同時代の俳句と現在の俳句は、一概に現代俳句とひと括りにできないほど明らかにその原質が違っていて、季語をキーワードとしたテクストの解読はもはや不可能となってきた。いまも詩的空間を旅しつづけるテクストとしてのハイクの多彩な現在進行形。とはいえ、やはり、わたしはわたしの言葉でしか語れるはずもなく、いままで通り作品の世界に分け入って、手探りで読み解いていくほかはないのだろう。
いま欲しきもの叔母さんの白日傘 安田中彦
本来、作品について語るときは、当然のことながら、テキスト的現実に分け入って読み解くことになるのだが、ときには作者の背景をまったく知らないことを理由に、自身の思い出に沿って書くこともまた俳句鑑賞の醍醐味のひとつと言えるだろう。たとえば、この作品。「叔母さん」という言葉によって、わたしの中にある伯母が飛び出し絵本のように立ち上がり、その思い出があざやかによみがえる。叔母も伯母も父母の姉妹のことだが、わたしの伯母は父の姉にあたる人。思い出はいまから数十年前にさかのぼる。テレビがまだモノクロだった時代のこと。伯母の写真も白黒のものしか残っていない。わたしの脳裡の残像もまたすべてセピア色だ。小学生だったわたしがよく覚えているのは着物姿の伯母だった。伯母がわが家にやってくるときは、いつも着物を着ていたからだろう。わたしの伯母の記憶はその着物姿と白日傘、まさに揚句の「叔母さんの白日傘」だった。なぜ白日傘なのか。それはわたしの夏休みの思い出と共にあるからだ。母を亡くした初めての夏休み、まだ年少だったわたしを伯母が迎えにやってきた。子供がいなかったこともあって、それまでもちょくちょくわが家にやってきては、病弱だった母に代わって、あちこちにわたしを連れて行ってくれた。それからは毎年、夏休みと冬休みは伯母夫婦の家で過ごすことになるのだが、思い出はなぜか夏の方が印象に深い。それは若くて美しかった伯母の着物姿と白日傘のせいだったのだろう。その白日傘しか知らない秘密が、伯母にはあった。そのことを知ったのは、わたしが成人してからのことだった。一方、揚句の「白日傘」に対する作者の思いはどうだったのだろうと再読すると、最初に読んだときとは違う言葉のズレが生じて、「いま欲しきもの」と「叔母さんの白日傘」の間が部分的に少し重なっているように感じた。イマホシキモノに着物がちらちらと見えかくれして、ホシキモノオバサンという声が聞こえる。そうか、欲しいのは叔母さんだったのか。季語の「白日傘」はそれらすべてを記号する。
鳥として骨となりたる昼寝かな 安田中彦
「鳥、骨」という文字が記号として同時的に並ぶと、必然的に想起する著名な句に高屋窓秋の「血を垂れて鳥の骨ゆくなかぞらに」と柿本多映の「真夏日の鳥は骨まで見せて飛ぶ 」があるが、いずれも鋭い言語感覚が描き出した心象風景だ。揚句の主語が「私」だとすると、この昼寝の句もまた森澄雄の句「はるかまで旅してゐたり昼寝覚」とか田中裕明の句「をさなくて昼寝の國の人となる」という、昼寝本来の時間を共有して味わうというわけにはいかなかっただろう。シュールなイメージの「鳥として骨となりたる」光景と、きわめて日常的な「昼寝」という夏の生活様式が錯綜した深層心理の展開を探るには、作者の資料が余りにも乏しい。いまはただイメージをイメージとして鷲掴みにしておくほかに手はなさそうだ。
教科書を踏まれてひるの金魚かな 安田中彦
タイトルになった句だが、「ひるの」まで読んだあとにすぐ気になったのはタイトルの「さんかくひるの金魚」だ。句は「ひるの金魚」であるのにに対して、タイトルの方はその前に「さんかく」が付いている。なぜだろう。しかも、「さんかく」も「ひるの金魚」もわかるが、「さんかくひる」がわからない。三角公園とか三角地帯というが、三角昼という言葉は聞いたことがない。不思議な言葉だ。謎めいたものに人は詩としての魅力を感じるものだが、揚句の「教科書を踏まれて」には、ぐうぜん踏まれたのではなく悪意のこもった行為、いわゆる虐めの情景を想起させる。この句と並んで同時発表された句に「狂ひつつたたかふ子ども立葵」という、それに抵抗する子を描いた作品があるから間違いないだろう。すると、この金魚は虐待を受けた子供ということになる。「ひるの」と平仮名表記をすることで、漠然とした形を持たない、だが、はっきりとしたシグナルとしての金魚を泳がせる空間をつくることに成功している。円でも四角でもない「さんかくひる」は、人には見えない歪みが白昼の空間に生じた様子を言ったものだろう。揚句に「さんかく」がないにもかかわらず、その解釈にさんかくがまとわりつくのは「踏まれて/ひるの」という言葉の結合に読み手が錯覚を起こして、真夏の白昼に不等辺三角形的な歪みを感じるからだろう。
子らに端食われたのかも花畠 樋野菜々子
「子らに端食われたのかも」知れないというのは、「花畠」の端っこだという。そういう意味にとれる。詩が意味をたどられるのはもっとも嫌うところだが、その「端」というのは「お花畠」の「お」の箇所と見立てると面白い。季語には呼び名が少し違うと季節が変わるものがあって、たとえば、揚句の「花畠」は歳時記では秋の草花の咲いた庭園などのことをいうが、そこに「お」が付いて「お花畠」になると、夏の一時期、一斉に開花した高山植物が群生する場所をいい、夏の季語となる。「お」を取ると夏が秋になるというレトリックを仕掛けたような作品だが、それより子供たちがお花畑の端っこを齧るという、その発想が面白い。事実は子供たちが花を摘んだりして遊んでいることを、花畑の端っこを食べている、と話をおもしろおかしくする。面白いところに詩は出現する。
見にしむや講義終わりの友と夜 樋野菜々子
一読、うん? と冒頭からつまずく。上句の「見にしむ」は季語の「身にしむ」のタイポではないのか、と。わたしの俳句の読み方では、表面上は一見散文の「見にしむ」であっても韻文の「身にしむ」であっても、いったん俳句という詩形式に収められた「ミニシム」には言葉の内部から感じられる詩的リズムが、内在律として明らかに存在する。じつは最初、このことに気付いてこの句は今回の鑑賞の対象から外そうとした。つまり、ただの誤変換ではないか、と。だが、なんどか繰り返して読むうちに、これは誤変換でもなんでもなくて、修辞的技法ではないかと思い出した。こうすることによって、季語である「身に入む」の「身に」は単に「身に」という文字だけではなく、「見に」という形象も合わせてその音律に内臓されることになる、と。たった十七音しかない俳句形式は、いつも修辞的技法を要求する。そうしなければ十七音以上でも以下でもなく、ただの散文の一行にも満たない舌足らずな短文で終わってしまうからである。なお、蛇足ながら後半の「講義終わりの友と夜」の「と」は「and」ではなく「with (my friend)」の「と」である。
立てばすぐ席とられたる薄暑かな 千野千佳
冒頭では季語をキーワードとしてテクストを読み解くことが不可能になってきたと言ったが、この句などは季語である「薄暑」に作者の少しイラッとした気持ちの表れが見て取れる。それは取りも直さず、季語を一句に託した作者の季語観も合わせて見て取れるということにほかならない。揚句からは、店は立て込んでいて、とてもゆっくりできる状況ではなかったということが想像される。しかも「立てばすぐ」に自分のそばに近寄ってきて、先ほど買い物をしたショッピング袋を手に取ることさえもどかしい思いをさせられたのである。「立てばすぐ」ということは、立つ前からこちらの様子が窺われていたということだから、その不快感はなおさらのことだろう。初夏の日差しが店を出た作者を眩しく照らす。こんなことまでわかるのは季語の効用と言っていいだろう。
場所とりのミニーマウスの日傘かな 千野千佳
よく見かける光景である。「場所とり」と言っても花見のそれではなくて、スターバックスのような店の席のことだろう。席が空いていると思って近づくと、そのテーブルの上には「日傘」が置いてあり、そのことでこの席はすでに誰かに確保されていることを知ることになる。「ミニーマウス」で持ち主のおおよその年格好や身なりの想像がつく。近づいた席はすでに先約があったにもかかわらず、この句から落胆した不快感が伝わってこないのは、日傘の絵柄になっている大きなリボンをしたキャラクターの笑顔に出会ったからだろう。「かな」はその詠嘆。季語は小道具としてもよくその役割を担う。
第685号 2020年6月7日
■安田中彦 ひるの金魚 10句 ≫読む
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第686号 2020年6月14日
■千野千佳 いへ 10句 ≫読む
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