対中いずみ
波多野爽波は「青」300号あたりを節目に編集部体制を若手に切り替えている。島田牙城、上田青蛙、田中裕明の三人体制だ。この号の後記では、田中裕明はすがすがしい宣言をしている。「青」を日本一の雑誌に、という目標は、大風呂敷を広げたのではなく、まじめに言っていたと思う。実際は332号をもって編集から退いているが、そのときもこのことばに触れている。後年、主宰誌「ゆう」を創刊するとき、「「ゆう」が二十世紀の俳句と二十一世紀の俳句を結ぶ架橋になればと考えます」と書いた。実際は「ゆう」は五年で終刊となったが、裕明の句はまちがいなく二十世紀の俳句と二十一世紀の俳句を結ぶ架橋となっているだろう。
本号での裕明句6句。このころ、まだ雑詠欄である。
瀧茶屋の少しの蕎麦を刈りにけり
花柊声を嗄らして幼な児は
白菊や住持薄着をつねとして
狸汁ふと人形の目鼻だち
猟期はやとしごろの目のうつくしく
木の葉髪おぼつかなくも筆をとり
(太字は句集『花間一壺』に収められている)
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