【週俳3月~8月の俳句を読む】
それぞれの孤独
箱森裕美
白蝶来門閉ぢられし楽園に 髙木小都
小さい体を懸命に動かし、長い時間と距離を掛けてやって来た楽園。その門は固く閉ざされている。この旅は無駄だったのだろうか。それとも門はこれから開くのであろうか。
さみどりのひかりの揺らぎ蝶生る 同
「蝶生る」は蝶が羽化したことをいう。さなぎだったころの色をまといつつ生まれる蝶。「揺らぎ」の文字が、まだしっかりと張ってはいない羽を思わせる。
煉獄や踊るものから赦されて 小田島渚
煉獄とはカトリックの教理で、罪を犯した死者の魂が天国に入る前に浄化を受けるとされる場所。掲句では踊ったものから赦される、つまり天国に行ける。死者たちは赦されるために懸命に踊るだろう。滑稽で、だからこそ恐ろしい姿である。
逝く人を月のひかりのとどめたる 同
今にもこの世から旅立たんとしている人がいる。体から抜けだそうとする魂を抑え付けるように降り注ぐ月光。月が沈む明け方には永遠の別れとなるが、もう少しだけ。
あくび厳禁あぢさゐの臣民なら 土井探花
繰り返される「あ」の音、「げんきん」「しんみん」と踏まれた韻。声に出して読んでもとても楽しいが、書かれていることは意外と厳しい。
作者には「パンジーが幕府をひらけさうですね」(句集『地球酔』より)という句もある。植物は人間の上位存在で、人間は植物を育てているつもりで育てさせられているのかもしれない。
銀紙に包んで虹を捨てたのね 同
銀紙に包んで捨てるものといえばガム。虹が確かな感触を持ったものとして捉えられているのが面白い。
銀紙には光を遮る性質があるため、虹のいろどりも完全に見えなくなるだろう。丸められて、誰にも見られない光を放っている虹は寂しくて美しい。
白鷺や田のひろびろと遠野郷 広渡敬雄
遠野市は岩手県の南東部、内陸に位置する。同地域を舞台にした柳田國男の『遠野物語』はよく知られている。
この白鷺は複数ではなくたった1羽だろう。白鷺は夏の季語。緑一面の田の中で、ただ1つの白として存在している。
遠野には荒神神社という田んぼの真ん中にぽつりとたたずむ神社もあり、その風景ともリンクするように感じる。
かく細き松でありしか大南風 同
この松は陸前高田市の「奇跡の一本松」であろう。実物を見たことはないが、画像を検索すると確かに頼りなくほっそりとしている。力強い南風に簡単に吹き折れてしまいそうだが、決して倒れずに立っている。
なお、「奇跡の一本松」は根が腐りすでに枯死しており、現在は防腐処理等や補強をされて保存されているそうだ。
抱かないかたち案山子の両の腕 野名紅里
もともと害獣・害鳥除けのためにできた案山子。みな一様に手を広げているが、それは抱擁をするためではなく「抱かないかたち」なのだ。
田んぼによっては1体だけではなく複数点在しているところもある。しかしどんなに数があったとしても彼らは群れてはいない。1体1体の案山子に、それぞれの孤独がある。
血圧計ほつと緩んでねこじやらし 同
血圧を測るときにはいつも緊張する。「これ以上はもう無理なんじゃないか」と思うほど腕を絞められるからだ。腕が膨らんでしまう、そんなことを感じた次の瞬間に、ふとゆるむ。あのときの安心感を思い出させる句。
「ほつと」という言葉がよく合う。季語の軽さや質感も、安堵の気持ちをよりいっそう高めてくれる。
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