【句集を読む】
ちょっと一服
田口武『煙草』を呑む
西原天気
このご時世に、句集名が『煙草』です。つまり、煙草が、徹底的に、これでもかというくらい疎んじられるこのご時世に。
さぞかしひねくれた、という言い方がカジュアルすぎるなら、傾(かぶ)いた句が並んでいるのだろうと、期待充分でメージをめくると、期待を裏切りません。うれしくなってしまいます。
ただ、これを「ひねくれた」とか「傾(かぶ)いた」と表現するのに抵抗がある人もいるでしょう。まあ、読者たる私自身、そう言っていいものかどうか、ちょっと不安なところもある。全体の雰囲気は、脱力でもあるし、人を食ったところもある。一方、みょうに純(じゅん)なところも見出せたりする。作者が、ではなく、句が。
形態的な特徴を言えば、切字がない。「よ」は出てきますが、切字というより呼びかけの「よ」。季語を内容に取り合わせる句はそこそこあるが、二物衝撃的ではない。すらっと、いわゆる平句な感じが大勢を占める。もちろんのこと、たいそうな句、えらそうな句、どんなもんだいな句(ドヤ顔な句)は、ない。結果、喉越しが良い。
こうした、するすると胃に入ってゆく、具の少ないうどんかそばのような句集から、一句を挙げるのは難しいけれど、こんなのはどうでしょうか。一回目読んだときは漏らしていて、ニ回目でお気に入りになった句。
しつかりと見ておく非売品の雛 田口武
ふだん俳句で見かけないたぐい、稀少で貴重な興趣です。
あまりたくさんの句を挙げたくないので(この手の好きな人には手に取って読んでほしいので。そして、この手が好きじゃない人は、いくつ句を挙げてもピンと来てもらえそうにないので)、あと一句。
嗚呼これは温室独特のにほひ 田口武
あるんですよ、これ。大小にかかわらず、温室独特の匂いが。
なお、煙草の句も何句か、あります。その一服はうまそうではあるんですが、そのうまさ、気持ち良さは、過剰じゃない。そこそこうまそう、そこそこ気持ちよさそうなのです。
考えてみれば、私(たち)は、そこそこの気持ちよさや、そこそこの驚きを、日々享受しながら暮らしている。その「そこそこ」さは、切字や鮮烈な切れ、巨大な詩的飛躍とは、無縁なのでしょう。
さて、ここらで、私も一服。
ずっと一服しているような気もしますが、それもいいでしょう。この句集を読んでいると、それでいいと思えてきます。
田口武句集『煙草』2024年7月/朔出版
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