永遠
有澤榠樝『オクトパス・ガーデン』の一句
西原天気
永遠の端つこにゐて磯遊 有澤榠樝
地球に海が生まれたのは40億年以上前。ほどなく(といっても億単位)、生命が生まれたそうだから、海と生命の年齢はそれほど変わらない。始まりがあるのだから終わりはある。でも、これまでの40億年、これからの数年だか何億年だかは、私たちにとって《永遠》のように長い。
磯遊の場所は、海の端っことも言えるし、陸の端っことも言える。なのに、《永遠》という「時間」が認識され、「時間」が提示される。ここがこの句の主眼のひとつだろう。
《磯遊》は潮干狩りとは限らないので、遠浅とも限らない。なのに、いわゆる茫洋感は、ある。もっぱら足元、手元を眺めながらの遊びの、ふとした瞬間、沖を視界に入れたときの、あの、彼方とつながった感じ。これは地理的・空間的な感覚であると同時に、《永遠》のなかの一瞬の片隅、《端つこ》に取り残された感覚でもあるように思う。
地球や宇宙の時間からすれば、一瞬、生きて、一瞬、磯に遊ぶ。さまざまな感情の話をすることはない。どの感情よりもはるかに透明な、感情ともいえないような心もちだ。
有澤榠樝『オクトパス・ガーデン』2025年9月・邑書林
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