2007-05-20

成分表 3 感情移入 上田信治

成分表 3 感情移入   上田信治

                        
初出:『里』2006年2月号/改稿


パッチテストというのか、アレルギーを引き起こす疑いのある物質を、十いくつほど、腕の内側の皮膚につけ、発赤が起こるかどうかを見る検査がある。

一歳に満たないだろう子供が、その検査を受けている映像を見たことがあって、おぼえている。夕方のニュース番組で、おそらく乳児のアレルギーについてのレポートだったのだろう。

その、ぽしょぽしょの髪の子供は、短い板にそれぞれ固定された両方のうでを、テーブルの上に置き、前に座った医師を見上げていた。「先生、どうなんでしょう」という、顔をしていた。

いや、乳児は、そんなことを言わないし思わない。それは分っているのだが、その、当惑の表情を見たとたん、自分は、吸い込まれるように、乳児の「気持ち」になってしまった。「分ってしまった」のだ。

「先生どうなんでしょう」と、台詞をつけたのは、いっしょに見ていた妻だった。おそらくその時、二人とも、感情移入が極まって、乳児と「同じ」顔をしていたのではないか。知らない場所で、手をくくられて。世の中、分らないことだらけだから。

人の気持ちが「分ってしまう」ということは、驚くべきことだ。そして、人が人を可哀想だと思うことも、驚くべきことだ。

  退屈なガソリンガール柳の芽  富安風生

作者は、ガソリンガールを見て、可哀想だと思っている、と答案に書いたら、それは、バツだろう。しかし「退屈な」と主観的に言うからには、作者が、ガソリンガールに何らかの感情移入を引き起こされていることは、間違いない。そこに「柳の芽」という、弱く美しいものを取合わせ、都会的な「いい景色」に仕立てたことに、自分は、作者の優しさと、微量の同情を見る。

また、その景色には、うっすらナルシズムが感じられるのだが、そのナルシズムが、作者のそれか、ガソリンガールのそれか(あるいは、自分の?)、もう区別がつかない。風に吹かれて退屈な、若い女性であることの気持ちが、分った気がする。若い女性には、きっと、それを見ている小父さんの気持ちが、分った気がするだろう。「可哀想だた惚れたてことよ」。

猿や人の脳には、ミラーニューロンという、他の個体の動作や感覚にシンクロする部位、または働きがあるそうだ。だから、どうだとは言えないが、人が、もともと群れをなす猿から進化したのだとすれば、共感や感情移入も、なにか生存上の必要があっての能力にちがいない。

  厄介や紅梅の咲き満ちたるは  永田耕衣

こういう句が分ってしまうことに、生存上有利なことは、何もないと思う。しかし、世の中、厄介なことばかりだから、「厄介や」と言われると、つい、こんなでたらめのようなもののの気持ちが、分ってしまう。分ってしまえば、惚れた弱みで忘れられない。

  生活のない春昼の鼻隆し    藤木清子




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