2007-05-20

メヒコの神さま 長谷川裕

メヒコの神さま  ……長谷川 裕



メヒコは俳句の神さまがおおぜい住んでいらっしゃる土地である。雨やら、風やら、月やら、星やら、山やら、川やら、フクロウやら、ジャガーやら、蛇やら、お魚やら、ありとあらゆるものが神さまなのである。ぼくは俳句には人間主義の及ばない汎神論的なところがあると思っているから、メヒコでは俳題にはこと欠かない。

いまは乾期なのでお休みになっていらっしゃるが、トラロックさま(メヒコの神さまは恐ろしく強力なので、敬称が欠かせない)という雨の神さまがいらっしゃる。過ぐる二十数年まえ、メヒコにいったとき、なぜかこのトラロックさまに気に入られ、取り憑かれたまま、東京までついて来られてしまった。以来、ぼくは雨男になってしまい、吟行のたびに皆様に迷惑をおかけし続けているのである。

トラロックさまは、ぼくの家をやたら雨漏りさせたり、いきなり夕立を降らせてずぶ濡れにしたりと凄い威力を発揮なさるのだが、ときに美しい光景もぼくに見せてくださる。いつだったか、ワハカの山村に行ったとき、道の遠くから音程の狂ったトランペットが、もの悲しい調子で響くのが山道の彼方から聞こえ、見れば葬列であった。トランペットを先頭に、棺を担いだ人々がしだいに近づいてくると、一陣の風が吹き、まばらに生えるコショウヤナギの古木をゆらして驟雨がはじまった。トラロックさまだ。葬列は濡れながらゆっくりとぼくの前を過ぎ、教会の墓所へと向かっていった。むろんぼくも濡れた。

ちなみにトラロックさまにお目にかかりたかったら、ティオティワカンのピラミッドへ行きたまえ。神殿の壁に、龍のようなあるいは獅子舞のような、奇っ怪な石の頭が口を開けて並んでおる。それがトラロックさまである。このお姿を初めて拝したとき、ぼくは「竜吐水」という言葉を思い出したのであった。

いちばんおっかない神さまは、テスカトリポカさまである。テスカトリポカとは「煙を吐く鏡」という意味だ。夜の暗闇を支配する神さまで、光をもたらす太陽神のウィツィロポチトリといつも敵対しておる。暴力と災厄の神さまであり、復讐や懲罰が大好きで、ぼくら人間にさまざまな災難、不幸をもたらす。風になったり、ジャガーになったりといろんなものに変身し、あらゆるところに入り込み、しかもいたって気まぐれであるから、まったく油断が出来ない。それまで幸せだった人が不慮の事故にあって、不幸のどん底に突き落とされたり、何の前触れもなく病気になったりするのは、このテスカトリポカさまの気まぐれに他ならない。

いつもメヒコに行くときは、テスカトリポカさまがやってこないか、ぼくは畏れている。タクシーに乗ったら、いきなり変なところに連れ込まれて、ピストルやらナイフを突きつけられ、身ぐるみ丸裸にされるなんてのは、このテスカトリポカさまの仕業なのだ。

テスカトリポカさまが足に着けていらっしゃる鏡は、世界中の出来事を映し出しており、ぼくら人間どものすることはすべてお見通しだ。「よし、今日はこいつに罰を与えてやろう」などと思われたら、もう、おしまいだ。なにせ神さまのやることだから、ぼくら人間にはどうにも対処のしようがないのである。誰だってテスカトリポカさまの力からは逃れられない。だから人々は不幸や災難に遭うと、テスカトリポカがやってきたといって、嘆き、畏れるのである。

ところでぼくは、二晩を過ごしたアフスコの村から戻るとき、パスポートやら航空券を入れたままのバッグを道に置き忘れてしまった。妹の家の玄関の前からクルマに乗るさい、ちょっと横に置いたまま、他のことに気を取られたのがいけなかったのである。アフスコから一時間半かけて、ようやくメキシコシティまで着いたところで、「あれっ、いけねえ、忘れた!」とあいなったのであった。

すでに一時間半も経っている。こりゃ、どう考えても誰かに持って行かれちゃっただろう。人が手に持っているのだって、無理やり盗っていくぐらいなんだから。うわ~、こりゃ大変なことになっちまったい。大使館行ったり、航空会社に行ったり、えれえことだぞ、どうするよ。

クルマを運転してきた妹が、すぐに携帯電話で隣の家の人に電話して、バッグが置いてあるかどうか確かめてもらった。はらはらと待つこと十分、いつもはもの静かな妹が、明るい声で叫んだ。「あった、あった!」バッグは門の前にそのまま置いてあったそうである。奇蹟である。ぼくら全員、その場でバンザイを絶唱した。

妹はそのままクルマでとって返し、アフスコとメキシコシティを三時間かけて往復したのであった。ごめんね、ご苦労様でした。

どうやらテスカトリポカさまは、そのとき足の鏡を見ていなかったらしい。いや、それとも、見逃してくださったのか。はたまた、ぼくのいまだ知らないなにかの神さまが守ってくださったのか。いずれにせよ、メヒコは奇蹟の起きるところなのだ。いや、奇蹟がなければ人間、生きていけない。生きてること自体が奇蹟の連続ではないか。なんの神さまか知らないけれど、神さま、奇蹟をほんとうにありがとうございました。


写真:長谷川裕

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