2007-05-20

〈豊かな時代〉の網羅主義 橋本 直

近代俳句の周縁 1   〈豊かな時代〉の網羅主義 昭和八年刊改造社『俳諧歳時記』  

橋本 直



私は生まれる前のことなので、実感としてはわからないのであるが、高度成長期より前の暮らしは、戦前のそれとそう大差はなかったそうだ。例えば戦後復興のスローガンの一つは、経済が安定していた「昭和八年に帰ろう」であったという『「月給百円サラリーマン」―戦前日本の「平和」な生活』講談社現代新書

高度成長期までの暮らしが大差ないのなら、おそらくは戦後の高度成長期以前の歳時・歳事に対する認識も、戦争や植民地等にかかわる部分を除いて、それ以前とそう変化はなかったであろう。このことは近代の俳句の展開を支えたものを考えるにあたって軽視できない。

さて、その高度成長以前の理想の世であった昭和八年に、改造社から『俳諧歳時記』が出ている。それ以前の俳句歳時記と一線を画し、百科事典的といっていい質と量の季語とその古書校注や季題解説、近世以来の例句が多く載せられている。各巻の項目や執筆者は以下の通り。

夏(6月29日印刷・7月3日発行)1387項目
 季題解説・実作注意・例句担当 青木月斗、古書校注 藤村 作 
秋(9月9日印刷・9月13日発行)963項目
 季題解説・実作注意・例句担当 松瀬青々、古書校注 潁原退蔵  
冬(10月18日印刷・10月22日発行)789項目
 季題解説・実作注意・例句担当 高浜虚子、古書校注 志田義秀  
春(11月16日印刷・11月20日発行)863項目
 季題解説・実作注意・例句担当 高濱虚子、古書校注 藤井乙男
新年(12月16日印刷・12月20日発行)828項目
 季題解説・実作注意・例句担当 大谷句佛、古書校注 笹川臨風

※季題項目総数4830。項目数は単純に目次の項目数合計である。なお、戦後版はこの数ではない。
※虚子編に限って、巻頭に地方季語の執筆担当者(例えば九州に杉田久女)や虚子らの担当した項目数が書いてある。それによれば冬は692項目、春は778項目とあり、単純に目次上の項目数を数えると数が合わない。

各巻共通の参考執筆者
 時候・天文 国富信一(明治25~昭和39。気象学)
 人事    武田祐吉(明治19~昭和33。万葉学)
 宗教    山本信哉(明治6~昭和19。神道史学)
 動物    寺尾新(明治20~没年未詳。動物学)
 植物    牧野富太郎(ウィキペディアの項目を参照されたい。

この総花的方式の歳時記の系譜は後、高度成長期の角川『図説大歳時記』(昭39~40)が出版されるまで唯一のものといっていい。最近角川はその後釜の歳時記を出したが、さて、このような百科事典的俳句歳時記のありかたは、果たして正しかったのか?

当時の流行思潮である「改造」をそのまま社名にした出版社が意図したものは、おそらく従来の俳句歳時記の「改造」であり、それはそれ以前とくらべ画期的であったという一点で半ば成功しているが、とにかく多少なりとも季節感のある言葉を集めまくったものが分厚い「歳時記」となって俳句にもたらされたことの功罪は、一度きちんと検証すべき問題である。

一つ思うことは、この仕事をした後の高濱虚子が、翌年すぐさま『新歳時記』(三省堂。初版昭和9年11月15日)を出している、ということについてである。一応組織の総力を動員して各項目の執筆などしたものの、虚子は『俳諧歳時記』が気に入らなかったのではないか。

例えば『新歳時記』の「序」の冒頭は、「一言にしていへば文学的な作句本意の歳時記を作るのが目的であつたのである」と書き出され、すぐに「季題の取捨」という項目が立ち「既刊の歳時記を見るに唯集むることが目的で撰澤というといふことに意が注いでなく」云々、と書かれている。これは前年にでた改造社の歳時記に対して、それが虚子の目から見れば「文学的」ではないことのあてつけではなかったか。

『新歳時記』を編むにあたり、虚子には季語を辞書的に網羅するような本を作ったことへの彼なりの反省と、ただ季節感のある言葉と文学としての「季題」との差異を明確にしようとする意図があったわけだ。

この推測が当たっていれば、二種類の歳時記を比較することで、虚子の文学としての「季題」と虚子にとって文学的ではない、ただ季節感のある言葉を峻別することが可能になる。それはまた、何が虚子俳句にとって「文学」的だったかを見極める可能性を示す。

最後に、『俳諧歳時記』に対して虚子のもった違和感についてである。70年ばかり時の過ぎた現在から見て、歳時記の質次第で俳句は相対的に変容したと言えるかどうか。検証するのは困難だが、面白い問題である。

現時点において、季語が多すぎることが作句の妨げになっていると感じているのは、多分私だけではないだろう。たぶん俳句は「変容」したのであり、そのきっかけの一つは、この『俳諧歳時記』だったのではないか。なお、この本には戦前版と戦後版で異なる点が幾つかあるが、それついてはいずれ書きたいと思う。

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