2007-05-13

お約束とローカルルールのなかの俳句 岡田由季

お約束とローカルルールのなかの俳句  ……岡田由季


五月六日、大阪ガーデンパレスにて、柳俳合同の「北の句会」に参加。北の句会は隔月開催で、私は2005年8月以来、ときどき参加させていただいている。

参加十二名。少なめと思う。以前は短歌の方も参加されていたが、北の句会から生まれた「sora歌会」が軌道に乗ってからはあまり来られなくなったとか。出席者は川柳よりも、俳句のフィールドからの方が多めだったようだが、川柳人はおひとりで何人分も喋るので問題ない。

第一部は席題句会。この日の題は「茶」「罪」。川柳の場合、題を直接句に詠みこまなくても、内容に関わりがあればいいそうだ。俳句でも、まれに題をテーマとして、それに関わるものであればよいという句会をすることがあるが、川柳ではそれがあたりまえらしい。

北の句会では川柳も俳句もこだわらず、同じ俎上にあげて句会をする。互選をして合評。自分の出した句は、それこそまな板の上の鯉で、どう扱ってもらっても本望だが、選句が困る。川柳はもちろん、俳句作家の句も、私にとっては手がかりのつかみにくい句が多く、いつも苦戦する。それでも即吟は比較的素直なつくりの句が多い。

第二部は事前投句の句会。ひとつの言葉に何重の意味をもたせる句あり、いろいろな角度からの実験句ありで、まず一筋縄ではいかない。選評も名人芸のような、裏の裏を探るような議論。

私が所属する句会でも、一句について細かく突っ込まないわけではないが、方向性が違うというか、深読みをする習慣がないので、脳の違う場所を使うようで疲れる。自分が選んだ句はなんとか守りたいと思う。しかし俳句という約束事項をはずした状態で句を褒めるのはなかなか難しいことに気付く。ふだんの俳句の会の合評時には、好き勝手なことを喋っているような気になっているが、実は、俳句のお約束やその集団のローカルルールを確認しあっているだけのことも多いのではないか。そんな気になってくる。

この日、「薄氷」に「うすらい」というルビがふってある句があった。私は俳句にルビをふるのが好きではない。ルビで実際とは違う読ませ方をするのも強引で嫌だし、読み方が難しい(と思われる)語にご丁寧にルビをふるのもなんとなく興醒めな感じがする。周りの俳句作者もそういう態度の人が多かったので、何の疑問もなくそれで通してきた。だから見た瞬間「このルビはいらない」と感じた。

しかし、「薄氷」では「うすらい」とはまず読んでもらえず、「はくひょう」と読まれてしまうとのこと。確かに俳句の句会ならば、読み手にそのくらいは常識として知っておけと言えるが、俳句をしない人にそんな要求は出来ないし、たいていの日本人は「はくひょう」と読むのだろうとは思う。「はくひょう」ではその句は台無しだ。それでも「薄氷」にルビは、なんだか、もぞもぞしてしまうけれども。

川俳合同の句会に何度か参加したからといって、なにか川柳のことがわかってくるわけでもない。しかし、ふだん無意識に、どれだけ俳句の約束ごとに助けられて楽をしているのか、ちょっと立ち位置をずらすことにより、頭で理解するのではなく、体感することができるだけでも、私には貴重な体験となっている。

2 コメント:

さんたな さんのコメント...

>ふだんの俳句の会の合評時には、好き勝手なことを喋っているような気になっているが、実は、俳句のお約束やその集団のローカルルールを確認しあっているだけのことも多いのではないか。

自分の言葉で俳句の評価をしている気になっていても、俳句の約束事に縛られているだけかもしれません。素の俳句に向き合うのは難しいですね。

岡田由季 さんのコメント...

さんたなさん
 コメントありがとうございます。

 私は句会大好き人間で、普段は俳句の約束ごとにもあまり疑問ももたず、楽しんでいます。他のジャンルの人との関わりを通して、いろいろな視点で見ることができるようになりたいと思っています。