2007-06-10

メヒコの神さま(2) 長谷川裕

メヒコの神さま(2) ……長谷川 裕



国有鉄道フェロカリールが、まだ旅客切符を売っていたころ、モレリア市まで寝台車で旅したことがあった。午前零時、定刻より三十分遅れでもっさりと列車は動きだし、真っ暗な貧民街をゆっくり、ゆっくりと抜ける。いきなり闇の中から礫が飛んできて、ガツンという音に驚く。客車の窓ガラスに罅が入っているのはそういうわけか。怒りにはぐくまれた悪意の石。そうか、そうだよな。

列車がただただ真っ暗な中をごっとんごととんと進むと、一瞬、踏切の脇に建立されたグアダルペの淫祠が闇の中に浮き上がり、消えた。紅、白、黄、原色のグラジオラスに荘厳された黒いマリア像がそこだけ電球に照らし出され、鮮やかに眼に焼き付いた。ここいらの貧しい人たちがなけなしのお金を寄進して建てたのだ。この踏切で家族の誰かが轢かれたのだろう。

死とともに暮らす彼等は、グアダルペのマリアの奇蹟にひたと寄り添う。メキシコシティでタクシーに乗ってみたまえ。観光客を乗せる空港のリムジンタクシーから流しの雲助、いや強盗タクシーに至るまで、運転席にはグアダルペのマリアの像がかならず置かれている。貧しい人びとの家へ呼ばれてみたまえ。奇蹟の布に浮かび上がった、肌の黒いマリアのイコンがどこかに飾られているはずだ。

生きるということはいつ死んでもおかしくない危機の連続である。生とは死とのランデブーであり、人はいつかどこかで死ぬからこそ生は燃え立つのだ。死者の日の髑髏と抱き合って踊り、死んだ愛児の亡骸を花々、菓子、果物で飾り立てる彼等の、いやおうもなく犯されたる者の息子達の、それでも生まれてきた以上、一生懸命生きるしかない、彼等の一番大事な神様、母神、それがグアダルペのマリアさまなのである。伝統的カソリックである白い人たちの家には黒いマリアはいない。この国の大部分を占める、犯されたる者の息子=褐色の人々だけのマリアさまなのである。

ある日、黒いマリアさまはテペヤックの丘に現れた。通りかかったインディオをナワートル語で「私の小さな子」と呼び止めて「私はマリアです。私のためにこの丘に教会を建ててください」と鳥のような声で囁いた。それが始まりである。

テペヤックはメキシコシティ北方の丘、現在でいうヴィヤ地区である。ここにはグアダルペの大聖堂がある。70年代にはこれがモダーンということで、人々をびっくりさせられると教会の支配者が思った様式だったのかどうか。旧来の伝統的なカテドラルは現存するのだけれど、なにせ地盤がもとはといえば湖だったメキシコシティのこと。地盤沈下でピサの斜塔以上に傾いており、いつ倒壊するか分からないため、近代的な大聖堂を建てた。

それにしてもなんでだろうか、三月十日の空襲で焼け、再建されたコンクリート作りの浅草寺本堂と同じ匂いがする。様式は縁もゆかりもないながら、匂いが同じというのはなんだかうれしいぞ。あたしらだって犯された者の息子だ。そうさ、人類みんなイホ・デ・チンガーダ=犯されし者の息子ではないか。

ヴィヤ地区は見事なほどメスティソとインディオしかいない。ここに来る白人はなんにも知らない観光客のアメリカ人とヨーロッパ人たちだけである。現地の白人は恐いから来ないのだ。チチャロン(豚の皮の揚げ物)が売られているし、ケサディーヨは揚げられているし、グアダルペのマリア様の彫像だのイコンだの首飾りだの、貧乏でキッチュで一生懸命な、いわゆるださいもの、怪しいものがここぞとばかりに軒を並べた店で売られている。そしてたくさん買われていく。

大聖堂前の広場では、家族に抱えてこられた敬虔な婆ちゃんが、一生の最後の土産として、膝を地面にこすりながらグアダルペのマリアさまにお参りしていく。

そして「ださい」土産を買って、遠い田舎に帰っていくのだ。おお、ヴィヤは浅草。あたしたちの浅草と同じ心根がここにはある。

グアダルペの黒いマリア様の力は絶大で、メヒコ全土に広がっている。写真はメヒコシティを遠く離れたミチュアカンのパツカロという町で売られていたとんでもなく危ないグアダルペ像。正統カソリックはこれを見てどう思うか、ふたたび宗教裁判か。ローマ法王がかき抱かれて接吻しているのが偉大なる母、メヒコの豊穣の神、アステカの大地の神、神々の母であったトナンテツイン=シワコアトルとの混血で生まれてきたグアダルペのマリアさまだ。



写真:長谷川裕

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