2007-07-01

『俳句』2007年7月号を読む さいばら天気

『俳句』2007年7月号を読む ……さいばら天気



●小川軽舟:現代俳句時評 くびきから放たれた俳人たち 第7回 小澤實 p130-

小澤實は小川軽舟の「五歳違いの兄弟子」。1986年、小川が「鷹」入会。その前年に小澤は「二十代の若さで編集長に就いた」。1999年、小川への編集長交代と同時に、小澤は「鷹」を去る。故藤田湘子・小澤實・小川軽舟の関係や事のなりゆきは、一結社の事情と言ってしまえばそれまでなのでしょうが、この3人の俳人の存在感の大きさからすれば、そうとも言いきれません。今回第7回は、「くびきから放たれた俳人たち」シリーズのなかでも、多くの人が最も注目する回ともいえるかもしれません。私自身は、一般的な結社の力学や政治についてほとんど無知で、ましてや「鷹」の歴史や事情についてまったく存じ上げないのですが、それでも、みずからがいま主宰を務める結社から去った「兄弟子」をどう描くのか、その筆致には興味がわきます。期待を胸に拝読。こちらがかすかに抱いている下世話な関心事にはほとんど応えず、コンパクトで本格的な作家論となっています。小澤實の俳句をたくさん読んでみたくなりました。作品への興味を大いに喚起する作家論は、作家論としても散文としても優れているということです。

●大特集 大景の句と身辺詠の違い p63-

身辺詠を盛んにした一つに「台所俳句」がある。台所俳句は一九一六年(大正五)虚子が「ホトトギス」で、「台所雑詠」を募集、推奨したことに発する。(小島健「総論・自然への畏敬の念と個からの脱出」)

俳句史上の常識かもしれませんが、現在の俳句のありさまのうち多くの部分が社会学的要因によって既定されていることをあらためて納得。

ところで、「宇宙」が題材の句も「大景の句」に含まれることは、多くの執筆者にとって当然視されているようです。宇宙は、それはそれは広い(らしい)。小さいか大きいかと言えば大きいのであって、「大景」と呼んでさしつかえないでしょう。でも、ここは、こだわるとちょっとおもしろい。「宇宙」という題材を、山や谷や川といった「自然」と同じ脈絡で、つまり範疇としての不連続なしに扱う俳句という文芸の融通無碍さ加減に、ちょっと微笑んでしまうと同時に、宇宙を詠んだ句がしばしば、「大景」どころか、ほぼ10センチ四方(人のアタマの大きさ)の景にしか感じられないことは、おもしろいことだと思います。それが悪いというのではけっしてありません。宇宙を「大景」と言ってはばからない私たち俳人(俳句愛好者)は、立ち位置としてすでにリアリズムとはかけ離れたところにいるわけです(*註)

●「角川全国俳句大賞」選考結果発表 p256-

応募総数14,614句。審査員8名で大賞ほかを決定。正木ゆう子の特選に「夜の雪ワープの光つきささる」(小山貴子)。『俳句』誌上では句が掲げられているだけ。ところが、岩手県で話題になっています。

〔岩手日報07-06-27〕 9歳の光る感性特選に 小山さん最年少受賞
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20070627_13

※余談ですが、このニュースは小誌『週刊俳句』のサイドバーnewsreelで拾いました。ここは必見。たまらなくローカルでマイナーな話題を拾ってきてくれます。


(*註)
俳句作品としてのリアリズムや空想の度合いをいうのではない。「立ち位置」と舌足らずにも補足したように、どこでなにを、という文脈において、例えば「土星の輪」を、海原や行楽地の雪渓を眺めるのと同様に経験することは、ふつうはできない。ところが、俳句においてはいまや、その双方が「大きな景」として範疇化される。それはもう通常の「リアル」とはちょっと肌合いの違う「リアル」に俳人が住まうことの証左とはいえまいか。かく説明する私にはその件に関して肯定も否定もない。為念。



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