二健俳句のこと ……島田牙城
なんとなくといふのか、やうやくといふのか、ほのかにと感じてゐる人もをられるのでせうが、見えてくるものがあるのです。
結社の時代だとか、俳人一千万人だとかといふ、かのいやらしきキャッチフレーズの薄つぺらさのことです。あのキャッチフレーズは、群れることを奨励するかのやうな、また、俳人とは群れるものであるといふことを喧伝するやうなものでした。それに乗るか乗らないかは、個々の資質の問題ではありませうが、世の中には易きに付く人が多いのも事実でせう。
それが今、俳句は、結社だとか俳句人口だとかとはまつたく違ふかたちで新たな何かを生み始めてゐますし、そのパワーは、かのキャッチフレーズに踊らされてゐたやうな無認識な享受からは遠いといふことは確かです。
「確か」などと書くと、証明せよといふ人が必ず現れますので、その人に一言応へておきますと、ここまですでに読んでこられてゐるわけですけれど、『週刊俳句』は結社とか俳句人口とは無縁のところから発信されてゐるではないですか。
あ、僕はべつに俳句結社否定論者ではございません。美しき結社像といふものも胸中深く温めてはをりますけれど、概して結社とは腐るものですから、気高き志の方が一代限りでお持ちになるのが良いかと愚考いたします。
…………………………
さて、宮崎二健を論ずるには役者不足の感を否めません。僕は回文や回文俳句には疎いのです。でも、月々に僕たちの同人誌「里」に二健さんが投じる七句の無意味性には、毎月にんまりさせていただいてをります。
例へば最新六月号には、
好きとどぼんと饂飩不如帰
なんていふ回文俳句が載つてをりまして、さつぱり分からないのですが、
好き→どぼん
の因果(あ、恋つて落ちるものですので)、
饂飩……不如帰
の無関係ぶり、が間抜けな味を醸し出してゐるやうで、すぐに覚えてしまふのです。
そもそも、かういふ事をやらうとすることそのことが「ふざけ」であらうと思ひますし、ふざけとは、勿論短絡はできませんが、「俳」のことです。そして二健さんの「ふざけ」からはどこかアナーキーの匂ひが漂つてきます。アナーキーなどと言ふと大仰なやうですけれど、二健さんの楽しんでをられる世界を「無秩序」の世界であると考へることはできませう。
最近の俳句はあまりにも秩序が勝ちすぎてゐます。結社や協会やの序列もさうですが、俳句そのものがお行儀が良すぎます。そんな中で定型にも納まらない回文をもつてして「これが我が俳句なり」とノタマウといふことからして、立派に無秩序への志向であり、アナーキーであります。
またこのアナーキーは、言葉の秩序を破壊してゐることからも知れます。言葉の世界では、単語と単語を連結させて秩序ある意味の城を立てることを一般としてゐますけれど、言葉の音をさかしまにしてみたら何がうまれるのか、などといふ、いはば意味からの離脱宣言とでもいふべき作句行動、これは、生れる言葉の予測不可能性を考へるだけでも充分にアナーキーなことであらうと思はれます。
「ほととぎす」をひつくり反したところで、「すきととほ」しか生れません。ここから「好きとどぼん」を生み出す行程は、ダイナミックですらありませう。
ところで、これは回文ではないのですが、新興俳句弾圧事件を取材した五木寛之の小説「さかしまに」には、逆句(さかく)といふのが出てきます。僕は二健回文俳句を読むたびに、この逆句を思ひ出すのです。
話の筋は本(昭和56年初版 文藝春秋刊 昭和61年文春文庫化)を読んで頂くとして、そこに出てくる逆句を引用しませう。
特高警察の厳しい取り調べから転向を余儀なくされた葛根灯痩といふ俳人が、筆を折る前に転向の証明として雑誌に発表した俳句、
かの男子新妻置きて弾も見き
陸奥長門海岸裂くよ春の濤
墨も荷へ艱難辛苦里着く日
実る今いくさの御国理解満つ
これらが、逆さまに読むと全く意味を異にするといふのです。即ち、
かの男子新妻置きて弾も見き
→かのだんし にひづまおきて たまもみき
→君もまた敵を待つ日に死んだのか
陸奥長門海岸裂くよ春の濤
→むつながと かいがんさくよ はるのなみ
→皆乗るは翼賛会か咎名積む
墨も荷へ艱難辛苦里着く日
→すみもにへ かんなんしんく さとつくひ
→卑屈とさ軍人なんか屁にも見ず
実る今いくさの御国理解満つ
→みのるいま いくさのみくに りかいみつ
→罪怒り憎みの作為参るのみ
葛根灯痩はこれらの句を最後に筆を折り、戦後、家族と離れて遠い地でひつそりと死ぬのですが、逆句に秘めた無念と憤怒が、権力への反抗の姿としてすつくと立ち上がつてくるではないですか。
「俳」の本意を考へるほどに、これらの逆句は俳の句すなはち俳句と呼ぶに相応しいと、思へてなりません。(これらは勿論五木寛之の創作ですが、「あとがき」によりますと「<逆句>の中のいくつかは、…略…山形の近藤侃一氏と、現在、武蔵野女子学院で教鞭をとっておられる島村桂一氏の卓抜な着想に負うところが大きい」といふことです)
宮崎二健さんは一介のバーのマスターであり、とある女性の夫であり、生れた子の親であるにすぎません。そのことにおいて、逃げも隠れもしない人だと見えます。だから二健さんの俳句は、都会に住む一人の人間であるといふ立ち位置がぶれることがないのです。
たぶん本当はすごく弱い人なのだらうと思ふのですが、弱い人ほど依怙地に頑固なのだよなとも、思ひます。そんな人が言葉を発するとき、言葉は俳をまとふのです。
父の過去を探つていつて、たうとう父の俳句の秘密に行き当たつた葛根灯痩の娘、揺子は、逆句を確かめるうちに、「バッカみたい」と呟いて笑ひだしました。
僕たちも二健さんの俳の句をよんで、その無意味性に「バッカみたい」と呟いて、笑い飛ばせばいいだけのことなのかもしれません。
さうさう、始めの話題にもどしませう。二健さんはそんなこんなで、結社なり群れるなりといふことには、とんと縁のない俳人であらうと存じます。二健俳句に光が当たる時が近付いてゐるのだといふことになりませう。そのためにも『セレクション俳人21 宮崎二健集』の脱稿が待たれるけふこの頃であります。
いくつかを……
中入り突破し初鳥居かな 二健(以下同)
なかなかによい江戸趣味ではないですか。歌舞伎の顔見世興行やもしれませんが、「突破」なんぞと物騒な単語が出てくるあたりが「俳」ですね。
貸すビルクールビズか
二健さんはもともと社会性を強く帯びた方ですので、社会の動きには敏感です。
魚に紅葉のしみも臭う
この句なんぞも渋いですね。場所はどこでせうか。渓谷を思ふことも可能ですが、ひよつとすると、裏金の行き交ふ料亭やも……
詩歌耽溺天高し
これはまた、揺るぎなき句として言葉が立つてゐるではないですか。でも、かういふ意味の通つてしまふ句の横に、たとへば、
鰯雲の目次わーい
つて、何やねん、これーーーー、と大声を発したくなる無邪気も見せられます。そして、こんな長いのもあるといふことは押さえておきたいと思ひます。
公界ただ世話になります明日マリーナに早稲田体格
また、回文以外の句も二健氏は詠むのです。そのことも、覚えておきたいですね。
血友の百合さめざめとリンガのほとり
今後ますます二健さんの「俳」に磨きのかかることを期待して、ひとまづ擱筆といたします。
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2007-07-08
二健俳句のこと 島田牙城
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1 comments:
いやはや面目ありません。
新鋭俳句ブログ「週刊俳句 Weekly Haiku」の
充実ぶりには舌を巻きます。
紙媒体の大手俳句総合誌が俳壇市場から
撤退する昨今、個人が自由に発信できる
ウェブ媒体活用での俳句活動の好見本だと
思います。当然、発信者たる個人の熱意や
信念がものをいいます。
伊達や酔狂じゃ続かないでしょうし、
根本的な俳句への情熱が不可欠でしょう。
創設・編集・運営の労を担う人は、
さいばら天気氏と上田信治氏と承知して
います。両氏とも大地に根を下ろして
いる偏見のない大人の俳人かと思います。
世の趨勢たる守旧俳句一辺倒の
狭量の器の人ではないと憶測します。
その証が、前回と今回の小特集
「回文俳句の世界」の企画です。
括りは「小」でも、その斬新的先見性の
意義は「大」だと思います。
ましてやわが普遍性に劣る回文俳句にも
矛先が向けられたともなると、
大変に奇特で珍しいことてす。
〈自己肯定のような書きっぷりを
自覚しています)
何の利益にもならないことに手間隙かけて
発信しようとする甲斐性には恐れ入ります。
拙句取り上げのみならず、牙城氏と信治氏の
前代未聞の珍評に接しては、
見えないものが見えたような錯覚に陥り、
奇妙奇天烈な旅から覚醒したアリスで
あったかのような、二重錯覚に遭遇する
こと請け合いです。要は、俳句での言葉の
意味が通るか通らないかではなく、
俳句から発せられたイメージが、
変幻自在に伝わることを望みます。
牙城氏と信治氏の評においては、
この珍妙なイメージが伝わったと
安堵しております。
イメージは作者の描いたものから離れて、
読者ならではの独自なものでいいのです。
幼子のような感性と想像力が期待されます。
信治氏は選び出す前の膨大な句群、
牙城氏には信治氏選の100句に目を通し、
各々の脳裏でご覧になった夢、
又はその分析から俳壇世相との異相を
面白く語って頂いたので、私も、
更なるイマジネーションの旅を楽しめます。
さあ、
皆さんもウサギの水先案内人を得ました。
アリスといっしょに、
回文俳句の森へ行きましょう。
※初出:BBS{俳の細道}
http://8217.teacup.com/samurai/bbs
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