2007-07-01

朗読火山俳のご紹介 仲寒蝉

朗読火山俳のご紹介   ……仲 寒蝉

                                 『里』2007年7月号掲載稿より抄出

「詩人の体内から発せられる言葉本来の姿=声=が聴衆を魅了し、圧倒する!俳句朗読という未踏の次元に挑む実験劇場」これは島田牙城が佐久の地で初めて俳句朗読の会を立ち上げた時の謳い文句である。よくもまあ、という程の気恥ずかしさだが、『朗読火山俳(以下火山俳)』にはこの青臭さがよく似合う。最初は牙城の情熱に引きずられる形でおっかなびっくり始めた私にも、今やこれがなければ俳句人生を続けられないのではと思うくらいのイベントとなってしまった。

第1回の火山俳は二〇〇二年三月九日佐久市新子田にある世代交流館、つまりは公民館で行われた。パフォーマーは信州の山越三の丸、西澤みず季、目黒哲朗、島田牙城、仲 寒蝉と東京の宮崎二健、函館の詩人木村哲也の七人。それに五嶋ふじ子、佐々木ゆき子による満州体験を語る対談で構成された。

第2回には佐久市岩村田の佐久ホテル北斎ホール、第3回からは同じ岩村田 の佐久セントラルホテルに場所を移し、パフォーマーの数も第4回には最大の十六名とふくらんだ。

今年はいつもの春から夏に、百人入りの会場から四百五十人収容の佐久市勤労者福祉センター大ホールに舞台を移して、七月十五日(日)午後二時から第6回『朗読火山俳』が開催される。今回のポスターの謳い文句は「俳句はむずかしいブンガクではない!こんなに楽しいパフォーマンスだったのか――俳句を目で読むだけでなく耳を、全身を通して感じとってみてください」というもの。

さて朗読の魅力について、俳句以外のジャンルでも、勿論俳句でも先達の色々な発言があるし、私自身も折に触れて書いてきたのだが、ここであらためて考えてみたい。

俳句に即して言えば、朗読を通して、詩が生まれたときの原初の形、つまり文字のない時代に口から発せられるものとしてあった筈の詩の状態にたち帰ることによって「俳句」という文芸を捉えなおすことが出来る。遠くまで来てしまった俳句に活力を取り戻すことが出来る。これには三つの面がある。

第一に朗読は目ではなく耳を通して聴衆に届くという面。句会で最も重要なのは披講。読み上げ方がたどたどしかったり間違っていたりすれば名句も下手に聞こえるであろう。朗読では句会の披講のようには聴衆の手元にテキストがないからより一層「耳から入る」ことを考えて作品を作らなければならない。文字と違って声は一瞬にして消え去ってゆくものだから聴衆が頭に思い浮かべることが困難な凝った表現や同音異義語はなるべく避けた方がいい。私自身は聴衆が俳句について全く知識を持たない(先入観がない)人達だと考えて朗読のテキストを組む。だから「海市」や「料峭」などすぐには意味を掴めない言葉は決して使わないことにしている。

第二に朗読は聴覚ばかりでなく視覚やその他の感覚をも総動員するパフォーマンスであるという面。つまり全身から発するエネルギーのようなものを観衆(敢えて聴衆でなく)に伝える一種の芸能と言える。俳句を文学と定義して譲らない人には邪道と映るだろうが、抑も我々の言語生活とは身振り手振りを交えた混沌としたものではないか。作者が作品に籠めた情念をより強くアピールするために舞台上での演出を工夫したとて不純と言われる筋合いはない。

第三に朗読は作者だけでなく観衆(聴衆)も参加するものだという面。この点はテキストを目で読むのとは大いに異なり、また講評を通して作品が変っていくこともある句会ともまた違う。自分の作品を不特定多数の(場合によってはほとんど俳句の知識を持たない)人達に向かって提示する。笑いやブーイング、無視など観衆(聴衆)の反応の一つ一つが作品に対する批評なのだ。その場の雰囲気を読んで作品を変えたりパフォーマンスを工夫しなければならないこともある。これは大衆に媚びるということではない。何のために朗読をするのか。他人に自分の作品を伝えるためであろう。それならばその作品に籠められた思いをよりよく伝えようと努力するのは当然のことではないか。

朗読の魅力を観衆(聴衆)の側から挙げるとやはり舞台との一体感が第一に来る。演者の個性が散らす火花に身を曝し時には野次を飛ばしたり拍手したりして批評する。盛り上がった時には演者に負けないくらいの充足感を味わえる。またテキストだと先まで一気に読んだり元に戻ったり出来るが朗読ではそうはいかない。これは欠点のようにも見えるが時間の流れを大切にすると言う点では却って利点である。書かれたものを読む場合は完全に読む側にイニシアチブがある。しかし朗読ではイニシアチブは声を発する演者の側にある。聴く側は耳をそばだて全身のアンテナを全開にして演者の投げてくるものを受け止めるのだ。時間は前に流れていくもので決して逆戻りしないという当たり前のことをあらためて実感できる。人生とは所詮そういうものではないか。

さて、朗読そのものの魅力はこのくらいにして実際の作品(演技?)について語ろう。但し私に出来るのは自分の朗読について語ることだけだ。他の人の朗読に対しても思うところは色々あるがそれをここで論じても仕方がない。これを読んでおられる方自身が会場に足を運んで、自分の感覚、理性、魂を傾けて考えていただきたい。ではお前の目指す朗読とはどんなものか、という問にはどう答えようか。

私自身は毎年色々な着ぐるみを着て或る物になり、云わばなりきり俳句を朗読してきた。一年目の「石鹸玉を吹く男」二年目の「鳥籠」は措くとして、三年目には河童、四年目には大仏、五年目の去年は赤鬼というように。傍から見ればまるで大人の学芸会のようで実にふざけた行為と映るだろう。糞真面目な人は俳句を冒涜するのかと怒り出すかもしれない。しかしここで怒る連中はすでに俳の精神を忘れているのである。見た目だけで判断するのは想像力のない者のすること。現に私は如何にもふざけた恰好で朗読してはいるが読み上げている自作の俳句は真面目そのもの(笑いを目指してはいるが)である。河童や大仏、赤鬼の目から世界や自然、社会を見ればどう映るかを詠んでひとつの「世界観」を提示しているのである。

これまでの自作を振り返ってみる。

第1回は風船を持ち、舞台で石鹸玉を吹きながら。
  しやぼん玉吹いて家出をそそのかす
  すぐ切れる子は風船を持つがいい
第2回では鳥籠に見立てたネットの中から。
  梟の声ほがらかに愚者の国
  鳥籠の外が中かもしれぬ朧
第3回は河童。パワーポイントで水生動物の絵を映写。
  食物連鎖のてつぺんにゐて海鞘を食ふ
  水澄むや河童甲羅の苔おとす
第4回は大仏。初めてすべてをなりきり俳句で固めた。
  大仏の中身からつぽ春うらら
  ふて寝してゐるとも見えて涅槃像
第5回は赤鬼になって観客席から豆をぶつけられた。
  草餅が好物などと言へぬ鬼
  鬼の首とりに誰かが来る夜長

こうして並べるとメッセージ性の強い句からとぼけた味わいの句まで聴衆を飽きさせないように心を砕いてきたのを思い出す。私自身は朗読を離れても読むに堪えるテキスト作りを目指してきたつもりだが果たして成功しているかどうか。今世の中はどんな分野でもマニュアルばかりだ。確かにより多くの様々なレベルの人間に物事を伝えるにはマニュアルが必要。しかし初めにマニュアルありきという風潮は如何なものか。マニュアルさえあれば何でも伝えられると思う人がいたらそれは幻想である。言語は人間同士のコミュニケーションにとって決して万能ではない。普段我々は話し手の身振り手振りや表情、声の調子などから実に多くの情報を得ている筈。だからこそ「それにしてもあれやな」「ほんまに」などと文章にすると何のことか判らぬ会話が成り立つ。

賢明な方は分っておられるだろうが私は決して言葉をないがしろにしていいと言っている訳ではない。言うまでもなく俳句は言語を以て書かれ、作品の質は純粋に言語表現の巧拙を基準に論じられるべきと考える。その意味でテキストこそが俳句を論じるに当たって最も大切であるし(誰が作ったか、どういう状況で作られたか、等は二の次)それさえあれば何百年後の人と心を通わせ合うことも可能だ。芭蕉という人の顔も声も身振りも知らないけれど遺された作品を味わい論じることができるのはこのためだ。

それでも敢えて俳句の活性化のために朗読を取り入れることをよしとしたい。俳句は短い詩形だけに書斎に籠って作ってばかりいると一人よがりになり力を失ってくる。自作を他人の目にさらして批評を受ける句会という形式は、だから俳句の活性化に欠かせないシステムなのである。朗読は他人の目を通すだけでなく言葉を超えたコミュニケーションの要素(笑いやパフォーマンス)を取り入れることで、より一層俳句を元気にするものと信じている。テキストが一番大事、それを踏まえた上でテキストだけではなく作者の肉体を通した言語表現の可能性を追求しようというのが『朗読火山俳』の精神だと理解している。
で、今年は何になるつもりかって?それは秘密。知りたい方は七月十五日、是非とも佐久市勤労者福祉センターまで足を運んでいただきたい。新幹線佐久平駅から歩いて二分です。決してがっかりさせません。

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第六回<朗読火山俳>

7月15日(日曜日)

佐久勤労者福祉センター 大ホール (佐久平駅前)
13:30開場 14:00開演 16:30終演予定
資料代 大人1000円 学生500円 中学生以下無料

出演 島田牙城 仲 寒蝉 土屋郷志
勝又楽水 ユぴ 河西志帆 タニユースケ
山崎百花 上田信治

後援 佐久市教育委員会
主催・お問い合わせ 里俳句会
〒385-0007 佐久市新子田915-1
0267-68-6780 Fax0267-66-1682
Email:younohon@fancy.ocn.ne.jp

ポスター http://www7.ocn.ne.jp/~haisato/kazan6p.html
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