2007-08-26

『俳句』2007年9月号を読む さいばら天気

『俳句』2007年9月号を読む ……さいばら天気




●大特集 必修!秋の基本季語74 これだけは身につけて秋を詠む p61-

実用ノウハウの特集記事に、関心事を見つけるのは難しい。そんななか、特集とは別の連載に「秋の季語」に関する興味深い記述があった。それが次の記事。

●片山由美子 今日出合う季語・9月 p102-

ところで「星月夜」という季語があります。どんな歳時記にも、星明りで月夜のように明るいことと書かれています。昔からそういうことになっているのですが、最近これに疑問を感じるようになりました。果たして、星はそんなに明るいものでしょうか。

まえまえから私もそう思っていた。星明りをそんなふうに感じるなんて、あまりにも詩的、言い換えればファンタジー。

記事では、このあと「いくつかの体験」が挙げられ、「月夜のように明るいなどとは絶対にいえない」と。

では、「星月夜」とはいったい何なのか。物語のなかにしか存在しない美しいの情景なのか。

(…)一つの発見をしました。鈴木充広著『暮らしに生かす旧暦ノート』という本(…)「星月夜」は、新月の時期で、月のない夜空の呼び名のことであると書かれていました。これは大きなヒントです。

なるほど、です。「星月夜」の句はふだんからたくさん目にしますが、これからはちょっと趣を変えて読むことになりそうです。


●小川軽舟 くびきから放たれた俳人たち 第9回 田中裕明

田中は若手における伝統俳句の雄と目されたが、伝統俳句の枠に単純に収まる作家ではない。むしろ伝統とは何かを問い質す存在だったと言ってよい。

田中裕明にとっての伝統が「写生によって否定された伝統」であり、「それは主観の復権」であるとするこの論考の把握、視座は、現在よく言われるところの「伝統」の脈絡からすると、新鮮。

さらに続いて…。

取り合わせは日本の詩歌の古典的な手法だが、虚子はこれをほとんど顧みなかった。取り合わせの活用もまた、田中にとっては伝統の回復だったろう。

示唆深い。虚子-爽波-田中裕明という「伝統的」系譜に新しい把握をもたらし、きわめて示唆に富む。さらには田中裕明の「主観」の行方を、最後の句集『夜の客人』まで追い、作家論として端正なまとまりも見せる論考。熟読の価値、大いにあり、です。



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