2007-09-30

柳蘭 柿崎理恵

柳蘭 ……柿崎理恵




柳蘭が花穂を風にまかせている。

草姿は月見草と似ていて、花弁の色はショッキングピンクだ。その群生は道路脇に丘に、浮き立つような、違和感さえ抱かせる色を広げている。

秋風がたつと、さわさわと、柳蘭の揺れる音が耳に入ってくる。そして風が強くなるにつれて、ざうんざうんに変わり、わたしの背丈くらいある柳蘭は右に左に自由に靡き始める。こうなると、柳蘭そのものが風を掴んでいるように感じられ、風景は少しけものめいてくる。

ショッキングピンクの群は思いのままに風と遊び、その色は重なりさらに濃くなる。そしてしばらくの後、急に風を手放し、静寂の中に戻る。

どの花穂も一様に天を指しつつ、一時、次の風を待つだけだ。

よく見てみると柳蘭の群生の中に、種をびっしりと付けた蝦夷丹生や紫の鮮やかな鳥兜が混ざる。鳥兜の花の形は、英名でmonk’s hoodと言われるように、チベット僧の帽子の形に似ていて、その名前から修行僧が何度も会釈しているような風景を想像して、少し可笑しい。

鳥兜の根が猛毒なのはよく知られているが、花だけを見ていて、そのあやうい美しさに目を離せなくなったことがある。後になってから、紫色の花弁に透ける繊維が、人間の神経のように見えるからだと気付いた。植物なのにどこか動物的なのだ。

柳蘭と鳥兜が咲き始めると、アラスカは秋に入ったのだと思う。柳蘭は英名をファイヤーウイードといい、そのまま訳すと「火の草」で、山火事の後に最初に生える草なのでそう名付けられたと聞く。でも、その群生が風に靡く様は火が走っているようにも見えるし、わたしには、その色から、晩夏のやりどころのない倦怠感が辺りに広がる感じがする。

八月の半ば、柳蘭の道を五時間南下した。アンカレッジからホーマーへ向かう州道一号線は、週末には渋滞することもあるくらいで、たくさんの車が小型ボートを牽引して走って行く。

運転しながらどこか追われるような感じがあったのは、秋を意識していたからだと思う。アラスカの夏も秋も短いので、この時期を逃すと秋の花にも鳥にも会えなくなる。それに、道ばたに延々と続くショッキングピンクの花にも、どこか煽られている感じがしていたのだろう。

一週間雨が続いたホーマーだったが、その日は晴れていて、風は少し冷たく日差しを肌に感じた。 青空にもよりいっそうの透明感がある。名残の暑さ、こういう日は八月のアラスカに多くはない。 サーモン、ハリバット釣りの基地になっている小さな町には、そこここに観光客が見られた。

ホーマーの友達と相談し、海を渡り湾の向こう側へ行くことになった。チップス、西瓜、ビール、ジャーキー、サンドイッチ、ジュースなど、持てるだけの食べ物とカヤックを積み、小型ボートに乗り込んだ。80馬力のYAMAHAのエンジンは10人を乗せて、朝凪の海に規則正しい白波を立ててゆく。

ボートが近づくと海鳥がたちまちに羽ばたいてしまうのは残念だが、ラッコはそのままに留まるので、近くで見ることが出来る。丸い頭を海面から覗かせて、その丸い目で、彼らの海の闖入者であるわたしたちを見る。わたしはラッコに観察されているような気がする。そしてなだらかな背中を見せたかと思うと海面から消え、少し離れたところにまた、ひょこっと丸い頭を現す。

対岸のカチャマック・ベイは入り組んでいて小さな島がたくさんあり、ボートかセスナ機でしか行くことは出来ないので、人口は少ない。夏の間キャビンに人がくると言っても、誰にも会わないこともあるくらいだ。

浜辺は少なく、海面からすぐに岩場、その上に針葉樹のスプルースがまっすぐに伸びている森が続く。尖ったスプルースの梢にはよく白頭鷲が見られる。獲物を探しているのだが、ボートで側を通ると、一番高い所ですべてを睥睨しているかのような迫力を感じる。

海の風を頬に肩に感じながら30分くらいは乗っただろうか。いくつもある小さな湾のひとつ、タトカ・ベイに着き、ボートの錨を降ろした。湾の行き止まりになっているところから浜辺が続いている。浜一面にライムグラスの花が咲いていて、稲のような小さな花に、むせぶような花粉の匂いがある。そしてライムグラスと一緒に柳蘭の花が揺れている。

ショッキングピンク、アラスカの晩夏から初秋の色。

羽根や石を集めたり滝を見に行ったりしたあと、少し疲れたのでビーチで寝転がることにした。日差しは相変わらずだ。

しばらく海を見ていたら、沖に魚が跳ねていることに気付いた。この時期からするとピンクサーモンかと思い、漁師だったTちゃんに聞くと、そうだと言う。

そのあたりだけ海の色が濃くなっている。海の色を変えるほどサーモンが群れているのだ。

カヤックでそこまで漕ぎだしてみたいな。 少し怖いけど、サーモンの群れを近くで見てみたい。

カヤックに乗ると、にわかに水面の煌めきが目に飛び込んできた。視点が変わり海面が近くなったからだろう。光がゆらゆらとたゆたっている。太陽まで続いている、海の上の光の道。パドルでその光を掬い上げたら、パドルの先から光の糸となって海に垂れ下がった。右に左にその光の糸を操りながらカヤックはサーモンの溜まりへと進んでゆく。

しばらく漕ぐと向こう岸の山が少し大きくなった。森の緑さえ猛々しく感じられる。わたしが近づいたので、サーモンの群はいくらか沖に動いたようだったが、それでも5メートルくらいの距離まで近づけた。

光の中にある海の色。北の海は深い青だ。そしてひとところ、より深い濃い青はサーモンの群、100は越すだろうか。

あ、跳ねた。

海面から踊り出るように、サーモンの撓りが宙へ放り出された。そして、そのままの形で海面を叩きつけたかと思うと、視界から消えた。大きな水しぶきが残るだけだ。

わたしの位置からだと逆光なので、サーモンのシルエットがそのまま浮かび上がり、そしてその形が、身体のどこかに焼き付いたような気がした。

サーモンはどうして跳ねるのだろう。撓るのだろう。生殖へ向かう叫びだろうか。果てる命への慈しみだろうか。

あ、また跳ねた。

しばらくして、浜へとカヤックの帆先を向けた。太陽を背にして見た海の色はいくらか淡く、浜にいる仲間に、何故か懐かしさを感じた。そして、パドルを漕ぐたびに、ライムグラスの銀色と柳蘭のショッキングピンクが近づいてきた。

スプルースの森より見える海

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