2007-10-28

谷雄介 故郷

谷 雄介 故郷


落ち柚子の真白き黴や大旦
辛うじて酒屋にもらふ初暦
吹きすさぶもののひとつに梅の花
白魚に腸といふかげりあり
とりどりの漬物並ぶ余寒かな

料峭やマリネとなりし魚介類
春深し折鶴卓より落ちゆくとき
大いなる椿となりし椿かな
祖母は棒で犬を叩けり昔の春
門限の頃の桜のうつくしく

春のくれ馬糞は馬を離れけり
ひらひらと挨拶かはす更衣
はつなつの畳にあれもこれも出す
そこで私を振り返る扇風機
麦秋に取りおとしたるペンは赤

夏夕べ牧場に点る煙草の火
草笛の父に夜空のありにけり
火のいろをせし鳥籠を夏の暮
山の端の都市の明るし秋隣
夏芝居先づ暗闇を面白がる

恥づかしきもののひとつに半ズボン
花茣蓙に母の一族収まらぬ
はんざきといふときめきに石渉る
いつも手の届かぬ位置に花水木
水喧嘩あをき言葉を探すなり

青田風カレーライスの膜漲る
趣味のなき部屋まで黴の及びけり
据付の鏡をはづす晩夏かな
秋立つや金属製の仏たち
母の足裏しろくて鷹の渡りけり

祖国とはさみしきひびき稲の花
林檎より重たきものを思ひをり
奥山に曙光いたれり鳥兜
雁の胴体しろきこと云はむ
落鮎の骨かんたんに抜かれけり

秋彼岸みづうみに指浸してゐ
葡萄園支柱かたむきかたむきかたむく
おほどかに陽をかへしをり葡萄園
こだはりのなき葡萄酒を醸しけり
冬の草すなはち雨の上がりけり

枯園に取り嫁取り婿とならむ
ネクターに糖分多し葱畑
老人や葱畑とはつまびらか
枯葱が青葱に寄りかかりをり
柿色の着物いただく寒夜かな

球体のごとくに年の暮の街
侘助に石垣といふ高さあり
錠剤に英字刻まれ冬ふかし
水仙のとほくに煙上がりをり
着膨れてこれは私の入る墓




19 comments:

匿名 さんのコメント...

1月に始まって12月に終わる50句。作者の律儀さの一端。でもこの破綻の無さが物足りなさかも。

20歳代前半にしてこの上手さ。角川俳句賞マンネン候補作者となってしまうのではないか・・・などという危惧も。私自身、俳句研究賞マンネン候補作者だったから、本人が一番その辺り危機感を持っているのでは・・・と想像。「落しどころ」を知ってしまうと「外しどころ」を忘れてしまうんだよねぇ。だから、「〇〇といふ」とか「もののひとつ」とか「ごとくに」とか衒いを感じさせる措辞が多くなる。

仕舞いの句は確信犯的だけれど、イタダケナイと思う。

少々俳句を長くやっているものからの一言。【もっと壊れろ】

以下好き句。

落ち柚子の真白き黴や大旦
門限の頃の桜のうつくしく
はつなつの畳にあれもこれも出す
そこで私を振り返る扇風機
草笛の父に夜空のありにけり
夏芝居先づ暗闇を面白がる
秋立つや金属製の仏たち
錠剤に英字刻まれ冬ふかし
水仙のとほくに煙上がりをり

匿名 さんのコメント...

白魚に腸といふ影ありにけり

腸(わた)
添削しちゃった・・りして。。。

五七五は、大事です。
助詞を省略し過ぎて三段切れになりそうな語の置き方や、自作なので読む前に判っている句またがりを、「いいんじゃないか」と思うのは、才能のある人にありがちな勇み足と思います。
それもいいけど、普通に読むことが出来るようになるのにも年数がいるのかしらん。
頑張ってね!

匿名 さんのコメント...

あれ??

普通に「詠む」ことが・・・でした。(..)

匿名 さんのコメント...

白魚に腸といふかげりあり
大いなる椿となりし椿かな
門限の頃の桜のうつくしく
春のくれ馬糞は馬を離れけり
麦秋に取りおとしたるペンは赤
夏芝居先づ暗闇を面白がる
いつも手の届かぬ位置に花水木
秋立つや金属製の仏たち
祖国とはさみしきひびき稲の花
林檎より重たきものを思ひをり
枯葱が青葱に寄りかかりをり

「青年期」、そのようなものを感じる。
作者の方は昭和60年生まれとのこと。
確かに青年なのだが、その青年らしさが句によい意味でも悪い意味でも出ている。
暗闇を面白がったり、馬糞に注目する少年の部分。
門限の頃の桜を愛でたり、花水木がいつも手の届かない位置にあったり、祖国という言葉
反応したくなる思春期。
青葱よりも枯葱に目がいく、大人へと背伸びをしている青年期。
これらが渾然として作品に詠みこまれている。
青年期とは結局ごちゃごちゃなもので、そのごちゃごちゃが芳しかったり、かっこわるかったりする。
だからこそ芸術作品に青年期というものが
よく描かれる。
青年期は輝いているが決して美しいものであってはならない。

青年期ではあるのだが、「よいこちゃんの」青年期というのが正確なのかもしれない。破綻がない。
「理由なき反抗」などに見られるよう、思春期から青年期はあらゆるものに反抗したくなる時期である。私のように全てのものに服従し続けて中年になってしまっては何のために生まれてきたか分からなくなるときがある。
反抗することがこの時期の生の証である。
反抗はときにして破綻しているものだ。
だからこそ青年期には滅びの美学がある。
壮年期や老年期とは異なるガラスの切っ先のような滅びの美学である。
しかしこの作者の方からは反抗も破綻も感じない。反抗はときとしてかっこいいものとして取り上げられるが、破綻はいつの時代もかっこわるい。逆説的な文脈でしかかっこよくなることはできない。

かっこわるくあることが怖いのではないだろうか。いくら道化を演じても自分の中に屹立と立ち聳える何かがあって、それを壊すことを恐れてはいないだろうか。

とてもことばに対して才能のある方だと思う。
一皮剥けると破綻とは決してイコールではないけれども、何か或る半径の円の中で作句していらっしゃるという印象を受けた。

「青年よ、大志をいだけ」とクラーク博士は言ったそうだが、大志をいだくことはときにかっこわるいときもあると、そう思う。

妄言、失礼いたしました。

匿名 さんのコメント...

はじままして。
少し気になって投稿させていただきます。

↑白魚に腸といふかげりあり に対するクレーム。
腸は、はらわたと読めば問題ないのでしょう。


さておき、私の心に引っかかるのは、

白魚に腸(はらわた)といふかげりあり 
詫助に石垣といふ高さあり

この2句を読み返すとき、高浜虚子の有名句が頭の中を去来するのですが、わたしの考えすぎなのでしょうか。

私は、俳句初心者です。
どなたか、このことについておさばきいただければ、さいわいです。

匿名 さんのコメント...

無名さん

鮟鱇といいます。こんばんは。
高浜虚子の有名句というのは、

帚木に影といふものありにけり と
酌婦来る灯取り虫より汚きが  でしょうか。それとも
去年今年の  あのなんとかいうものでしょうか。

広く意見をお求めなら、どういう句なのか、お示しになられた方がよいと思います。


ちなみに、
白魚に腸(はらわた)といふかげりあり と
帚木に影といふものありにけり 
では、別の句ですね。
白魚有腸含翳 と
帚木有影
「翳」と「影」は同義と見ても、白魚にあるのは腸であり、その上で「影」であり、箒にあるのは「影」だけです。

上田信治 さんのコメント...

カツオ: どれくらい、本気なんだろう。
ワカメ: 谷君が、俳句に? それは、本気でしょう。ていうか、人の本気を疑うということがヘン。
カツオ: 俳句を書いていくことについては、そうだろうけど……。こういう句は本気かなって、ことよ。

 夏夕べ牧場に点る煙草の火
 山の端の都市の明るし秋隣
 奥山に曙光いたれり鳥兜
 秋彼岸みづうみに指浸してゐ
 おほどかに陽をかへしをり葡萄園

ワカメ: ……たしかに、別人が書いたみたいだけど。50句の中には、あってもいいんじゃない。
カツオ: 「角川、こんなもんでしょ」って思いながら書いてる気しない?
ワカメ: それは、気にするほうが不純。純粋に、作品を読むべきでしょ。 
カツオ: 作家として、どうなの、それは。
ワカメ:  勝負に出ない句は、無難に無難に。作品発表の場じゃなくて、賞だから、これ。
カツオ: それ、両面あっていいと思うんだけどな、地方の俳句大会じゃないんだからさーw  じゃ、勝負に出てるのって、このへんかな?

 吹きすさぶもののひとつに梅の花
 大いなる椿となりし椿かな
 ひらひらと挨拶かはす更衣
 白魚に腸といふかげりあり
 祖国とはさみしきひびき稲の花

ワカメ: そのへんは、グレーゾーン。〈白魚〉は、いいんじゃない。みんなが立ち止まる句。
カツオ: やっぱり別人が書いたみたい。ふつう過ぎる。
ワカメ: いい句をあげましょうよ。
カツオ: 一番好きだったのは、このへんかな。

 料峭やマリネとなりし魚介類
 祖母は棒で犬を叩けり昔の春
 春のくれ馬糞は馬を離れけり

ワカメ: あんたが、予選通らない理由が分ったわ。
カツオ: 〈料峭や〉いいと思うよ。明るさと冷たさと酸っぱさ。〈春のくれ〉もいいな。馬を離れる瞬間が、馬糞の一番いいところだから。
ワカメ: もっと、ほら、あるじゃない。

 落ち柚子の真白き黴や大旦
 夏芝居先づ暗闇を面白がる
 草笛の父に夜空のありにけり
 林檎より重たきものを思ひをり
 枯葱が青葱に寄りかかりをり
 水仙のとほくに煙上がりをり

カツオ: いいよね。本気で、賞取りに行くんだったら、この線でそろえればいい、とか?
ワカメ: いや、今年もけっこう、取る気で…。
カツオ: こういう、いろんなふうに書ける人を見ると、やっぱり内容だいじだな、と思うよ。いろんな書き方といえば、今年の50句には、勢いで押してくるような句がなかったよね。去年でいえば〈金屏風倒れ北方の春のごとし〉とかさ。
ワカメ: 文体が安定したともいえる。人の意表を突くのが好きな人だから、また、がらっと替えてくるかもよ。
カツオ: 楽しみです。
ワカメ: なんだかんだ言って、ファンだね。

匿名 さんのコメント...

鮟鱇さま

つたない投稿にレスをいただき、ありがとうございます。

句は、ご推察の通り“帚木に影といふものありにけり”です。
何週か前に虚子特集の中で取り上げられていたので、今更のようにおもえて省略してしまいました。
俳句のきまりや語彙に疎いので、わたしの言葉で語らせていただきます。わたしの言いたかったことは、歌詞ではなくメロディのことだったのだとおもいます。50句からなる「故郷」という楽曲のなかに2句、(歌詞ではなく)メロディに聞き覚えがあるのだけれど、それは門外漢ゆえの勘違いなのか、それともよくあることのひとつなのか、もとほかのことなのか、この世界に長くおられる方のご意見を聞きたかったのです。

でも、↑の上田信二さんのすばらしいコメントを読んでいたら、自分のひっかかりはなんとも瑣末にすぎるようにおもえてきました。KYカードをそっと出されたようで・・。もうすこし勉強させていただきます。

匿名 さんのコメント...

匿名さま
 鮟鱇です。ご返事ありがとうございます。俳句は初心とのこと、私も初学で、まだ俳句はほとんど作っていません。初学と初心は目くそ鼻くそのたぐいで、その言説にはほとんど価値がありせんが、老爺心ながら、一言。
 虚子は俳人としては多面性があって優れた作品を残しています。そして、近代における定型と季題の権化と見なされていながら、結構そういうことに適当である句が多いように思えます。そこで、彼の俳句に学ぶのはともかく、彼の言説や取り巻きの論いには、十分に気をつけた方がよいと思います。今話題の

 帚木に影というものありにけり  は
 着眼点のよい句ですが、漢訳すれば
 帚有影
 の三字だけで十分です。だから、尾崎方哉であれば、
 帚に影あり(八音) あるいは
 帚に影(六音)

 としたでしょう。十七音―六音=十一音。この十一音の水増しはなにごとですか。五七五に作る定型俳句で、これほどまでに無駄な音を水増ししている作を、私は寡聞にして知りません。定型を絶対とするなら、十七音の杯になみなみと酒を注いでいただきたいだと思いますが、いかがなものでしょうか。

匿名 さんのコメント...

白魚の腸がどうしたとか、煙のようだとか、
かげにたとえたなどという句はそれこそたくさんありますよ。
この作者はもっと高次の表現をめざせるのではと思います。
また、17音において何も語らずに終わるのも俳句です。
漢訳したものと俳句の価値は全く別物ではないでしょうか。
今回の50句の中で、むしろ白魚の句は
入れないほうがよかったのではという
気がしますが。

祖母は棒で犬を叩けり昔の春
春のくれ馬糞は馬を離れけり
はつなつの畳にあれもこれも出す
そこで私を振り返る扇風機
火のいろをせし鳥籠を夏の暮
夏芝居先づ暗闇を面白がる
葡萄園支柱かたむきかたむきかたむく  

時間の感受の仕方に、芝不器男に近いものが
あるように見受けられました。

匿名 さんのコメント...

鮟鱇さん
はじめまして、文香です。
>定型を絶対とするなら、十七音の杯になみなみと酒を注いでいただきたいだと思いますが、いかがなものでしょうか。
日本酒は溢れるくらいがいいかもしれないですが、ワインの場合はグラスにたくさんは注がない。私はワインについて何も知らないですが、確かあのくるくるっとグラスを回して香りを楽しむんじゃなかったでしたっけ。ワインが少ないからってお猪口になみなみと注ぐのも粋じゃないし、何しろワイングラスで飲むと安いワインもかっこがつく、俳句の定型も、そんな感じではないでしょうか。もちろん格好だけ俳句で中身はどうでもいいようなのもありますから、注意注意、ですが(ちなみに私は「帚木に影といふものありにけり」はいただけないクチです)。

ところで谷雄介「故郷」。
私は決して上手いとは思わなかったです。既成の型に面白いことをはめ直すという意味では一句一句は器用ですが、選句、構成の面では不器用さを露呈してるんじゃないか、とすら感じました。同じ型を使いすぎだし。だってこの作者、やろうと思えばもっと破綻なくできる。
挙句も朝比古さんのおっしゃるように確信犯的ですが、ここまで誰が見てもいただけない句を持って来てしまうのは、不器用としか言いようがない。
でも私はこの50句から感じ取れる「物足りなさ」は、今までの谷雄介とは違うものだと思いました。去年の「俳句抄」http://members2.tsukaeru.net/haikumachine/haikusyo.yusuke.htmlからは、自分は俳句が巧く作れると驕って(実際巧みではあると思うし)、何で自分に○が付かないんだと不平を洩らしていそうな様子が、作品から滲み出ていた。いい意味でも悪い意味でも、非常に若者らしい50句でしたから。
ところが今年は、少し大人。対象の表面を攫うのでなく、その情景がたとえ虚構であっても、謙虚に咀嚼しようとする姿勢が見受けられます。「夏芝居先づ暗闇を面白がる」「柿色の着物いただく寒夜かな」など。
「落ち柚子の真白き黴や大旦」で始まるこの「故郷」。上手な俳人でも青年期の人間でもなく、谷雄介が彼自身を指して(少し悲しそうに口を尖らせて)言う「僕」に近いのではないでしょうか。
来年は、50句という大きな器に過不足なく料理したものを盛り付ける、「デキル男」になっていることに期待します。ヘタウマとか、天然ができる作者ではないから。

匿名 さんのコメント...

匿名さん
 私がやっている漢詩では三十一字と十七字の間に、私が知っているだけで四十の定型詩体があります。七絶(二十八字)と五絶(二十字)の二個だけじゃない。また、十七字より少ないものもあります。どうして、日本には、三十一字と十七字と、都都逸とかあと少ししかないのですか?
 尾崎放哉の「咳をしても一人」だって定型ですよ、みんなが六・三で作るようになれば定型になりうるという意味で、ですけど。「帚に影」だって、定型になりうる、四・二。ただ、その定型性に気がつかない人が多いというか、その定型性を認めようとしない人が多い。
 わたしは十七音を否定してはいませんよ。だれにだって慣れはある。その「慣れ」で作ることが悪いとも思いませんよ。それが定型。しかし、自分の「慣れ」ですべてを評価して、他の定型なり定型性なりを認めないのはいかがなものか、と思う次第。
 それから、俳句は「何もいわなくてもよい」ことについてですが、「帚に影」だって何も言っていませんよ。「帚木に影といふものありにけり」だと何も言わなくて、「帚に影」だと何か言うことになるのですか?

文香さん 
 これ以上のやりとりは、谷さんにご迷惑だから退場しますが、ひとことだけ。
 ワインのお話、わからないでもありませんが、それなら短歌ほどの長さで俳句をやってみる手もありますね。満杯にしなくてもよいのは十七音だけの特権ではないでしょう。

匿名 さんのコメント...

つい乱入・闖入。

「帚木に影」だと、「しらべ」が出ないんです。
「しらべ」がないと、意味にせよ無意味にせよ、意味だけが取り残されてしまい、俳句のきわめて美味しい部分が味わえない。

俳句の長さが論じられるとき、盛られる「内容」ばかりが話題になりますが、しらべの長さもあります。

俳句のしらべの長さにハマると、その悦楽をとことん聞き尽くそうとする。

だから、「意味」はワイングラス程度かあるいは5音程度で盛り尽くせても、あのしらべを聞きたいので、17音に仕上げる。

17音ぴったりに盛られた俳句は「よく出来ました」の丸をもらいやすいが、その「しらべ」をちょっと煩い、鬱陶しいと感じることもあります。

私は、ゆるい句のしらべも好き。

ただ、雄介さんの句は「腸=翳り」という仕掛け(見立てor真面目な観察)があるので、「帚木」の句と並べるのはちょっと乱暴すぎます。

さんのコメント...

あのう・・。谷さんの句にかぎって、先に他の方のコメントを読んでしまって・・。オズオズお邪魔します。

白魚に腸といふかげりあり
草笛の父に夜空のありにけり
秋立つや金属製の仏たち

などに目がとまりました。意識的にリズムが壊されている句が散見されますが、一方、とても古典的に思える句もあり、ちょっと全体のイメージが掴み難い印象を受けました。若い方とのこと、きっとこれから様々な試行錯誤を重ねていかれるのでしょう。お名前、記憶させていただきます。

優夢 さんのコメント...

吹きすさぶもののひとつに梅の花
料峭やマリネとなりし魚介類
大いなる椿となりし椿かな
祖母は棒で犬を叩けり昔の春
草笛の父に夜空のありにけり
夏芝居先づ暗闇を面白がる
恥づかしきもののひとつに半ズボン
林檎より重たきものを思ひをり

あたりが好きでした。かっちりしたのもくずしたのも、細かく作ったのもぼかして作ったのも、全て狙い通り、という感じ。個人的にはそういうの、結構憧れではあるのだけど。

50句でうまくまとまっているために、逆に言うと意外性がないのかも。

匿名 さんのコメント...

谷 雄介様

 鮟鱇です。こんばんは。
 玉作「白魚」云々の句で闖入しただけで失礼しました。
 あなたの作品では、目の前の「空間」ではなく、脳内の「時間」に関わる句作りが面白く、勉強になりました。

辛うじて酒屋にもらふ初暦    の 辛うじて
吹きすさぶもののひとつに梅の花 の 吹きすさぶ
料峭やマリネとなりし魚介類   の となりし
春深し折鶴卓より落ちゆくとき  の 落ちゆく

祖母は棒で犬を叩けり昔の春   の 昔の

そこで私を振り返る扇風機    の 振り返る
麦秋に取りおとしたるペンは赤  の おとしたる 

夏夕べ牧場に点る煙草の火    の 点る
夏芝居先づ暗闇を面白がる    の 先づ

水喧嘩あをき言葉を探すなり   の 探す

青田風カレーライスの膜漲る   の 漲る
趣味のなき部屋まで黴の及びけり の 及び
据付の鏡をはづす晩夏かな    の はづす
母の足裏しろくて鷹の渡りけり  の 渡りけり

祖国とはさみしきひびき稲の花  の さみしき
林檎より重たきものを思ひをり  の より重たき
雁の胴体しろきこと云はむ    の 云はむ

 この辺でやめますが、俳句は一瞬を凝縮して詠むと説かれることが多いようですが、むしろ時間を引き伸ばそうとしているところが、私には面白い。
 動きを描く言葉が生きれば、「時間」が生きるということでしょうか。就中

春のくれ馬糞は馬を離れけり

 馬が糞を垂れるさまが、スローモーションのように鮮やかに頭に浮かびます。 
そこで、

葡萄園支柱かたむきかたむきかたむく

 「かたむきかたむきかたむく」もまた、スロ-モション でしょうか。

冬の草すなはち雨の上がりけり の すなわち
水仙のとほくに煙上がりをり  の とほく

 もまた、時間を稼いでいる。こういう句を見ると、歌は時間を詠み、句は瞬間を切り取る、ともっともらしく説く愚論に騙されずに済みます。

祖母は棒で犬を叩けり昔の春

 今の春ではなく、「昔」の春を詠むところが立派。句の裏にある「今」として、犬の糞を拾う妙齢のご婦人の姿が、わたしの眼に浮かびますけど。
 季語を使えば、それで当季諷詠となるものではなく、むしろ当季諷詠による写生でないところが秀逸。
 詠むべきは、ニュートン空間ばかりにあらずです。人間には脳味噌があるわけで、脳味噌にとっては、目の前にあることどもの写生はつまらないものです。

 最後に好きな句もうひとつ。

着膨れてこれは私の入る墓

 糞も墓も私の好きな詩材ですので。

 十二音技法をめぐって、ネット上であなたの言葉がなかば神話化されつつあるように私には思えますが、遠藤さんの論も秀逸、あなたの言葉の断片も詩のように私には響きます。
 十二音技法はけしからぬという年寄り俳人、きっと多いでしょうね。でも、十二音技法で作ってはおらぬと言い張ってみても、実質十二音技法だとしたら、そういう人らはどうするのでしょうね。
 
 十二音技法では、確か五分で一句。漢語三四三の曄歌、四七の灣俳なども、大体そのぐらいの時間です。つまり、頑張れば日に二百。そんなものは、詩じゃない、という人もいますが。

    讀谷雄介先生之玉句作一首添字曄歌

 春暮鶯啼。馬糞將離,馬去西。(中華新韻十二斉の押韻。啼離西)  
   春暮に鶯啼く
   馬糞まさに離れんとして
   馬 西に去らんとす

匿名 さんのコメント...

たくさんコメントありがとうございます!

>朝比古さま
マンネン候補者の危機感はないですね。でも、衒いを感じさせる措辞は、かっこ悪いかった。そこは猛省してます。
「もっと壊れろ」と言われると「もっと壊れていない俳句を作ろう!」と奮起しちゃうくらいには健康的にひねくれていて(笑)でも、朝比古さんのアドバイスなんで、聞きます。

>百花さま
それだとモロ虚子になりませんか?(笑)「影」という言い方は少し違うかな、とも。
「句歴?そんなの関係ねぇ!」というのが持論でして・・・僕の俳句に至らぬことがあれば、それは年数というより、もっと個別的な原因かなと。

>匿名さま
あれ?意味がよくわかんなかったという感じなのかな・・・?

>さわdさま
僕も年相応に書けてたかと。ちょっとうれしくなったりして(笑)
かっこわるくあることが怖い、というのはその通りだと思いました。自分から先にかっこ悪い役回りに走っちゃうのも、ある意味、「本当にかっこわるいところ」に行かないよう、あらかじめ防御本能が働くのかも。でもそれってさわdさんも僕と一緒なんじゃないですか?

>匿名さま
あ、以下にまとめてコメントさせていただきます!

>鮟鱇さま
あ、こちらも以下にまとめて・・・。

>信治さま
祖母は棒で犬を叩けり昔の春
枯葱が青葱に寄りかかりをり
あたりは自分でもすごく好きな句でした。来年はこのへんで揃えたいです。
「勢いで押してくるような句」、あ、確かにない。もうそろそろ丸くなってきたのかな・・・。

>匿名さま
「箒木」の句、意識してました。でもやっぱり箒木の句の方がいいですね。

>鮟鱇さま
あ、漢語にするって新しい視点!
「無駄な音を水増し」って僕もよくやるんですよ。

>匿名さま
個人的な好き嫌いでいうと、白魚の句は明らかに嫌いな部類です。でも、半笑いしながら50句に紛れ込ませちゃうような、そういう意味合いの句ですね。

匿名 さんのコメント...

>文香さま
うん、今回はダメだね。割と自覚してます。「何で自分に○が付かないんだ」すらもいう気力がないっす。
でも「ヘタウマ」も「天然」もできるんだってば!いやホント。

>鮟鱇さま
話がどこに言ってるかつかめないんですが(汗)、5・7・5は定型だけども、5・7は定型じゃないような気がするなということを、ぼんやりと思いました。「咳をしてもひとり」は3・3・3だと思ってました。

>天気さま
少し前に「俳句的日常」にも取り上げていらっしゃいましたが、「調べ」ということ。秋桜子や楸邨が多用している用語です。たとえば『俳句開眼』(平井照敏)あたりに詳しいかと。まあ、芥川がいうところに面白みがあるんだと思うんですけど。
ゆるい句のしらべ、僕も好きです。もちろん、逆も。

>桜さま
「ちょっと全体のイメージが掴み難い印象」、そうそう、女の子と仲良くなればなるほど「谷君は何考えてるかわからない」と言われみんな去っていくんですよ。すごく損なキャラ周りです。
ともかくまだまだ試行錯誤の途中です。長い目で見ていただけるとうれしいです。

>優夢さま
いや、今回は優夢には負けた。悔しい。また来年頑張る!

>鮟鱇さま
「時間を稼いでいる」、なるほど。もちろん自覚はしてなかったんですけど、言われてみれば・・・。
「昔の春」の句、わかっていただけて本当に感謝です!僕もすごく愛着のある句です。出来如何は別として。

民也 さんのコメント...

発句 母の足裏しろくて鷹の渡りけり 谷雄介

付句 戻り来るまでじっと待ちをり 民也

足裏を見せて昼寝をしている母は、いつも死体のようだった。目を覚ますまで不安だったものだ。