2007-10-07

〈季語〉の幽霊性について 佐藤雄一

高浜虚子小論 
〈季語〉の幽霊性について ……佐藤雄一


一般的に、高浜虚子(1874-1959)は河東碧梧桐(1873-1937)らによる新傾向俳句に反発し、有季定型を固守したいわゆる「旧守派」の俳人とされている。

もちろん虚子の膨大な句作を概観しただけでも、そのようなイメージに回収されえない例外を見出すことは容易だ。とはいえ、子規の月並批判をおおむね受け継ぎつつ、あえて季語の温存を決意した虚子を、たとえば「季語にとり憑かれた俳人」とみなすことは、さほど不当ではないように思われる。

しかしなぜ季語だったのか。

仁平勝(1949-)は『虚子の近代』において、虚子における季語の使用について〈箒木に影といふものありにけり〉の句を引用しつつ、言及している。

「箒木」は夏の季語であると同時に、『源氏物語』や『新古今和歌集』を想起させる語でもある。緊密な読みの共同体でリファレンスの共有に終始すれば俳句は月並になる、というのが子規の主張だった。では「箒木」という語の使用はこの句を月並にしてしまっているのだろうか。

それは違う、と仁平はいう。「ありにけり」という詠嘆によって、この句は教養として捉えていた「箒木」と、今現在の夏に実感として捉えられた「箒木」との落差を提示してみせる。ゆえに月並は回避されているといえるのだ。

この落差は自分の実感が容易に共有されえないという「孤心」と言い換えてもいいだろう。既存の共同体に埋没しえない「孤心」、あるいは「孤独な内面」を逆説的な共通項とする共同体がネーションである。

逆に言えばネーションの成員であれば、絶えず現在に回帰してくる季節への実感と、過去のリファレンスとの落差に興趣を感じることができる。季語重視の虚子が主催する『ホトトギス』が広くマスからの支持を得たのはそれゆえだろう。

国民一般に拡く受容される季節詠。虚子の句をそう要約したとき、しかし、そのような要約に回収されないやや特異な季語の使用が見出せることに注意を払う必要がある。具体的に引用してみよう。

(イ)俳諧の忌日は多し萩の露  (初出「ホトトギス」昭和十二年*『五百五十句』)
          
(ロ)祖を守り俳諧を守り守武忌 (同・昭和十五年 『五百五十句』)

(ハ)もんぺ穿き傘たばさみて子規墓参 (同・昭和十九年 『五百五十句』)

(イ)の句についていえば、俳句に不慣れな筆者でも即座に凡作とわかるとるにたらない句である。しかし注目したいのは、句日記という方法論で国民に拡く共感されるように、最大公約数的なすなわち平凡な季節への興趣を詠んでいた虚子が「俳諧の忌日」というやや狭い射程の言葉に執着していることである。        
このような「執着」は一回的なものではない。(ロ)(ハ)にみられるよう、虚子はこの句に前後して「子規忌」や「守武忌」といった過去の俳人の忌日を多く詠むようになる。それは何故だろうか。

虚子自身が高齢になって近しい人がなくなり、また自身の死期も薄々感じられるようになったことで、彼岸への近しさという感覚が句に反映している。そのような常識的な解釈も可能だろう。しかしここでは、虚子の俳人としての変遷を通して、もう一歩踏み込んだ議論を提出したい。

初期の虚子は、自身の作家性を前面に押し出す意思をもった俳人だった。しかし年をとるにつれそのような作家的自意識は後景に退いていく。それは次に引用する句の「書き換え」にみてとりやすい。

(ニ)晩涼の池の萍動く見よ (「ホトトギス」大正十四年)
          
(ホ)晩涼に池の萍皆動く  (『五百句』)
          
(ニ)においては「晩涼の池の萍動く」という虚子の切り口を「見よ」と、すなわち自身の作家性を「見よ」という句である。しかし(ホ)においてはそのような作家性は消えている。では「見よ」と名指しするほどの作家性が虚子から消えたのか。おそらくそうではないだろう。「ホトトギス」への投句が膨大なものとなり、国民に拡く受けいれられた虚子はわざわざ「見よ」と指示しなくても、自身の感じた興趣は国民に共有されるという自負があったのではないか。言い換えれば虚子は「作家」から「国民作家」へと変遷したのである。

その点をふまえると、俳人の忌日を季語として当然のように差し入れるのも、俳句というレジームそのものが国民的であるという虚子の自負のあらわれと考えることができるだろう。しかし疑問は残る。なぜ「忌日」なのか。

いうまでもなく「忌日」とは過去に生きていた人間が死んだ日付のことである。生という出来事の一回性は特定の日付によって指示される他ないが、日付そのものには反復可能性がある。そうである以上、忌日は何度も現在に回帰し、死者を忘却の淵から呼び出すだろう。

いささか逸脱になるが、フランス語で幽霊を意味するrevenant(ルヴナン)は「回帰する」ことを表す動詞revenir(ルヴニール)の現在分詞形であり、まさに「回帰したもの」である。そのターミノロジーをあえて強引に俳句の文脈に当てはめれば「忌日」は死者が回帰(revenir)するまさに幽霊(revenant)的な日付ということが可能だろう。

さらに敷衍していえば何度も回帰してくる季語もじつはそれぞれが幽霊的な忌日といえないか。幽霊はフランス語でhantise(アンティーズ)とも呼ばれるが、これは「憑き纏う強迫観念」というニュアンスも持っている。

先に虚子を「季語にとり憑かれた俳人」と書いたが、俳人の忌日を季語として国民に共有されると自負していた虚子はまさに「俳句という幽霊にとり憑かれた国民」を創造した俳人といえるのかもしれない。 

さらに虚子のもっていたこの自負が、実は子規を超克したことの自負であると考えることもできるだろう。国民に拡く反復してくる忌日としての季語は、子規のようにドラマティックな人生をたどったカリスマを持たずとも俳句を受容させうる。いわば作品が作者の人生から自立したといえるのだ。虚子が子規忌を詠むとき、たんに師への素朴な追悼の念とともに、子規のような俳人のありかたそのものに対する追悼でもあったのではないか。

ここまで性急に虚子の句について整理してきたが、やはりやや牽強付会であることはいなめない。しかしこの強引な牽強付会が次なる議論の端緒となることを半ば願って、あえてラフなスケッチをそのまま投げ出したつもりではある。

最後に、子規と虚子との葛藤をめぐって書かれたこの稿を閉じるにあたって、病床に伏し、人に「幾たびも雪の深さをたずね」なければ季節を感じることもままならなかった子規に宛てて、虚子が詠んだ相聞歌と想われる句を引用したい。俳句という形式から、また死者に宛てられているがゆえに二重に不可能な。

 初蝶来何色と問ふ黄と答ふ    (『小諸百句』)
           




*通例に沿って元号を使用したが、筆者は元号そのものに疑問なしとしない。



 

1 comments:

k551_jupiter さんのコメント...

佐藤 さま

こんばんは。先ほどはご連絡ありがとうございます。
さっそく拝読させて頂きました。特に、季語を「ネーション」及び「回帰(hantise)」の概念から読み解くくだりは、非常に興味深く感じました。

よく言及される虚子評として、虚子は前近代的な発想の持ち主であり、子規の俳句革新の可能性を閉じた俳人だった、というのがありますが、私見では、虚子はやはり子規の継承者であり、またその俳句観も非常に近代的であると感じています。そのため、「孤独な内面」をバネとした「ネーション」と虚子の季語観とを重ねる論展開に関心を抱いた次第です。
なお、挙げられた句に関し、以下に感想めいたことを記したく思います。

■「もんぺ穿き傘たばさみて子規墓参」について
 
 当時、子規は俳聖として崇められる存在に近かったので、その子規の墓参を「もんぱ穿き傘たばさみて」という日常の姿(しかも慌ただしい)で済ませたところに、「子規=俳聖」という教養と「日常」という実感の「落差」が感じられ、そこに俳句らしさがあるように感じます。また、昭和19年という緊迫した言論統制下にこういう句を詠むこと自体、かなりの「落差」を感じさせるように思いました。
 
■晩涼の池の萍動く見よ (「ホトトギス」大正十四年)         
 晩涼に池の萍皆動く(『五百句』)
 について
 
 この相違は、佐藤様が指摘された「ネーション」の言説と深く関わるように感じます。
 たとえば、「~見よ」ですと、その風景を指し示す話者(主体)の存在が強く感じられますが、「~皆動く」には、風景を現前させる話者の存在がほぼ感じられません。
 もちろん、話者は明確に存在しているのですが、その存在を透明に感じさせてしまうことで、言葉の向こうにあたかも風景だけが広がっているように感じられる。
 「~見よ」は、話者が読者に対し、その風景を「見よ」と示すことで、その風景に対する解釈を(読者より先に)施しているのに対し、「~皆動く」は、話者は何も解釈することなく、ただ風景を描いている。そのため、どのような階層の読者もその風景の解釈に参加することができますし、また(一見)自由に解釈することが可能です。
 このように、話者が解釈を放棄することで読者にある解釈を強要させる描写は、おそらく国民国家成立後の近代に特有の描写法と感じます(江戸期には、このような描写は非常に希薄であったのでは、と思います)。
 この点に関して、個人的にはスガ(糸+圭)秀美の『日本近代文学の<誕生>』(太田書店)所収の「写生」に関するくだりが最も参考になるかと思います。絶版ですので入手はやや難しいですが、機会があればご一読下さい。おそらく、近代俳句の言説の特徴に関して、最も示唆に富む批評です。
 
 
 また、虚子の季語観が近代的であることを分析した論としては、今泉康弘「花鳥諷詠とは何か―「伝統」を装った近代」(「国文学 解釈と鑑賞」2009.1)がとても参考になります。
 「回帰」という言葉を使用すると、季語は「伝統」が幽霊のように回帰するトポスであり、そのトポスの成立自体が近代的であったことが、今泉氏の論考からうかがえます。そこでは、忌日もまた「回帰」し、あたかも国民国家に自明の記憶として定立してしまう、といえるでしょう。
 今和泉氏の発想は、佐藤様と近いところにあるように感じます。これも図書館などにございますので、機会があればご一読下さい。
  
  
 とりとめない感想となりましたが、俳句を研究している者としましては、何より詩人の佐藤様が季語に注目されることが非常に興味深く感じました。
 長文&乱文、ご容赦下さい。
 次の御論を楽しみにしてします!