2007-11-25

成分表12 クリップ 上田信治

成分表12 クリップ ……上田信治

                          初出:『里』2007年1月号



雑貨屋にあったそれは、紙を留める文房具のクリップなのだが、外国製で、ふつうのゼムクリップと違って、Dの字を横に長く引き延ばしたような、片方の端が平らになった形をしていた。

ちょっと違う形をしたクリップは、エキゾチックだった。それがザラザラと、昔ふうの紙箱に入っているところも、よかった。

自分にとって、クリップは買うものではなく、よそから来る書類に付いてきたそれを捨てずにいれば、十分、必要がまかなえるのだが、その外国のクリップを面白いと思ったことを憶えておきたくて、一箱、買って帰った。

そのクリップを買ったのは、毎年毎シーズン、せっせと服を買っていたころのことだ(今はぜんぜん買っていない)。

店には、シーズンごとに、去年とちょっとだけ違う形の服が並ぶ。ズボンの裾幅が1cm狭かったり、上着の胴がわずかに絞られていたり。

数年来、誇張すれすれにまでふくらんでいた、背広の肩の縫いつけ部分が、過去を恥じるかのように、低くなだらかになったりもした。

もちろん、それは、まず商業主義的要請によって生れた差違であって、違いのための違いである。

しかし、その微差を理解するということ自体が、つけ加える楽しみがある。

その美の基準の、小さな変化がなければ、服を着ることにふくまれる、情報処理ゲームとしてのお楽しみが、死んでしまうのだ。

自分の場合、周囲に同じゲームをしている人が、服飾店の売り子と自分の他に見あたらないことが、問題ではあったが。

  木の芽雨天気予報の通りに降る  加倉井秋を

どうして、ここで「下六」にするんだろうと思うことは、作者に親切すぎるだろうか。

しかし微差に出会うとき、感度の目盛が上がるのは、情報処理にもっとも優れた生き物である人間の、本性のようなものだ。

  汚れたる瓜の冷してありにけり   田中裕明

何かが違う。何かをちょっと違えてあることが「それ」を救っている。



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