2007-11-11

北大路翼独占インタビュー

北大路翼独占インタビュー 〔聞き手〕谷雄介



新宿駅東口を足早に出て、待ち合わせ場所はドン・キホーテ前。

ドン・キホーテに到着してみると、翼さんは既に到着していて、人ごみの中で煙草をふかしている。とてもさっきまで会社にいたとは思えない、派手な格好。一人女の子を呼んでいるというので、しばし待つ。数分して結衣さん到着。それから3人が向かったのは、新宿歌舞伎町最安の居酒屋・虎の子でした。



谷雄介(以下、) 翼さんとはどれくらいのお付き合いなんですか?

結衣 3年くらいかなー。一時期はすごく仲良くしてたんだけど、この人、私が20歳になった途端にパタリと連絡よこさなくなったんだよ! ひどいでしょ。

北大路翼(以下、) 女は20歳までだからな(笑)でも、僕は結衣たんのことが一番のお気に入りだからね。

 えっと・・・今日は翼さんにインタビューをさせてもらうわけなんですけど、とりあえず、翼さんの若い頃のお話を伺おうかなと思ってます。確か、俳句を始めたばかりの頃は山頭火がお好きだったんですよね?

 そう。小4のときに家にあった山頭火の本を読んで、感動して、一気に俳句が好きになった。

 小4で俳句は渋いですね・・・山頭火のどんな作品がいいと思ったんですか。

 「花満開にして刑務所」とか「腰掛けてみる墓石であったか」とか。その頃から実作もしてた。

 賞に応募したり、句会に参加したりはしてたんですか?

 いや、全然。毎日絵日記を書いてた。絵を描いて、日記を書いて、日記の最後に俳句を書く。

 へえ。その絵日記はいつ頃まで続いてたんですか?

 今も続けてるよ。

 えー。ほんとですか!

 ダンボール2箱分はあるんじゃないかな。押入れの奥に大事に仕舞ってある。

 ダンボール2箱分はすごい・・・それ、翼さんが死んだら、押入れから発見されちゃっていろいろと・・・まずいんじゃないですか?

 まずいよ!(笑)絶対誰にも見せられないな。早めに処分しとかなきゃ。

 一度、翼さんちで翼さんが中学のときの写真を見たことがあったんですけど、あれ、涙が出るぐらいひどかった。稲中(※1)のキャラが現実に出てきたような感じでしたよね。すげえ暗黒時代。なんか心がひん曲がった文学少年って感じ。

 世の中のことなんて全部分かってると思ってたな。万能感や選民意識ってのは人一倍あったね。

 まあなんか典型的な早熟な子って感じですね。先生との仲はどうだったんですか?

 先生はみんな嫌いだったね。中学の頃は、音楽や体育の授業をさぼってばかりいた。そういえば、中学の頃の舎弟に「キンゲ」っていうやつがいて・・・

 ちょっと待ってください。キンゲってどんな字書くんですか?

 ばい菌の「菌」に陰毛の「毛」。みんなに嫌われていたんだけど、そういう嫌われ者って好きなんだよね。利用しやすいしね。もっとも僕も人から好かれていなかったからシンパを感じてたのかなあ。

 どのあたりからふっきれたんですか?

 高3のときが分岐点だね。高3で女遊びを覚えた。抱いたあとっていうのは女の態度が変わるでしょ。そこで初めて、支配欲というか、僕の選民意識が満たされたんだね。いまではすっかり支配されちゃってますが(笑)。あと、同じく高3のときにサッカーを見に行くようになった。

 あ、それがやがてマリノスの応援団につながっていくわけですね。それでフリューゲルスとの合併騒動のときに暴れすぎて、応援団出入り禁止になると(笑)

 まあ、そういうことだね。

 高校生になって、現在の師匠である今井聖さん(※2)と出会うことになったと思うんですけど、学校の先生としては今井さんはどんな方だったんですか?

 今井さんは英語の担当で、最初の頃はとにかくあの人とは馬が合わなかったな。毎日抗議文送ってた。「あんたは気に入らない」って。でも、ある時、お互いが俳句をやってることを知ると、とたんに仲良くなったね。

 あ、最初は知らなかったんですね。それで、だんだん今井さんと絡むようになるわけですよね。

 放課後、句会に誘われて、学校の近くの公民館の句会に行った。

 それは翼さんひとりだけですか?

 いや、他にも誘われたやつが何人かいて、加茂柏葉ってやつとか、井上秋燕とか、あと、金本アンドレ。みんな立派な俳号がついてた。加茂は大学に入ってからも1、2年俳句続けてたと思うんだけど、いつの間にかやめちゃってたな。

 最初に句会に出した俳句って覚えてますか?

 覚えてる。「心温」っていう言葉の入ってる俳句を出した。もちろん「心臓の温度」っていう意味の造語。たしか、「隣に座っていると『心温』が同じになってくる」みたいな俳句だったんじゃないかな。それを句会に出したら、どこかのじいさんに「これは『音』の間違いじゃないか?」みたいなことを言われたんで、「いや、これでいいんだ!」ってムキになって言い返した覚えがあるな。

 「街」に投句するようになったのはいつからなんですか?

 「街」創刊が、高3のとき。創刊号から投句してて、一度だけ〆切を間違えたとき以外は欠かさずに投句してる。

 「街」創刊の時には、もう楸邨(※3)は死んでますよね。

 うん。でも俳句を始めたのは早かったから、会おうと思えば、楸邨に会えたんだよ。それは心残りだな。この間初めて楸邨の家に行って仏壇に線香あげてきたよ。楸邨はキリスト教徒なのに家には仏壇があるんだよね(笑)

 最後の質問になると思いますけど、今俳句について思うことはありますか?質問が漠然としちゃってて申し訳ないんですけど。

 若手に魅力的なのがいないな。いい男もいい女も全然いない。暗い奴ばっかりで、一緒にいると3分で帰りたくなっちゃう。結衣たんは別れたあとも3分たったらまたすぐ会いたくなっちゃうもんねー。(お互い見つめあう)

 まあ、暗いやつばっかって言われたら、そうですよね。

 あと、俳句は誉められやすいから、誉められたいやつらばかりが入ってくる。才能があるやつは俳句に来なくて、才能のないやつばっかり来る。才能がない人は群れたがるからね。ルート17(※4)ってのはそういうことでしょう。

 (おお、言うなあ・・・)

 俳句甲子園組について言わせてもらえれば、本物の甲子園と比べると本気度が落ちるよなあ。ちょこちょこっと俳句作って、負けたらああ嘘泣きですか、かわいいですねって感じ。僕の持論では「どこか故障しなければ本気ではない」と思う。陸上だって真剣に走ったら、腱が切れたりするでしょ。腱が切れないのは本気で走ってないからだよ。俳句だって、つくっているうちに発狂しちゃってもいいじゃん。本気度が見えづらいところにいまいち俳句の人気がでない理由があるのかもしれない。

 翼さんは高校時代そんなに俳句に打ち込んでたんですか?

 ん。僕はまあ・・・あれだよ。そんなことないけど(笑)。これも持論だけど、「一句作るより、一人抱く方が簡単だが、名句を一句作るのは美人を一人抱くより難しい」って。結衣たんは名器だから名句以上だな。

結衣 ばかぁ。


(おしまい)




※1 稲中:漫画「行け!稲中卓球部」のこと。

※2 今井聖:「街」俳句会、主宰。

※3 楸邨:もちろん加藤楸邨のこと。今井聖が楸邨最晩年の弟子であるので、翼は楸邨の孫弟子にあたる。

※4 ルート17:20代から30代の若手俳人を中心とした俳句「ネットワーク」。ホームページのURLは、http://members2.jcom.home.ne.jp/root17/haiku/



4 comments:

匿名 さんのコメント...

今回の記事の中で、これが一番
面白かった、と。
翼さんという俳人がよくわかる。

匿名 さんのコメント...

どこか故障しなければ本気ではない」と思う。陸上だって真剣に走ったら、腱が切れたりするでしょ。腱が切れないのは本気で走ってないからだよ。俳句だって、つくっているうちに発狂しちゃってもいいじゃん。本気度が見えづらいところにいまいち俳句の人気がでない理由があるのかもしれない。

おもと さんのコメント...

地味ではありますよね。
外部から見て面白さが解りづらい。
しかし、甲子園で連投した結果プロに行けなくなってしまうほど肩を故障させた話を知ってると
「故障しなきゃ本気ではない」という言葉はどうなのかと思います。

おもと さんのコメント...

連投になりますが、俳句甲子園に参加した人らの一部始終のドキュメンタリーかつて見ましたけども(その中の主役級の人らの結末は敗退)、
負けた側はありゃ嘘泣きじゃないですよ。何をどう感じられるか(または憶測されるか?)は自由ですが。