2007-11-11

豆の木とTHC 非結社型句会の今日 上野葉月

豆の木とTHC 非結社型句会の今日 ……上野葉月



かつて俳Jack(ハイジャック)を名乗る俳句グループがあった。

「俳句の未来を人質に」をスローガンに1994年に活動を開始。

『ジャックと豆の木』からの連想によって彼らの句会は豆の木句会と呼ばれていた。

豆の木句会はその後も複数の俳句結社から若手の参加者を得て既成俳壇の枠組打破を標榜しつつ定期的に題詠即吟を旨とする鍛錬句会を行い、さらに年に数回の吟行、年一回の同人誌の発行を繰り返しながら現在に至っている。

誰一人身代金を払わなかったにもかかわらず「俳句の未来」が指一本失わずに無事戻ってきたかどうかの判断は他の人に譲るが、開始当初「豆の木」が15年続くとは誰も考えていなかったのではないだろうか。

インターネットも電子メールも一般化していなかった当時、各結社に散らばっている同年代の俳句愛好者と連絡を取り賛同者を募るのはかなりの手間だったことは想像できる。同様の所謂「超結社句会」は今日無数にあり、数回で終わるものもあれば、五年十年続くものもあるだろうが、一般的には数年の活動で解散することが多いように思える。

「豆の木」には優秀な俳人が偶然何人も居合わせたため長続きしたという説を耳にしたことがある。優秀な俳人というものがどんな俳人なのかまったくイメージできないし、豆の木には色々とあれな俳人が多いことは事実だがそれは置いておいて、このような説はまったくの本末転倒に見える。長続きしたことは何かの偶然ではあるだろうが(むしろ何かしら超自然的な理由を想定してもよい)、長続きしたことの結果としてある世代の優秀な(あるいは優秀でない)俳人多数が浅い深いにかかわらず何らかのかかわりを持ってしまったと考えるほうが自然だ。やはり豆の木が長年続いている理由は謎である。

いずれにしても超結社句会という言葉には成員がすでに任意の結社に所属しているという前提があることには注目しておきたい。

さて月日は流れ、冷たい風が若い肉体にもこたえるある晩秋の日、「ハイクライター」という箸にも棒にもかからないような言葉を考え出す程度には自暴自棄になる理由の持ち合わせがあったユースケくんの耳元に囁く者。

「初夢も夢であればそれはしょせん夢」

「季節が違いますよ、てっちさん」

どちらが突っ込んでいるのか判然としない会話だが、そう、てっちさんである。何かと風当たりの強い大学に二回も入ってしまう酔狂なこの青年は酔狂ついでに俳句にも手を染めていたのである。このようにしてトーキョーハイクライターズクラブ(以下THC)は有耶無耶のうちにどさくさと立ち上がってしまったのだが、立ち上がってしまったものは立ち上がってしまったものとしか表現のしようがない(書いている本人も何を言いたいのかわからない)。ちなみにこの二人をてっち×ユースケと表記するかユースケ×てっちと表記するかは未だにTHC内部でも決着を見ていない。

この二人の持つ木星巨大衛星の大気成分の如き人望に引かれて、多くの有為の青年たちがTHCに集結する(読者には昔漫画で読んだ水滸伝を是非思い出していただきたい)。時は携帯端末とネットの時代。真夏のバッティングセンター、秋のダム、冬の大学、春の河原、高度集積回路にも喩えられる魔都東京周辺で彼らは場所も時も省みず句会を繰り広げている。THCも超結社句会とカテゴライズすることも可能かもしれないが、成員のほとんどは俳句結社に所属していない。むしろ今後俳句結社に入る可能性のある結社未経験者たちと言ってもいい。

THCが他の俳句グループと異なる大きな特徴は「青の会」と呼ばれる句会を継続運営している点にある。

「青の会」とは一言でいえば才色兼備の人間を見つけたら甘言を弄して句会に参加させて句会の魅力の虜にしてしまおうという試みである(えっ。違うんですか?)。

「こんなに楽しいことなんだから仲間を増やさない手はない」とでも表現できる俳味の希薄なることおびただしい、ちょっとどうかと思うくらい健康的な欲求に基づいた活動だとも言える。ともあれTHCには微々たるものであるかもしれないが若年層の俳句人口増加に何らかの貢献があることは否定できない。

私見によれば俳句と師弟関係はほぼイクォールで結べる現象である。結社に属さない成員がほとんどで先生のいないTHCの活動に対して「こんなものは俳句じゃない」と談じることは可能であり正当な評価なのかもしれない。ただ俳句に限らず、真っ当なものであるかどうかという判断を必要としていたりそれに利益を感じる人間はあまり多くないのも事実だ。

俳句なんて滅びてもかまわないという人は筆者の周囲にはけっこういる。なにもそんなに慌てなくてもとは思う。俳句なんて始まったばかりじゃないかと。少なくとも歌謡曲や演歌と同じ程度には新しいジャンルという印象はある。

蛇足だが、十七音という短い詩形は常に若者の前衛心?(実験心?)を刺激することもあえて指摘したい。

せっかくの機会なので入会案内の如きものも付け足しておきたい。

活動年数も成員の年齢も開きがある「豆の木」と「THC」だが、来るものは拒まず去るものは追わずという態度では共通している。

これまでの記述の流れからある程度俳句の経験がある人は「豆の木」、俳句未経験者は「THC」と考える人もあるだろうが、本人の俳歴や年齢を考慮に入れる必要はない。各々のホームページを覗いて近日の句会の予定を確認して都合が合うほうに連絡をとって参加すれば良いと思われる。

もっともいつもそこにある「豆の木」と比べると「THC」はあっという間に霧散するかもしれないので興味のある人は早めに見学に行ったほうがいいかもしれない。主要メンバーが学生から社会人へと変わりつつあり、今後の活動が安定して継続するとは限らないからだ。もっとも首都圏の多くの大学には思いのほか俳句研究会が少ない現状があり、各大学で孤立している俳句青年の受け皿としての機能もTHCは有しているので、予想に反して長続きするということもあるかもしれないけど。

連絡方法はホームページをごらんになればわかる。

http://homepage3.nifty.com/mamenoki-kukai/

http://www.thc-haiku.net/

どちらか一方なんて選ぶ必要もさらさらない。結局どちらも参加してしまえばいい。入会金も年間費もないのだし。

(この論考には筆者の偏見、知識不足、記憶違い、単なる誤解に基づいた誤った記述がいくつも含まれている可能性があることをあらかじめお詫び申し上げます。葉月)


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