2007-11-11

ひらけチャットモンチー 岡本飛び地

ひらけチャットモンチー ……岡本飛び地



チャットモンチーというバンドが好きで、彼女たちの曲をよく聴いている。「彼女たち」と書いたことでおわかりかもしれないが、メンバーは全員女性だ。ギター&ボーカルの橋本、ベースの福岡、ドラムの高橋。敬称略。3人がそれぞれ歌詞を書き、橋本が曲をつけているという。

チャットモンチーの曲を聴いていて気付いたことがある。どの曲も確かにチャットモンチーの曲なのだが、歌詞は作詞をしたメンバーによって特徴がある、と。
橋本の歌詞は彼女の心の奥に潜むものがストレートに、飾ることなく表現されている。
福岡の歌詞は時に思いにふけるように、時にトリッキーなアイディアとともに物語が語られる。
高橋の歌詞は生きるが故の喜びや切なさを一見関係ないエピソードを交えて綴る。
橋本作詞の曲を聴いてはああ橋本らしいと思う。もちろん福岡が作詞した曲も、高橋が作詞した曲も。自分はもう、歌詞を読んだだけで誰が作詞したかわかると思った。歌詞から作詞した人を当ててみようと思った。何の自慢にもならないが、それができる自信があった。

先月、アルバムが発売された。誰の作詞か知らない曲が何曲か収録されていた。何回か聴いて、感動したり口ずさんだり間奏が長すぎると思ったりしながらも誰の作詞かを考えてみた。わからない曲がほとんどだった。「Make Up! Make Up!」の歌詞は確かに福岡が書いたとわかるのだが「手のなるほうへ」は?「真夜中遊園地」は? 曲を聴きながら、描かれた世界を背景に、メンバー3人がないまぜになったイメージが浮かぶ。目隠しをして歩いているのは橋本のようで福岡らしくもありながら高橋であることを否定できずメリーゴーランドに橋本の陰を感じる脇から福岡が垣間見えたその奥に高橋がいるようないないような。やがて混ざり合う3人の中から別の人が浮かんできた。俳句を通して知り合った友人・P子さん(仮名)だった。

P子さんが作詞したのかと思ったわけではない。P子さんの俳句を読んで同じような思いをしたことがあるのだ。P子さんの句を目にする度にああP子さんらしいああP子さんの句は独特だと思っていたのに、いざ句会となると彼女の句がどれかわからない。何も句会で作者当てをして楽しんでいるわけではないのだが、気付くと「P子さんらしい」と感じる句が無い。あってせいぜい1句。そういえば、P子さんに限らず、この人の句だろうと思っていたら違っていることもある。もしかしたらこんな経験をした人は多いのではないだろうか。

なぜこのようなことが起こるのだろうか。他人が知ることができるその人など全体のほんの一部でしかないから。単に私がまだ彼女たちのことをよく知らないから。その人らしいと思うのはその人の言葉だと思って読むから。人は多かれ少なかれ変化し、新しいものを生み出すから。様々な理由が思い浮かぶ中からまたP子さんが現れた。彼女がいつだったか言っていた。匿名だった句の作者がわかるとまた違った魅力が出てくる、と。

作者の名は、普通の単語以上に多くの意味を持つ。例えば、32歳で、男性で、結社には所属してなくて、某俳句賞を受賞して、代表作は「松島やああ松島やしいたけや」。そんなプロフィールには収まりきらない。その名を聞いて、その人が心に浮かぶこと。他の何者でもなく、その人であるということ。自分が知る、その人であるということ。知り合いであればなおさらその意味は大きく深いものになる。作者の名が作品の背景を形作ることもあれば、作品と作者のミスマッチが意外な魅力を生み出すこともあるだろう。作者の名が明らかになった時、それは扉が開く時なのだ。扉の向こうには思いがけず広い空間が広がっていて、今まで知らなかった作者の姿がある。そうやって次々に扉を開いてその人をより深く知っていくのがたまらなく楽しい。

だから人はまた句会に行きたいと思い、好きな歌手の新曲を聴くのだろう。


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