2007-11-11

気づいちゃう平面幾何 中田八十八

気づいちゃう平面幾何 ……中田八十八



大岡裁きという言葉がある。一つの裁きで右の者から左の者まで、一瞬にして納得させてしまうような、そんな爽快感が大岡越前の売りだ。平面幾何の問題が解けたときの快感はこれと似ている。ごちゃごちゃ込み入っていた問題が一本の補助線によってたちどころに解決する、そんな感覚を味わった事がある人は少なくないだろう。そんな爽快感が味わえる、ちょっと変わった定理をひとつ紹介したい。パスカルと同時代の建築家、ジラル・デザルグ(1593-1661)によって発見された定理である。この定理を「理解」するにあたって、我々は一本の補助線すら必要としない。見方を少し変えると「気づいてしまう」からだ。

Fig.1を見て欲しい(編註:図はクリックすると大きくなります)端的に言うと、赤い線を忘れた時に、P、Q、Rが一直線上にあるというのが主張だ。正確に言うと次のようになる。「三角形ABCとA’B’C’がある。各辺を延長し、ABとA’B’、BCとB’C’、CAとC’A’の交点をそれぞれP、Q、Rとおく。このとき、直線AA’、BB’、CC’が一点Oで交わるならば、P、Q、Rは同一直線上にある。」

直線がたくさん交錯していて読む気が無くなるかもしれないが、もう少しだけ我慢して、Fig.1をよく見てほしい。この定理をきちんと証明するのはそれほど簡単ではないが、「納得」するのは簡単である。それには、この図は立体を描いた図であると思い込めば良い。

つまりこうだ。O-A’B’C’を、三角錐に見立てる。この三角錐を真ん中あたりで斜めに切ったのがABCだ。もう少し噛み砕いて言おう。透明なセルロイドの下敷きに三角形ABCを描き、各辺を延長しておく。下敷きを斜めにして机に立て、上から豆電球で光を当てる。豆電球Oから放たれた光は、机に三角形ABCの影A’B’C’を映す。このときABとその影A’B’は机と下敷きがくっついている線で交わる。従って点Pは、机と下敷きが交わる直線上にある。QとRについても同様である。

勿論これは「証明」ではない。しかし改めてFig.1を見てみると、あれほどごちゃごちゃしていた図が、今やすっきりと秩序正しく見えはしないだろうか。

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ちなみに、直線たちの中に平行なものがあるとき、デザルグの定理は「破綻」する(Fig.2)。しかしこのような場合もまるく収める、うまい方法がある。平行線は無限の遠方で交わると思うことにすればよい。

こう考えよう。直線というものは、まっすぐ伸びているように見えるが、実はくるんと丸まっており、直線に沿ってずっと果てまで行くと「無限遠点」を通過した後、反対側からもとの場所へ戻って来る。平面上の二本の直線は、平行でないとき普通の点で交わり、平行なとき「無限遠点」で交わる。さらにそのような無限遠点を全部集めたものも直線の仲間に入れる事にして、「無限遠直線」とよぶ。まっすぐな線路の上に立った時、二本のレールは一点に集中して行くように見える、これが「無限遠点」であり、「無限遠直線」は地平線だ。

Fig.2ではACとA’C’が平行であるから、その交点Rは無限遠点である。PQもこれらに平行であるから、やはりRを通る。従ってP、Q、Rは一直線上にある。したがって、デザルグの定理は確かに成立している。他にも、Oが無限遠に飛んで行った場合、P、Q、Rが一斉に無限遠に飛んで行った場合など、あらゆる場合にデザルグの定理が成立する事が確かめられる。

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さて、半ば強引に「無限」という言葉を使い、空想上の点を導入したような言い方をしたが、必ずしもそうではない。実際我々が住んでいる地球上では、直線は一見どこまでもまっすぐ伸びて行くように見えて、実は地球を一周する円になっている。そこで地球上にFig.2と同じ図を書いたものがFig.3だ。航海術がまだ発達していなかった時代に無限に遠いと思っていたACとA’C’の交点Rは、今やマーシャル諸島あたりの普通の点に過ぎない。「無限遠直線」は赤道(Fig.3では黒い線)であって、これを普通の直線の仲間に入れる事はもっともである。

ただ、地球上に絵を描くと、Fig.3のように地球の裏側に同じ絵が結ばれてしまい、これは少し気持ちが悪い。また、二本の直線は必ず二点で交わっており、これもいまいち美しくない。そんな場合、今いる場所と、地球の裏側は、表裏一体・一心同体、いっそ「同じ点」と思ってしまえば良い。かくして、全ての直線は必ず「一点」で交わる、首尾一貫した世界が成立する。

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Fig.1では、平面だと思い込んでいた図を立体だと思い直す事で、物事がすっきり見えた。Fig.3では、平面だと思っていたものを実は球面上だと思い直す事で一貫性が生まれる事を説明した。折角ここまできたので、人類が2000年にわたって「気づかなかった」、とある「思い込み」について紹介しよう。それはユークリッドの第五公準、平行線公理と呼ばれる次の命題である。(ただしこれはオリジナルの形ではないことを断っておく。)

【平行線公理】直線Lと、その上にない点Pが与えられた時、Pを通ってLと交わらない直線が唯一つ存在する。

紀元前300年頃、当時黄金期を迎えていた古代ギリシアの数学は、ユークリッド(ギリシア語ではエウクレイデス)によって、その著書「原論(ストイケイア)」にまとめられた。「原論」は、その後長きにわたって数学界に影響を及ぼし、例えば I.ニュートン(1643-1727)の代表的著書「プリンキピア」においても、論理の進め方のお手本にされたという。

十三巻からなる「原論」の第一巻冒頭には、平面幾何に関する設定が述べられている。点や直線といった言葉の定義から始まり、続けて五つの「約束」が述べられる。約束の五番目が問題の「平行線公理」だ。他の公理がとてもシンプルなもの、例えば「点と点を線分で結ぶことができる」といったものであるのに比べ、平行線公理はやや深いことを主張しているように見える。そこでユークリッド以降の人々は、これは他の公理から証明される「定理」であるはずだと信じて疑わず、多くの数学者がこの平行線公理の証明に労を費やした。

しかしそれらの試みは全て失敗に終わった。平行線公理は証明できないのである。実際、我々は既にその反例を知っている。「無限遠点」と「無限遠直線」を仲間に入れた、「地球上の幾何学」がそれだ。この地球上の幾何学では、二つの直線は必ず交わり、従って平行線公理は成り立たない。結論を知っている我々には当たり前に見えるが、2000年来の常識を打ち破る事はたやすい事ではなく、西暦1500年頃マゼラン一行が身をもって地球が球であること証明しても、1600年頃デザルグが「無限遠点」の発想に到達しても、人々はこの「球面上の幾何学」が、平行線公理がただの約束に過ぎないことを示す格好の例になっているということには、ずっと気が付かなかったのだ。しかしひょっとすると、平行線公理を公理として採用したユークリッドだけは、それに気付いていたのかも知れない。実際、ユークリッドは球面上の幾何についても原論の中で扱っているのだ。

現在では、平行線公理を仮定した幾何学は「ユークリッド幾何」、そうでないものは「非ユークリッド幾何」と呼ばれている。非ユークリッド幾何学のアイデアに初めて「気づいた」のはドイツの英雄カール・フリードリッヒ・ガウス(1777-1855)であったと言われているが、ガウスはこの発見をかたくなに発表しなかった。騒がしい群衆を納得させるためには理論の完成度が足りないと考えたためだと言われている。間もなく、J.ボヤイ(1802-1860)、N.ロバチェフスキー(1792-1856)という二人の数学者によって、別々に、この数学史最大のパラダイムシフトが開始されることになる。その功績とは裏腹に彼らは悲運な人生を送る事になるが、そのドラマを語ることについては他の文献に譲ることにしよう。その後の先駆的な数学者たちの仕事によって非ユークリッド幾何は徐々に受け入れられて行ったが、最終的にその重要性が認識されるには、A.アインシュタイン(1879-1955)の登場を待たねばならない。彼の重力場の理論が、宇宙は非ユークリッド的であるという可能性を示唆していたからだ。

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すっかり歴史の話になってしまったが、最後にM.C.エッシャー(1898-1972)の奇妙な絵を紹介して締めくくろう。非ユークリッド幾何を発見したのはガウスであったと述べたが、ガウスが発見した非ユークリッド幾何学は、実は我々が知っている「地球上の幾何学」ではなかった。それは「直線Lとその上にない点Pを与えたとき、Pを通ってLと交わらない直線が、『無数に存在する』」というものである。そしてこのエッシャーの絵は、その奇妙な空間の地図に他ならない。金魚のようなパターンが円の外側に近づくにつれどんどん小さくなっているが、これは非ユークリッド的な世界をユークリッド的な世界に押し込めた為に生じる「ひずみ」であって、実は全ての黒い金魚は「合同」なのである。(勿論、白い金魚どうしも合同である。)

エッシャーはこの絵の元となる図を、友人の数学者H.S.M.コクセター(1907-2003)から教わったそうだが、無限に続くパターンが有限の円の中に収まっているこのモチーフを、エッシャーはとても気に入っていたそうだ。プロの版画家とは言え、この精緻な構図を彫り上げるのはとても手間のかかる仕事だっただろう。しかしそれはエッシャーにとって、異空間を自由に飛び回るような、至福の時間であったのかもしれない。






M.C.Escher「円の極限I」ã Cordon Art B.V.-Baarn-the Netherlands./Huis ten Bosch-Japan






参考文献
1. 数学を築いた天才たち 上・下, Stuart Hollingdale著, 岡部恒治 監訳, 講談社ブルーバックス.
2. 非ユークリッド幾何の世界, 寺坂英孝 著, 講談社ブルーバックス.
3. シンデレラ(作図ツール), J. Richter-Gebert, U. H. Kortenkamp著, 阿原一志 訳, シュプリンガー・フェアラーク東京.

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