〔俳句つながり〕雪我狂流→村田篠→茅根知子→仁平勝
仁平勝と勝さん 茅根知子
評論家・仁平勝氏に初めて会った日のことを、
まったく覚えていない。
ある日気がつくと、俳人“勝さん”は、隣にいた。
その日からずっと、勝さんは傍にいる(気がする)。
勝さんは、何人もの顔をもっている。
どの顔が本当なのか。
どの顔も本当なのだ。
●一人目の勝さん「シャイな人」。
春愁の顔を素敵といはれたる
俳人は照れるが大事葱の花
ある日『横顔がステキね』なんて言われた勝さんは、ふわりと4cmほど浮き上がり・・・。そして、そんなに喜んでしまった自分をちょっと恥ずかしく思った。掲句は、「魚座」に二句並んで掲載されている。
構成までもが、ちゃんと計算されている作品。
―― 「シャイ」に騙されるな
●二人目の勝さん「粋な人」。
耳たぶの感じで桜餅が好き
白玉や聞いた話をまた聞いて
たとえば、蕎麦屋で海苔をつまみに飲んでいる男、浅草あたりで甘味を頬張っている男、を粋と言う。勝さんは、夏目漱石にも似た文豪の顔立ちで、まじめに〈耳たぶ〉について語ってくれる。〈白玉〉を頬張りながら、ふむふむと話を聞いてくれる。
あ、私のかき氷が水になってしまった。
―― 「粋」に騙されそう
●三人目の勝さん「男前の人」。
途切れたる話に春の日が差して
硝子戸に囲まれてゐて春浅し
つまり、哀愁のわかる男を「男前」と言う。勝さんは、春の寂しさをちゃんと知っている人だ。ふと会話が途切れたのは、話すことがなくなったんじゃない。話したいことがいっぱいあって、いっぱいあって話せなくなった。
浅春の部屋には、うすうすと日差しが揺れている。
―― 「男前」に騙されるかも
●四人目の勝さん「ズルイヒト」。
踏切に秋の踏切番がをり
掲句を読んだとき、ズルイ!思った。これなら、秋の石でも、秋の箱でも、何でもいいことになってしまうではないか・・・。しかし、読んでいるうちに〈秋の踏切番〉でなくてはならないことがわかってくる。〈踏切〉という「日常」と、日常を「遮断」するもの。そこに、仕事として坐っている〈踏切番〉。只管でいることの切なさ。それに気がついたとき、本当に目から鱗が落ちる思いだった。
勝さんには、たくさんのことを教わったが、この「秋」の使い方に、私はぐらぐらと揺さぶられたのだ。
―― 「ズルイヒト」に騙されてもいいか・・・
●五人目の勝さん「?」。
初夏の白きシーツを泳ぎ切る
勝俳句の中で、殊に暗誦している俳句。実景は、敷いたシーツの上で水泳の真似事をしたのだろう。けれど私は、物干竿の真っ白なシーツを思い出した。子どもの頃、マラソンのゴールテープを切るように、シーツに突っ込んでいって叱られた。懐かしい日の匂い。眩しい午後。
〈初夏〉の季語の斡旋が秀逸である。
夾竹桃のような女と寝てきたよ
毒をもった女と、日盛りに〈寝てきた〉という。
こんなことを言われたら、もう誰も太刀打ちできないだろう。グラビア界の黒船 リア・ディゾンだってかなわない。勝さんも、すっかり毒にあたって遠い目をしている。
もう誰も手が届かない。
手が届かないから、仁平勝は永遠にBRILLIANTであり、勝さんは永遠にカッコイイ。
―― この人に、騙されたい
俳句出典:「魚座」/仁平 勝 第2句集「東京物語」(弘栄堂書店)
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2007-11-25
仁平勝と勝さん 茅根知子
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1 comments:
知子ちゃん、いいなあ!
しばらくぶりにどきどきしながら文章を読みました。
小田原吟行で、あ、知子ちゃん開眼した、と思ったけれど、またここで、あ、知子ちゃん踏み出した、と感じました。
こんな風に読まれる仁平さんに嫉妬しちゃうなあ。
知子ちゃん、ありがとう。
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