2007-12-02

「俳句」2007年12月号「くびきから放たれた俳人たち(最終回) 小川軽舟」を読む……上田信治

「俳句」2007年12月号「くびきから放たれた俳人たち(最終回) 小川軽舟」を読む……上田信治



彼らとともに、俳句はこれからどこへ行くのか。さしあたり俳句はどこへも行かないように思われる。(「くびきから放たれた俳人たち(最終回)深い泉の新しい水」p140)

俳句の現在の担い手と目される、ある世代の作家たち(中原道夫・正木ゆう子・片山由美子・三村純也・長谷川櫂・小澤實・石田郷子・田中裕明・櫂未知子・岸本尚毅)を、「昭和30年世代」と命名し、論じた連載の最終回。

そこで筆者・小川軽舟が確認したのは、現代俳句のフロンティアの喪失と、この作家たちの、俳句形式とのなじみのよさでした。

ここで言うフロンティアの喪失とは、子規の俳句革新にはじまって前衛俳句にいたる「近代俳句のさまざまな運動」の終りであり、「皆で競って開拓できるような目に見える」未知の表現領域の消失、ということ。

「俳句だけでなく、日本の文化全体が共通のテーマを求める集団的な熱気を失って(…)個々の自分探しの時代に入っていく」
と、小川氏は書きますが、芸術運動というもの自体、とても20世紀的なものだったような気がします。なぜか、芸術は「進化」するものだというオブセッションに、とらわれていた私たちの世紀。

昭和30年世代は、俳句の形式をめんどうな束縛と考えるのではなく、たった五七五の端切れのような言葉を詩にするために、昔から考えつくされた機能であると考えた。だから、その機能をきちんと理解し、存分に発揮させ、さらに深化させること、そしてその機能を借りて自分を表現することに力を注いだのである。

そのような姿は、能や茶のような伝統文化に似ていると言えるかもしれない。能も茶も基本は型であり、その型は長い時間をかけてゆるぎなく完成している。型そのものには個性はないのだが、能役者や茶人は型に手を入れることによって個性を発揮しようとは考えない。むしろ型を徹底的に習得し、ついには型を意識しなくなったときに、型から自由になれると考える。彼らの個性は、そこまで行ってはじめて花開く。

(…)極論すれば、俳句の作品とは、演能や茶の点前のように、型を表わす行為なのではないか。(…)昭和30年世代は、型を完璧に習得することによって、型を意識しない自由を得たのだ。(P135)


俳句を「伝統文化」に似たものとして論じたこの部分、小川氏が「昭和30年世代の末端にいる私自身の実感でもある」という、稿全体のキモなので、長めに引用しました。

気になるのは、ここで引き合いに出されている茶は、現在、完全にお稽古ごとになってしまっているということ。また(能ではなく)落語でいえば、型を徹底的に習得するのは、前座レベルの話だと思いますが、そのことと俳句とのアナロジーを考えてみると、どうか。さらに、能や茶はパフォーマンスとして、その場性、一回性のものですが、俳句は、先人の作品を、いまも享受することができる。とすれば、それを、演じ直すことに、どういう喜びがあるのか。

えー、ようするに、俳句の「型」を所与のものとし、表現を、その内部で行なわれるものと限定する、小川氏のような認識から、俳句のお稽古ごと化、カラオケ化に抵抗する根拠を汲み出しうるだろうか、ということです。

さらにいえば、氏の論が、俳句の伝統と、この世代の作者の、良好な関係ばかりを強調していることに、物足りなさを感じました。

もちろん彼ら、昭和30年代世代の眼前にも、表現のフロンティアはあったはずです。それがいかに個人的な探求だったとしても、すべての表現と同じく、それは、すでに書かれた俳句との葛藤を熱源として、生まれたのではないか。

昭和30年代世代は、俳句という表現手段に出会ったことによって、自分自身を見出してきた世代である。その道程は、作者の生き方を深めることによって、俳句そのものを深めてゆくものになるだろう。深い泉は動かないように見えても、常に新しい水をたたえているのだ。(同・P140)

この認識には、同意します。たしかに彼らは、俳句に出会うことで、彼ららしさに形を与えることに成功した。

私見ですが、この世代の作者の原資は、この人たちの多くが「戦後っ子」「現代っ子」としての内面を持っていたことだと思います。

まず、この論考の筆者・小川氏が、濃厚にそういう人で。

  偶数は必ず割れて春かもめ  小川軽舟
  二階から首出せば年新たなり 〃

たしか〈ごはん残さずひと殺めず〉という句もありましたね。まさに「現代っ子の魂百まで」という句ではありませんか。

ひとまとめに言ってしまうのは乱暴ですが、この人たち精神の、もっともらしくなさ、子供っぽさに近い無邪気さ、空虚さ。あるいは、現代女性ならではの、モチーフ、詠みよう。

それらは、先行する世代のもっていなかったものであり、なおかつ、俳句のある面と、とてもなじみがよかった。それに加えて、彼らの素質、およびあっけらかんとした伝統回帰が、戦後世代、全共闘世代のまじめさの否定という、世の中全体のトレンドに乗っていた。

つまり直前の世代のアンチテーゼとして登場したことが、彼らの表現を「新しい」ものにしていた。俳句の側から見れば、彼らの登場は、俳句の風景を一変させた、一つの運動であったとも言えるでしょう(彼らの方法が、先行世代からは、先祖返りに見えたであろうことは、パンクムーブメントが、直前の世代の否定であると同時に、ロックンロールリバイバルでもあったことを連想させます)。

やがて、彼ら自身が俳句の本流となり、彼らはもはや「新しい人」ではなくなりました。そのせいかどうかは分りませんが、ここに名前の挙がった人の多くは、作家として、いわば第2ステージにいるように見えます。田中裕明だけは、亡くなってしまったし、そういう言い方の似合わない人ですが。

ある人は伝統の守護者をもって任じ、ある人は文体の革新を押し進め、ある人は作風の転換をこころみ、ある人は妙におとなしく、と進む道はさまざまですが、今後、彼らが、ひとかたまりとなって、俳句をある方向へ引っぱっていくようなことは、どうも、ありそうにない。

まさに「俳句はどこにも行かないように思われる」です。

そういう意味で、この「くびきから放たれた俳人たち」12回の連載は、昭和30年代世代にむけての「ごくろうさま」メッセージだったとも言えそうです。あ、「くびき」って、そういう意味だったんでしょうか。





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