2007-12-30

『俳句界』2008年1月号を読む 上田信治

『俳句界』2008年1月号を読む……上田信治



新シリーズ 魅惑の俳人たち1 橋本夢道 p86-

〈渡満舞台をぶち込んでぐっとのめり出した動輪〉〈無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ〉などの句で知られる、橋本夢道(1903-1974)の小特集。

編集後記に「シリーズ魅惑の俳人たちがいよいよスタート。実力がありながら評価の定まっていない俳人にスポットをあてたコーナーです」とあります。新年号の新連載1回めに、自由律、プロレタリア俳句の橋本夢道を特集する、意図のよめないかんじは、皮肉ではなく好感度アップ。どんどん、なぜ、この人? という人を特集してほしい。来月は京極杞陽の特集らしく、これも楽しみ。ようするに「おもしろい」作家を、ということなのかも。

自身も句集『んの字』を持つ作家・小沢信男(『通り過ぎた人々』『裸の大将一代記』)の短文が特集中の白眉。

銀座の甘味屋「月ヶ瀬」に勤めた夢道による〈みつ豆をギリシャの神は知らざりき〉は、店の中吊り広告の文案として「当時は市電に乗るたびに、この句に出会った」というほどポピュラーなものだったと、当時小学生だった小沢信男は書きます。そして全句集のあとがきによれば、その句には、前書とも読める長文のコピーがあったらしい。

「みつ豆があるからと言つて別にこれを食べなければならぬ必要はない。けれども人間を離れてみつ豆が存在するのではない。」とはじまって「畢竟、神が人間を造つたのかも知れぬが、みつ豆が人間を造つたのではない。」と終り、そして最後に〈みつ豆をギリシャの神は知らざりき〉の句が添えられるのが原型だったそうです。

小沢信男は、その「屁理屈のようなナンセンスのような文体」に、日中戦争に突入して二年目という時代のさなかに「人間賛歌を謳いあげるレトリック」を見出します。そして、このコピーが書かれた3年後に、夢道は、新興俳句弾圧の標的となり入獄することになる。

俳句総合誌で、本物の作家の文章が読めるなんて、なかなかないです。
眼福。

それにつけても。
この雑誌、編集体制が変っても、その荒っぽさは変らず、それはこの好ましい小特集が、扉ページ無しで、ばたばたとはじまるところにも現われています。
「俳句界」クオリティとでもいうべきか。







1 comments:

匿名 さんのコメント...

橋本夢道はわたくしのシノギ場の月島になじみの俳人だったので、昼休みに月島の「肉のたかさご」で豚バラ肉の弁当を買い、大川沿いの公園で食べながら夢道俳句にひたっておりますが、特集されるとは、嬉しい驚き♪未来社の『橋本夢道全句集』復刊なるか。無理か、あそこは貧乏な癖に岩波と同じ買い切り制だから。
よく俳句は授かるものだと言われますが、彼は俳句は作るものだと言っています。徹底的に作り込む俳句の面白さを彼に教わりました。ここまで行くと、有季も無季も定型も自由律もない、しかも、俳句や詩の出来そこないのような感じのしない作品を詠む場所まで着地した稀有な俳人です。生涯一句も捨てずに全句を残す意志をもって、ご臨終の病床でも詠み続けた俳人も珍しい。エゴ丸出しの、しかし、そのエゴの面白さ切なさ、好きです。

次回は京極杞陽ですか。杞陽も全句集が出ないねえ。『くくたち』(上下)なんて古本屋で未だに各千円以下で買えます。星野立子装丁の無地が質素で美しい句集なのにねえ。偏向歳時記の白眉『富安風生編歳時記』の「シクラメン」の例句で【性格が八百屋お七でシクラメン】を見た時からのファンです。夢道に杞陽、なかなかの人選♪「俳句界」も前編集者の名企画におんぶにだっこでは芸が無さ過ぎるとさすがに気づいたのでしょう。