2007-12-16

スズキさん 第4回 ノルウェイの森 中嶋憲武

スズキさん
第4回 ノルウェイの森 中嶋憲武



冬の日差しが寂しい仲見世裏通り。スズキさんは、のろのろと車を走らせている。配達を終えて、引き上げるところだ。

裏通りはたくさんの人がよちよちとしている。老婆もいれば、子供もいる。とても剣呑である。

浅草寺の山門へぶつかる手前で、いつも右折するのであるが、ここが一番剣呑である。スズキさんは、窓を開けて、「すみませ~ん、通りま~す。すみませんね、仕事なものですから」などと言いながら、ゆっくりとハンドルを切る。

すると、こちらへ左折してくる小型トラックがあった。スズキさんは、両手を胸の前で、クロスさせ、大きなバッテンを示し、ここが一方通行であることを知らせたが、相手の運転手は素知らぬ顔をしてる。スズキさんは、なおもバッテンを強調したが、まったく後退する素振りを見せぬ。

運転手は丸刈りの獰猛そうな中年男で、助手席に当世風の装いをした、小動物を思わせる目の細い若者が座していた。すこし待ったが、全く膠着した時間が過ぎるのみである。

スズキさんは、「ありゃあ、やくざだよ。逆らわないほうが利口だね」と言ったかと思うと、じりじりと後退を始めた。相手もゆるりと前進を始めた。

理不尽な後退を余儀なくさせられて、俺はすこしく業腹だった。50メートルほど後退させられて、小さな四つ角で停車して待っていると、敵は悠然と左折を始めた。丸刈りの男は、軽く会釈をした。助手席の小動物は、両足をダッシュボードに乗せ、へらへらとした様子だった。俺は小動物を、ねめつけてやった。

スズキさんは、いま後退したばかりの道を、黙って前進しはじめた。「ああいうのに関わると、事だからね」と、細い声で言った。

浅草寺の山門の手前で、そろそろと右折し、そのままそろそろと進み、神社の裏あたりで、停車した。スズキさんが、何か飲もうかと、小銭を出して、「なんでも好きなもの買ってきていいよ」と言った。

スズキさんはマンゴー・オレを飲み、俺はコーラを飲んだ。ラジオからビートルズの「ノルウェイの森」が流れてきた。俺はかすかに耳を傾けた。仕方なく風呂場で寝ることにした、とジョンが歌ったとき、スズキさんは「ぼくは、こういうのは苦手だね」と言った。

「どんな曲が好きですか」と聞くと、「演歌だね。五木ひろしとか角川博とか」

ヒロシ系が好きなのだな、と俺は思った。

「神社のさ、お神楽の舞台があるじゃない?」と、唐突に言うので、「ありますね。普通、神社といえばお神楽の舞台がありますね」と、答えると、「毎年、秋に町内会のお祭りがあるんだけど、その舞台でいろいろやるわけよ」と言う。

話を聞いてみると、のど自慢大会のようなものらしい。40人ほど出て、歌を歌うのだとか。スズキさんは、「ただ歌うんじゃ面白くないからね、ぼくは、毎年、扮装を凝らしているんだよね」と、嬉しそうに言った。

「女装するんだよね」と、含み笑いしながら言ったので、「女装すか」と、俺は答えた。

スズキさんは細面で、鼻筋が通っていて、目尻がすこし下がっているので、女装したら可愛いのではないかと思ったが、少しく薹が立ち過ぎ、菜の花もしょんぼりしてる風情なのでどうであろうか。

「山本リンダの、『困っちゃうな』じゃなくて、えーとあれだ、『狂わせたいの』だ」

『狂わせたいの』なら、俺も知っている。阿久悠作詞、都倉俊一作曲の、♪ぼやぼやしてたら私は誰かのいい子になっちゃうよ、というやつだ。

スズキさんは、池袋の東急ハンズで金髪のかつらを、店員に変な目で見られながら購入し、メイクアップもきっちりとし、真っ赤なミニのワンピースを着て、ステージに立ったのだという。

山本リンダは金髪じゃないけどな、と俺は思った。ついでに演歌でもないな、と思ったので、スズキさんに、「山本リンダ、演歌ですか」と聞くと、「あれは、演歌だよ」と言った。山本リンダは演歌か。なるほど。

スズキさんは、本名では出演しないらしい。その時々で、芸名を変えているのだとか。山本リンダの時は、山本ヘンダという名前で出たのだと言った。

「いやあ、自分ではなかなかいい線いってると思ったんだけど、あとで写真見たら、なんかひどくてね、いやんなっちゃった」と、すこし、照れて言った。人間には誰しも少なからず、ナルシスの要素があるのじゃなかろうか。

「来年は、三度笠と合羽を買ってきてね、氷川きよしの、やだねったらやだねっての、やろうかと思ってるんだよ。三度笠、どっかで売ってるかね」と、マンゴー・オレに差したストローから唇を離してから、言った。

冬日はだいぶ、西に傾いた。


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