2008-02-24

第一句集を読む 「小澤實『砧』」熟読玩味 山口珠央

第一句集を読む
蒼穹の戴冠〜「小澤實『砧』」熟読玩味
山口珠央



小澤實氏は昭和31年、8月29日生まれ。ちなみに同氏によれば、この誕生日は某人気韓国俳優【注1】と同じらしい。確認してはいないが、某人気韓国ドラマシリーズにも詳しい氏の言であるからには恐らく間違いのないところであろう。

いまこの頁へと意識的に、あるいは習慣的にアクセスした諸兄においては周知のこととは思うが、小澤氏は平成18年度の讀賣文学賞を受賞、その主宰誌「澤」は俳壇でも最も注目度の高い(というのは、主宰詠欄と毎年6月の常軌を逸した特集号の賜物であるが)結社誌である。というわけで結社会員もこのところなんとなく元気である。

勿論、元気ではない人もいる。俺とか僕とか私とか、って自分ですか。頑張れ自分、負けるな自分。いやその、決して悪い意味ではなく会員として主宰から求められるハードルが年々吊り上げられていくのが「澤」の第一の特長なのだ。一旦覚悟を決めてしまえば、楽しいことこのうえない。

今回は近年、俳境の変化著しく、しかもそれがひたなる前進であるという畏るべき俳人、「小澤實」の処女句集ってそもそもどうだったの、という素朴な問題意識に基づく『砧』熟読玩味の過程である。本文は、あくまで同句集に「関する」ものであって「論じる」ものではないことを、あらかじめ、お理わりしておきたい。小澤氏はまだ若いが、それは単に年齢的な意味だけではない。心が、若々しくいつも動いている。そうした俳人の「処女句集」を句集論としてでっちあげるのは誠実な作業とはなり得ないだろう。

『砧』は牧羊社より昭和61年刊行。実のところ、本稿筆者にとってはその存在を知ってより数年、『砧』は「幻の句集」であり続けた。知人に誘われるまま、平成13年「澤」への入会を果たしたはいいものの、周囲は皆読んでいる(しかも所持している)ようであり、発足後一年余、会員の熱気もまた現在とは違う荒々しいまでのノリであって、とても「読んだことない」と言い出せる雰囲気ではなかった。

有名な中高一貫校【注2】に6月くらいに編入された高校一年生が、隣の席の生え抜き(制服の着崩し方がお洒落なキラキラ)に辞書を貸してくれとは言い出しにくい、そんな感じである。しかし。このままでは済まされない。毒を喰わば皿まで。先程からの喩えでいえば、敢えて、付属小学校出身でしかも生徒会役員ともいうべきキラキラに借りてみた。

そしたら、凄かった。まずは本の状態が、である。私の15年来愛用のラテン語辞書(なんでやねん)よりも膨らんでいるのは当然としても、ヨレヨレというかボロボロというか、学級文庫の江戸川乱歩本でもこんなの見たことない、という読みこまれようである。キラキラ【注3】が、キラキラな笑顔で差し出す本を受け取る手が、震えた。というのは嘘だが、しかし本当に「この本でコピーは取れん」と思った。ただでさえ、大事な本のコピーを取られるのは嫌なものである、というか、そもそも私だったら貸さない。本もCDもDVDも、もうす・べ・て貸さない。その前に貴様の覚悟を見せてみろ、ってな話である。

とはいえ丸暗記も困難なので、表紙カバーをおそるおそる複写機に乗せ、その勢いで序文【注4】とあとがきもできるだけ丁寧にコピーさせて貰った。残るは肝心の俳句作品である。やはりこの状態では、全頁を複写機のガラス版に押し付けるのは背表紙への負担が大きすぎる。そこで考えた。俳句ってひとつが短いし、書き写せるのではないか。その成果が、いま手元にあるドラえもんの絵柄のミニノートである。以下、引用する俳句はすべて、この水色のドラえもんノートからの手書き文字に依っている。正直なところ読みづらい。もっとも、現在では『砧』の全作品が邑書林刊セレクション俳人05『小澤實集』に所収されているのでご安心頂きたい。本稿の俳句作品校正は同書に依った。

 かの魚を氷下魚とよびし夕かな(昭和52〜54年)
 十一月魚の腹の中の魚    (同)

『砧』冒頭の二句である。20代になったばかりでこうした句を詠み得ること自体が、俳句作者として立つ以前から日本文学に親しみ、特に連句への造詣を深めてきた小澤氏の背景を窺わせるものである。主宰はインテリが嫌いだが、本人がきわめてインテリであることを、ここで意地悪く指摘しておこう。

本句集に共通する印象であるが、特に昭和52年〜54年としてまとめられた33句は一句一句が幸福の光をまとっているかのようだ。作者が自らの才を楽しみ、言葉たちがそれに歓喜しつつ呼応する。なんというのか、「幸福な結婚」という言葉に例えたくなるような華やぎが宿っている。この三年間に小澤實によってどれほど多くの俳句が作られたかは知らない。しかし、この33句の背後には膨大な数の輝かしい作があった筈である。巻頭二句、大切に読みたい。

 本の山くづれて遠き海に鮫 (同)

言うまでもなく、取合わせの斬新さが眼目の一句である。『砧』を手にする前からこの俳句については聞き及んでいた。文字として読むと、また新たな発見があるものだ。「山」と「海」、俳句という短詩のなかで共存するのは難しい。だがこの句のなかでは、海幸彦山幸彦と呼びかけるかのような大らかさによって、ふたつの文字がそこに当然のように収まる。最初に取合わせ、と書いたが、それは二物衝撃のそれとは違う。この一句は、文字による現代絵画のようだ。

 金色の仏壇のある海の家 (同)
 初夢や林の中の桜の木  (同)

夢と思えば現実、現実と思えば夢。不思議な作である。一句目、海の家から帰ってみれば本当に見たのかどうか、なんとなく自信がなくなってくる。もしかすると滞在先として通された部屋にこの仏壇はあったのかも知れない。ふと目の端に捉えたというよりも、数日をしかと共に過ごした(記憶のある)「金色の仏壇」であって欲しい。

二句目、季語が限定的なのでそのまま素直に読むべきなのだろうが、ここにも奇妙な余韻がある。実際に見た景色を再び夢として見ているように儚げでありながらも、この「桜の木」の存在感は圧倒的だ。意志をもって桜が作者に呼びかけてきている。「ワタシハアナタヲマッテイル」、そんなメッセージまで読み取れてしまう気味の悪さが感じられる。柳の精は男性と決まっているが、桜は男性、女性どちらも解釈のしようがありそうだ。ダブルで待たれているとすれば、どうも逃げ切れそうにない。

「王」たることは如何なる事柄、もしくは状況を指すのだろうか。王権神授説以前の昔から、無数の有名無名の「王」たちは何よりも自分自身と戦ってきたに違いない。人間が既成の言語体系のなかにありながらも、それに従い、それに抗いつつ言葉を生み出そうとする作業は、「王であること」あるいは「王たらんとすること」に似ている。『砧』を改めて読み進めるうちに、そうした感懐をもった。季語に寄り添い、言葉を宥めるだけでは、これまで見てきたような「俳句」が生まれよう筈もないからだ。

次に、初期作品のあとに置かれた句群と向き合ってみよう。

 立春の佛蘭西麵麭の虚かな (昭和56年)

普通といえば普通の句なのだけれど、文字の美しさで印象に残る。麵麭という言葉を憶えたのは稲垣足穂の「彌勒」を読んだときだったなあ、と漢和辞典と首っ引きで昔の人が書いた文章を読む面倒くささが楽しくてたまらなかった中学生の時分を思い出した。その割にはいまでも読めない漢字が相当多いのが謎だ。「立春」が素敵である。フランスパンの気泡を「虚」とまで言い切る危うさと立春の気配が美しく響き合う。フランスパンと言えば、どうしても森茉莉による執拗なまでの講釈を思い出してしまうのだけれど、あの気泡は本当に良い。バターを塗ればそこに溜まるのが少し嬉しく、ガーリックトーストにすれば、あの気泡のお蔭で味が凍みる。読む度に、美しい俳句だとは思いつつもフランスパンが食べたくなる。

 胴ながきわれあり桜ふりつづく (同)

小澤氏は「胴が長い」とか「足が短い」ということが好きだ。句会でも、そうした内容の出句があるとなんだか喜んだ勢いで丸を付けるふしがある。私はこれを、ひそかに「困ったときの胴長短足の法則」と呼んでいるが、その例証というか原型をこの俳句に見た。主宰に対して胴長短足の印象は特にないのだけれど、こういう自己認識があったのか、と得心がいった。とはいえ、降り続く花の下で、自分の胴を感じているのはただならぬ感覚であると思う。

 テープ攻め紐攻め春の箱一個 (昭和59年)

こちらもただならぬ感覚であるが、実に好きな一句だ。「春の箱」が多少乱暴な表現であることは否定できないけれども、それがまた好ましい。
 
 氷店爺と婆ゐて婆出で来   (同)
 汗女房饂飩地獄といひつべし (同)

小澤氏には珍しく、小説の一場面のごとき作。一句目、これだけの複雑な(冗談ではなく、俳句においてこれがどれだけ複雑な状況かは一度でも句作の経験があれば容易に理解して頂けると思う)景を詠い留めた手腕に感服する。もうこの段階になると、小澤氏が自らの天賦の才を楽しむことに飽きてきたのだろう、という感じである。

二句目は一読してなんとなく忘れていたのだが、今回再発見して困ってしまった。パンクロッカー、町田町蔵(町田康)のファンとして「うどんはすがきや〜」と「饂飩妻」は気が付くと口ずさんでいる基本タームなのであるが、なんとそのはるか以前にこうした俳句が詠まれていたとは…。饂飩。うどん。ウドン。たしかに昼食など暑い時期は買い物に出るのも面倒、「今日うどんでいいかしら」、日本人であれば誰でも口にしたことのあるフレーズを初めて人目に触れる「作品」にまで昇華したのが小澤氏だったのだ。この点はかなり重要だ。もし小澤氏が漫画家にでもなっていたとしたら、その笑いの感覚の先鋭性において、吉田戦車や古谷実と拮抗していたのではないだろうか。それなのに普段はオヤジギャグしか出ないのは何故か。

 べつたりと羽子板卓に置かれある (昭和60年)
 磨崖仏冬の落暉を得たりけり   (同)
 地につかぬ板のありける雪囲   (同)

ここに並べた三句は、現在の「澤」においても会員たちに浸透している作句の方向性を伝えるものである。数年前の同結社であれば大きな句会でも特選級の作品と捉えられたことと思う。しかしながら、今ではこの辺りが並選の標準レベルとなっている。ひとえに、小澤氏の俳句指導者としての力量である。これはこれまでの本文の誤読曲解、暴言失言とのバランスを取るためにお愛想を書いているのでは、決してない。昨年来「讀賣新聞」俳壇選者をも努める小澤氏の、自身が俳句作者というだけでは自然に備わるものではない、選句への情熱は本物である。

句会のなかで、一句の読解にかけられる時間は本当に短い。そのなかで一句を読み切る。小澤實は、その能力が極めて高い俳人である。だから信用できる。主宰の選がいかようなものであるか、きちんと見ること。そこに容喙することは誰にもできないけれど、会員ひとりひとりが意識して取り組むべきことではないかと思う。そうした意識がなければ、それまでせっかく従ってきた主宰が何らかの理由により「駄目俳人」に堕したとき、気付くことさえできずに終わってしまう。

さて、このあたりで息抜きに本句集のヘボい作品をまとめてみよう、と考えたのは日頃の恩返しのつもりだったが、ヘボン辞書もびっくり、見当たらないではないか…。第二句集「立像」からは幾つか挙げられるのだが(いまは内緒)、やはり処女句集には隙がない。やられた、と引き下がるのも本稿を読んでくださっているアナタに失礼なので、現在句会で寸分違わぬ句が出ても主宰は採らないだろう、と推測し得る作をほじくり出そう。結社会員としては、非常に危険かつ無謀な試みである。しかしアナタのために私はいま、蛮勇を奮い起そう。

 蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ(昭和52〜54年)

「蛇口の構造に関する論考」というものがよく分からない。特殊すぎるのではないか。作者の気概は伝わってくるものの、「蛭泳ぐ」が狙いすぎ。空振りです。

 銭湯に狂人五月をはりけり (昭和55年)

「狂人」が可哀想。銭湯くらい、入るでしょう。五月も動くのではないか。

 佛相の野火とほりけり欠け茶碗 (同)

「欠け茶碗」がわびさび趣味。そんなもの詠まなくていい。野火が「佛相」だというのもこじつけでしょう。「とほりけり」も擬人化なのでなるべく避けたい。

 とんぼの絵さみしといへば嗤はるる (同)

「とんぼの絵」は季語とはならない。中五上七も理屈っぽくて面白くない。笑われたことなど、俳句に詠まなくてもいい。そういう人もいて当然だろう。

 虚子もなし風生もなし涼しさよ (昭和58年)

言うまでもなく三段切れである。景が見えない。作者は虚子と風生が嫌いなのだろうか。虚子と風生が可哀想。俳人の名前はもっと大事に扱いたい。

 狐火の話公衆電話から (昭和52〜54年)

これも季語として弱い。自分が話しているのか、聞いているのかはっきりさせたい。「狐火」そのものを詠んでもらいたかった。

最後に、個人的に愛誦している作品を幾つか並べることをお赦し願いたい。

 蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ (前掲)

だって好きなものはやはり好きです。この作品を知ったときの衝撃は忘れられない。この俳句がある限り、小澤氏の特異なまでの「才」は否定しようがない。

 銭湯に狂人五月をはりけり (前掲)

これもまったくオッケーです。狂人と五月の終わりの取合わせが揺るがない。「銭湯に狂人」で読者を驚かせているだけだ、という意見も無論あり得ようが、銭湯の狂人は紛れもなく詩になっている。

 涅槃図の貝いかにして来たりけむ (昭和60年)

日頃から涅槃図に親しんでいるのだろう、と背後に豊かな世界の広がりを感じさせる。軽い句ではあるが、こう詠んでのける作者の力量は並のものではない。

 さらしくぢら人類すでに黄昏れて(昭和52〜54年)

小澤氏の初期作品のなかでもよく知られた句であるが、前掲の「本の山」とともに広い意味での「取合わせ」の妙が素晴らしい。先に詠んだもの勝ち、の内容ではあるけれども本句の「さらしくぢら」を越えるのは至難の業だろう。

本句集はすぐれて、「闘争の書」である。自らの「王たること」への資質と欲求を自覚して間もない青年による、きわめて詩的で挑発的な比類なき闘争の記録だ。すでに多くの受賞経験を有する小澤氏であるが、その道程はこの句集が上梓されたときにすでに決定していたといってもいい。「小澤實」という人は、若くして自覚的に言葉との厳しい対峙を選び採った。『砧』は「闘争の書」であると同時に「戴冠の書」である。敗北の記録ではなく、たしかな勝利の軌跡がここには刻まれている。こうした句集に巡り会えることは時代の幸福である。

本稿筆者は幼い頃失読症だったせいか(文字を覚えたり読んだりすることが病的に苦手だった。いつの間にか治ったが、今も結社誌の封を切るのすら億劫である)、俳句や短歌はすっきりしすぎて「言葉」として捉えられなかった。だから好きで俳句を始めたわけでない。初めての場所でいきなり恥をかくのも業腹なので、子規と虚子の区別を付けただけで、初の句会に臨んだクチである。

いま改めて、俳句、そして「澤」と出会えた偶然に感謝している。無論、俳句は自分のために作るものだ。しかし私にはまだ、その境地が分からない。「澤」の人々と小澤實に惹かれて作ったり読んだりしている段階なのだと思う。本稿を閉じるにあたって、もっと俳句のことを知りたい、自分のための作品を作ってみたい、と心から念じている。本稿執筆の機会を与えてくださった「週刊俳句」上田信治氏に深く感謝する。


【注1】 微笑の貴公子、ぺ・ヨンジュンでした。音速の貴公子はアイルトン・セナ。どちらかというと二輪が好きですが、加藤大治郎氏の事故以来、生のレース映像を見るのが辛くなりました。「加藤大治郎忌鈴鹿雲迅し」。阿部典之については、まだ生々しすぎて詠むことかなわず。

【注2】 最も成績の良いコたちが進学しない場合はあるが、大学もある。余談であるが、東京大学教育学部付属中・高等学校は大学までのエスカレータ式でないことは意外と知られていないので、高校受験生は注意が必要(笑)。双生児の成長過程の把握というヤバイ目的のために設立された同中・高等学校であるが、出身者によれば皆双子、という以外は普通の学校だそうです。ちっとも普通じゃねえ…。同校については2000年だか2001年、京橋の国立フィルムセンターの特集で上演された短編ドキュメンタリー映画が面白かったのだが、加齢により監督と題名を失念。小川紳介監督「圧殺の森」と併映されたのは憶えていますが、グーグルでの検索に失敗しました。多分、いまもフィルセンで視聴可能だと思います。

【注3】 長谷川照子氏。「澤」の第一回同人賞受賞者。句集の刊行が待たれます。いつもありがとうございます。俳句作品もお人柄も大好きです。

【注4】 現在では入手困難であるので、後世の俳句論者による小澤實研究の一助となさんがため、この機会にネット上に保存しておきたい。

  

  かげろふやバターの匂ひして唇
  
  蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ
  
  さらしくぢら人類すでに黄昏れて
 

 卓れた新人は、選者の意表をついた素材、発想、表現をかざしながら登場してくるものだが、『砧』の著者小澤實君もまた、そういった文字通りの新人として「鷹」に現れた。

 上記の三句を私が眼にしたのは、もう八、九年も前のことだけれど、たくさんの投句の中からこの句にめぐり合ったよろこびは、まだ昨日のことのように憶えている。俳句のつくりようは稚いけれど、その稚さの中の初々しさが砂金のかがやきにも似て私を捉えた。そして、二十代そこそこの年齢とうのに、旧かなづかいを間違いなく使いこなしていることも、私をよろこばした。
 新人とひとくちにいうが、俳壇の新人は大きく二つに分類できると思う。一つは、俳句という形式にあまりこだわらず、むしろ現代詩の一行を見るような表現で華々しく出現する。もう一つは、俳句の基本をゆっくり噛みしめながら、まぎれなく既成の句とは違うものを取り込み、消化してゆく。前者の登場ぶりは賑やかだが、中途で挫折しやすいという共通する欠陥を持つ。だが後者に属する新人は、着実に間違いなく俳壇のホープとしての地歩を築いてゆくようである。
 小澤實君はまぎれもなく後者に属する。そして、既成句の重圧に挫けることもなく、若手の多い「鷹」にあって、いつも一歩先をあるくような作品を示しつづけてきた。その間、鷹新人賞、鷹俳句賞をたてつづけに受賞したことは、彼の優れた資質にもよるだろうが、なみなみならぬ研究、努力も当然あったにちがいないのである。  私は、小澤君は言葉への好奇心の非常に強い作者であると思っている。それを一つ一つ例証する紙幅の余裕がないのが残念だけれど、読者はこの『砧』を読みすすむうち、二十代の作者とは思えぬ言葉の選択を見て、一再ならず驚くにちがいない。それだから、一一見瑣末と思われるような素材でも、小澤流の独特な言葉の斡旋によって、まことに玄妙な世界を現出するということになる。
  むつききさらぎ蒟蒻たべてただよへり   白地着て婆と娘と島の中
  ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな

  春の子のくつついてゐる眉と眉

  ふはふはのふくろふの子のふかれをり


 こんな俳句を二十代でつくるということが、同じ年齢の頃の自分の句と比べて、私は不思議でならない。それもこれも言葉への好奇心、あるいは鋭敏な感受性に発していると言ってよかろう。ことに「ふくろふ」の句は、小澤君の二十代の代表句として、そしてまた、三十代へと向かうためのバネになる一句として記憶されるにちがいない。  小澤君は今、「鷹」の編集長として多忙な毎日を過ごしている。恰度今の小澤君と同じ年齢で私も第一句集を上梓したのだが、その時、石田波郷は、「句会の指導とか、雑誌の編輯とかは兎に角マイナスの負担になりがちである、俳壇といふ場では、それから免れることができないが、それだけに、自ら激しい作句力を保持しつゞける内的外的の努力を怠つてはならないであらう」と書いてくれた。私はこの言葉を折あるごとに誦して今日まで来た。小澤君はすでにこうした覚悟を固めていると信じているが、『砧』上梓を機に、私は、この波郷の言葉をそっくり小澤君に贈ろうと思う。
  昭和六十年初冬   多摩朴下庵にて 藤田湘子   



 

11 コメント:

民也 さんのコメント...

 小澤實氏。本人の野心、もしくは出版界の優秀なプロデューサーの押しがあれば、一般読者にも愛読されるだけの資質を持っているのに、現状は知る人しか知らない、もったいない人。ああもったいないもったいない。

第一句集かぁ。第一句集を自分が出すとしたら、全句書き下ろしで、ニンテンドウDSのソフトとして出したいなぁ。自分、思いっきりエンターテイメント志向だからね。句集出すなら、普通には出さない。

そーですね、ソフトのタイトルは、「RPGしよう」、とか。RPGといっても、画面に俳句が一句づつ、浮かぶだけなんだけど。実は俳句なんだからよけいな演出はいらないでしょう。BGMもナシ! 宣伝広告のキャッチコピーは、「君は主人公になれるか?」。

などという予定話はともかく、小澤實氏の俳句は、一般読者に広く広く読んでもらいたいよねぇ。氏の句集を一般にプロデュースできる編集者は、どこかにおりませんかね?


『週刊俳句』発で俳句のアンソロジーをDSソフトで出すのもありかも。アイデアだけならコストは掛からんから、言いたい放題さ。

匿名 さんのコメント...

「虚子もなし風生もなし涼しさよ」は、「風生と死の話して涼しさよ」虚子、の句の本歌取でしょうか。すでに、その風生も虚子も亡し、という事で。

税務署の人 さんのコメント...

『砧』からは離れますが、「涼しさよ」の句のほかにも、小澤實俳句には

  暗黒や関東平野に火事一つ 兜太
  関東平野蝿湧き立てる物ひとつ 實

  学問のさびしさに堪へ炭をつぐ 誓子
  学問のさびしさいづこ蜥蜴照る 實

  わが胸にすむ人ひとり冬の梅 万太郎
  わが胸に人ひとり棲む露凝るころ 實

というセットが見られます。先行句はいずれも有名ですから、作者に対する挨拶という意味はもちろん、あとに続く俳句作家としての態度を見せているように思われます。小澤實が俳句をはじめる前に触れていたという連句の「付け合い」のような呼吸もあるでしょうか。「関東平野」の實句など、兜太氏が読めば、呵々大笑される気がします。

  志文芸になし更衣 素十
  志文芸にあり薮虱 實

というセットもあります。これはもう、正面衝突(笑)。どちらも作者の面目躍如ですね。
もっとも素十の句は昭和27年作ですが、同年には

  志俳句にありて落第す 虚子

が発表されています。この虚子の句は子規を想定してのものかも知れませんが、素十の句も、季題の先後からして虚子への挨拶とともに自らのスタンスを明らかにしていると考えると楽しいですね。序でに、牽強付会の譏りを承知で書けば、これも知られている句、

  木葉髪文芸永く欺きぬ 草田男

が昭和11年、

  秋立つや一片耿々の志 草城

が大正10年にあります。草城の句は、旧制高等学校に入学したおりの所感だそうです。もうひとつ序でに(いよいよ小澤實俳句とは離れますが)書きますと、素十についてのセットで

  蛇泳ぐ波をひきたる首かな 素十
  水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首 青畝

がありますが、どうでしょう? 素十句は昭和15年、青畝句は昭和25年です(おや? 「蛇泳ぐ」で、山口珠央さんの論文とつながったのかな(笑))。

*引用句は。もしかすると間違っているかもしれませんので、ご注意を。

税務署の人 さんのコメント...

 「蛇」ではなく「蛭」でした。失礼しました。

葉月 さんのコメント...

とても楽しく拝読いたしました。

>皆双子、という以外は普通の学校だそうです。ちっとも普通じゃねえ…。

普通じゃないかもしれません。

匿名 さんのコメント...

山口珠央と申します。コメントを付けてくだすった皆様、どうもありがとうございました。この頁って、コメント付きなのですね…。知っていたら恥ずかしくて一行も書けなかったかも知れません。しかしながら、勉強になる数々のお言葉ありがとうございました。DSソフトでの句集って面白いですね。でも誰が買うのか(笑)。私は買いますけど。で、詰まらなかったらブックオフに売り払う。近所のブックオフは謹呈って札(栞みたいなアレです)の挟まれた句集や歌集の品揃えが豊富すぎてちょいと怖いのですが、定型詩が盛んな土地柄なんでしょうか。「匿名」さんは博学でいらっしゃいますなあ。虚子の句、あったあった、と今思い出しましたことを正直にご報告申し上げます。余談ですが「澤」のなかに東京大学教育学部中・高等学校出身の方がいらっしゃいました。こちらの情報、本稿お読み頂いたあとの私信でしたので、お名前は伏せさせて頂きます。「皆双子」というのは、「読み物」ということもあり、ちょっと脚色してしまいました。だって語呂が良かったから…。実は双子じゃない生徒さん方もいらっしゃいます。「違うぞ、おい」と思われた方すみませんでした〜。私の知人もね、そう申しておりましたわ。しっかし、あの映画何だったかなあ。久々にフィルセン行ってみるか。それで、美々兎で饂飩食って帰ってこよう。上田さま、非常に読みやすい段落分けの編集、ありがとうございました。お世話になりました。

ほしのあき さんのコメント...
このコメントは投稿者によって削除されました。
民也 さんのコメント...

山口珠央さん、こんにちは。

思ったのですが、DSソフトの前段階として、俳句のトレーディング・カードを発行するっていうのは、どうでしょう? 短冊型のカードに、作者直筆の句。観光スポットの土産物屋とかに置いたら、外人観光客がこぞって買うかも。高山れおな氏の直筆カードなんて、二重に意味不明で、エキゾチックとかいって、プレミアつくかもしれないですね。もちろんこれは予測の話。意外と達筆かも知れないし。

今年の「澤」7月号で、主宰、同人の句のトレーディング・カードが付録としてついて来ると、以後、句会がトレーディング・カードの交換会、になったりする訳だ。楽しいぞ、きっとな。

最後に。

 寒晴やあはれ舞妓の背の高さ 飯島晴子

 雪晴や猫舌にして大男 小澤實

この組合せで、自分はある性同一性障害の女性の、夢に向かってGO!みたいな物語を、空想しております。小澤主宰には、そのこと、別に伝えなくていいです。よろしく。

匿名 さんのコメント...

民也さま

山口です。どうも実際にお知り合いの方のような気がして仕方がないのですが、そこは追求しないことに致します(笑)。トレカ案につきましては、記念すべき大きな句会の席で主宰から特別に頂く「短冊」、または特に賞すべき会員が拝する「扇子」(もしかするとミニ屏風かもしれませんが)がございまして、たまに会員の間のブラック・ジョークとして話題にのぼりますが、コンプリートよりも存在自体の稀少性に価値のあるものなので実現は難しいかもしれません。楽しそうですけどね。この辺りの空気は実際の句会に参加なさるとわかりやすいかもです。

それはさておき。
昨日、自室の映画関係の書類を整理していたところ、本文の【注】で中途半端に言及した映画の詳細リーフレットが出て参りましたので、追補させて頂きます。

(旧)文部省学術映画シリーズ8
双生児学級ーある姉妹を中心にー
1956年 岩波映画作製所、監督 羽仁進

でした。紙媒体は保存しておくと良い味が出てくるので好きです。「私は紙魚になりたい」という感じです。



民也 さんのコメント...

山口珠央さんへ

 紙魚見れば馴れ馴れしくも吹き飛ばす 民也

誰のこと? ごめんね挨拶になってないですね。

ブラックジョークでも俳句のトレカを考える人が居るっていうのは、脈ありな話ですね。複数の人が考えることは、実現しちゃうのが世の習い。

俳句の、携帯の待ち受け画面のダウンロードサ-ビスとかは、すでにあるのかな?

とにかく、俳句の純粋読者をどうやって増やすか、純粋読者にどうやって俳句を届けるか、なんですよ。

文芸の作者だけを育てても、読者がいなければ文芸は文芸として成り立たない。

俳句を結社外の世間にプロデュースすることも、期待されている結社の役割だと思うです。


枕はこのぐらいにして、双子の話。

自分は最近、アスペルガー症候群の人たちの書いた本を読んでいて。一卵性の双子が自閉脳で生まれるときは、二人とも自閉脳になるのか、それとも一人は自閉脳、もう一人は非自閉脳で生まれてくることもあるのだろうか、と山口珠央さんの双子の話で考えてしまいました。

性同一性障害の人が居ることを考えると、必ずしも男性遺伝子の持ち主が男脳になる、女性遺伝子の持ち主が女脳になる、と決まっているようでもない。

脳の機能の違いは、いつの時点で、何によって決定するのでしょうね。

己の脳だけじゃなく、読者の脳の機能の違いまで考えて俳句を作っている人って、どのくらい居るのだろう?

俳句をどう認識するかについて、自閉脳の俳人と意見交換できたらいいなぁ、と思います。

大人になると、双子の両方と知り合いになる機会はめっきり減るけど、尋ねてみれば兄弟は双子だ、という人は、案外近くに居たりするのでしょうね(…某スズキさんは、どうなんだろう?…まさか五つ子ってことはないよね…)。


山口珠央さん、いつも刺激的な話題、どうもありがとうです。

民也 さんのコメント...

PS:僕、羽仁進監督が亡くなるまで、新藤兼人監督を羽仁進監督だと思っていたみたいです。それと、チュートリアルのイケメンの方と、博多華丸・大吉の華丸の区別がつかない。双子じゃないのに……なぜ? コンビの違いは、相方の顔で見分けるしかないですよ。ふう。