ハイクマシーンと私
上田信治
自分が俳句をはじめて、1年くらいのころ。『里』で顔をあわせたことのある、谷君と佐藤さんが、相談があるので会いたいと言うのだった。
そりゃあ、もう、二人とも目立つ人たちだったから、呼び出しってなんだろうと思って、うきうき会いに行ったよ。
そしたら、二人は、こんど俳句のユニットのようなものを作るのだが、いっしょにやらないか、と言う。
ああ、やりましょう。
即答ですよ。でも、僕でいいの?
いいんですいいんです、と二人は言ってくれて、自分は自分で、とっくに、これはすごくいいアイデアだ、と思っていた。
トリオと呼ばれる3人の漫才は、2人漫才+1人というかたちが基本だ。中心になるのは、リーダーと相方。ドラマ=葛藤は、その2人のあいだに生まれ、もう1人は傍観者である。わりと何もしない。客席から見て左端にいることが多い。
強いていえば「馬鹿がいる」という雰囲気をかもしだすのが、お仕事あろうか。てんぷくトリオでいえば戸塚睦夫、レッツゴー三匹でいえばレッツゴー長作の、役回り。それが自分だ、と思った。
谷君と佐藤さんは、いずれもピンでやれる実力がある「男女」。プラス、ものすごく年の離れた「ヒゲ」。
いいね。この3人が組んでるというだけで、人の頭を混乱させる。
ということは、それだけで、そうとうな運動性が確保されるということだよ。
その日は、まずハイクマシーン(という名称は、もう、谷君が考えてあった)のサイトを作ること、3人それぞれブログを立ち上げること、毎週お題をぐるぐるまわして俳句を書くこと(「ハイクマ歳時記」)などが決まった。
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数日後。できあがったハイクマシーンHPには、谷君の天才性が、いかんなく発揮されていた。だって、すごく黄色い上に、どっかから持ってきた水着の女の子の写真が笑ってるんだもん。
「あれが佐藤文香なの?」って、10回以上きかれたな。
天気さんが「ハイクマ」に、すぐ反応して下さったことは、うれしかった。「知らない」人に、ハローと言ってもらえるなんて(bbs句会などでご一緒したことはあり、まったくの知らない仲ではなかったが)。
やや、しょってる言い方をすれば、この場所で、自分たちの「読者」を作ることができる、の、か、も、と思えた。
それからハイクマは、吟行やったり(at 下北沢。吟行のしょっぱなにプリクラを撮るという素晴らしい企画)、「角川俳句賞」「俳句研究賞」両方に応募するためにゴリゴリ書いたり、「緊急企画ショージキ、ハイクマってどうなのよ」(2006)や「落選展」(2007)で、公募賞への応募作を読んでもらうイベントをやったりした。
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そのころ、自分のブログ(これもハイクマがなかったら、始めてたかどうか)で、こんなことを書いた。
ハイクマが出来たとき、いちおう男二人、女一人なので、
誰かに「ドリカム状態だね」と言われた場合の、返しを考えました。
誰「ドリカム状態だね」
私「……そのばあい、吉田美和は、だれですか?」
誰も、そんなこと言ってくれないので、ここに書きました。
思ったこと。
・男2女1を見て、ドリカムと言うのは10年前だ、と分かった。
・吉田美和が誰かより、あのやめちゃった人が、誰かのほうが問題だ。
2006/02/04
(→元ブログのコメント欄)
いやあ……。つまらない冗談、言うもんじゃないね。
なんだか、いろいろあって、谷君が脱けることになって。ハイクマも解散しちゃおうかという案は検討されたのだけれど、けっきょく谷君の許可を得て、佐藤さんと二人で続けることになった。
だって、若いもんが(僕は若くないけど)一人でいることは、宇宙に塵があるような、あたりまえの状態だけど、二人とはいえ「組んでいる」ということは、それは「運動」だから。世間は、注目する義務があるってもんだ。
誰かと組んでなにかをすることは、まったく正当なことなので、みんなもっと真似すればいいのに、と思います。LOVE。
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2008-03-09
ハイクマシーンと私
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