2008-03-23

成分表17 シズル感 上田信治

成分表 17 シズル感 
上田信治

初出:『里』2007年5月号


広告・映像関係の用語で、シズル感という言葉がある。肉のジュージュー焼ける音、冷えたビヤグラスにつく水滴など、五感を刺激する生々しさのことを指す言葉で「シズル感がある」「シズル感が足りない」というふうに使う。

  貝こきと噛めば朧の安房の国    飯田龍太

どうも複数の感覚要素を組み合わせることが、シズル感の要点であるらしい。

龍太の句も「こき」というオノマトペが、音と同時に、口中の運動感覚に結びつくので、イメージが強く立ち上がるのだろう。

おそらく、美味しそうであることは、性的外見とともに、美の起源と関係がある。

なぜなら、花や果実や鳥は、美しいから。人間の意識というものが、まだこの世にないころから、花や鳥は、花や鳥の都合であんなふうだった。そのうち人があらわれて、例えば熟れた果実の赤を見て「!」と思う。それが、きっと美だろう。

ところで「美しい色」「美しい音」とは言えるのに「美しい味」「美しい手ざわり」「美しい匂い」とは言えない。見ること聴くことと、味わうこと触ることなどとの差は、対象と体の距離、接触の有無によるものだろうか。

「よいもの」をすでに直接経験しているとしたら、それは、快であって、美ではない。つまり美とは、この世の「よいもの」についての情報、すなわち「メタ」なるものである。

やがて美は、それ自体この世の「よいもの」の一つとして、自立する。人間が、美を自分の手で作り出すようになったことから、「美」が、「美の美」「美の美の美」というふうに、観念化していったのかも……と、これはもう、まったく勝手な想像だけれど。

「美味しそう」にこだわる俳句には、美の始めにむかうノスタルジーがあるのかもしれない(それには季語が関係しているのかもしれない)。

近代以降、「美の美」や「美の美の美」つまり「美に奉仕する美」や「美とは何かをいっしょに考えましょうという美」が、いわゆる「美」、つまり「美」の概念の主流になった。

それらはすでに「メタのメタ」である。そのメタメタのレベルへと、日常の快や美から飛躍するための方法のひとつが、複数の感覚要素の組み合わせだ。人間の五官+αの感覚のうちいくつかをかけあわせ、メタ感覚のようなものを立ち上がらせることによって、作品は「メタ」レベル=「美」の領域の模型となる。

何かの模型であることは、俳句がもっとも得意とするところだ。そのとき「美味しそう」は「美」に奉仕するのか、あるいは「美」が「美味しそう」に奉仕するのか。

きっと、その、どちらでもあるのだろう。

  大根の甘さと雲の冷たさと  藤田湘子





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