2008-04-27

両手をひろげて 『花粉航海』を読む 山口優夢

【第一句集を読む】
両手をひろげて 『花粉航海』を読む  ……山口優夢




前書き

花粉航海。そのタイトルそのものが、一つの文芸作品のようにすら思える。綺麗な言葉だ。

そしてこの句集が見せてくれる世界は、タイトルどおりに明るいイメージがくっきり立ち上がってくる美しいものだ。花粉の黄色と、海の青。かがやくばかりの、色彩感覚の競演。しかし、光の背後には、必ず影が控えているものだということを、忘れてはいけない。

この稿では、僕自身のブログ「そらはなないろ」で試みている句集鑑賞と同じ書き方で、この『花粉航海』の鑑賞を書いてみようと思う。その書き方とは、稿の冒頭に句集の中で最も印象的だった一句を置き、その句の鑑賞を軸に据えながら、それ以外にもいくつかピックアップした句を通して見えてくる句集全体の特徴を明らかにして行こうという試みだ。

さらにもう一つ、この鑑賞の特徴は、稿の最後まで句集の著者の名前を明かさない、ということにもある。著者の名前を下敷きにした鑑賞ではなく、あくまで句集のみから見えてくるものを見つめてみたいのだ。

このような書き方によって、その句集の作者のどんなに些細でも新たな一面が発見されたなら、この稿は成功である。その判断は、読者諸賢にお任せしたい。

さて、能書きはこのくらいにしておこう。早速、船出のときが来たようだから・・・。



マスクのまま他人のわかれ見ていたり

この句を読んですぐ、ターミナル駅の雑踏を思った。東京駅八重洲口の中央改札を入ってすぐ右手にある、新幹線の改札口。あるいは、新宿西口の巨大なロータリー、吉祥寺駅の切符売り場。たとえばそのあたりの壁に、夜、凭れかかってぼんやりしていたなら、「他人のわかれ」は幾度も目の前に展開されることだろう。

人と人が別れてゆくこと。それは、人生という劇場において間違いなく大きな部分を占めるドラマツルギーだ。全ての出会いはまるで何かの負債ででもあるかのように、別れという返済を迫られている。死が必然である以上、別れもまた必然的なのだ。

花にあらしのたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

でもそれは嘘だ。「さよなら」があるなら、「こんにちは」が必ずあったはずで、場合によっては「ありがとう」とか「ごめんね」とか、もっといろいろあってもおかしくないはずだ。「さよならだけが人生だ」この断定には、大変ナイーブな感傷が働いている。どんなに楽しいことがあったとしても、結局最終的に残るのはさよならだけなのだ、という切なくて愁いに満ちた感傷。恍惚とその感傷に浸ることは、甘美でさえある。だから、さよならは、別れは、ドラマになるのだ。

別るる日ラムネの玉の音やまず  対馬康子

しかし、切ないのは自分と誰かの別れであり、誰かと誰かの別れではない。自分の関与しない「他人のわかれ」など、本来は何の重みもない。なのに、なぜ、「彼」は「他人のわかれ」を「見て」、しかもそれを俳句に書きとめようなどとするのであろうか。



この句集は、実は大変「自分自身」にこだわった書かれ方をしている。「自分自身」、それは、文字通りの現実における自分、と言うよりは、自我を規定するイメージの総体のようなもの、つまり、一般にアイデンティティと呼ぶにふさわしいものだ。

わが夏帽どこまで転べども故郷

この句、「わが夏帽」ではなく「夏帽子」と言えば字余りは解消され、すっきりと十七音に収めることができる。そうして、俳句甲子園の議論風に言ってしまえば、俳句の中で「夏帽子」と言えば自分の夏帽子だと分かりそうなものなのだから、わざわざ「わが夏帽」などと言わずにすっきりまとめたほうが良い、ということが言えそうだ。

夏帽子どこまで転べども故郷

ところが、僕の頭では「わが夏帽」と言ったときに浮かぶ情景と「夏帽子」と言ったときに浮かぶ情景は、決定的に違う。「夏帽子」では、転がってゆく麦藁帽が見えるだけだが、「わが夏帽」では、それを追いかけてゆく少年がいる。必死になって追いすがり、しかしどこまでも追いつけない少年が見えてくる。

「わが」という二文字で自らの所有物であることが明確にされているからこそ、その夏帽を手放すまいとする心の動きが可視化される。いったい夏帽子がどこまで行くことができるのか、故郷を越えることができるのか。期待を込めて追いかける少年が見えてくるのだ。つまり、ここで出てくる夏帽子はただの夏帽子ではなく、「われ」の分身として願いを託された特別な存在であるからこそ、「わが夏帽」と書かれる必要性があったのだ。

ところで、この句で主眼となってくるのは「夏帽子」なのだろうか。「われ」なのだろうか。

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹
土曜日の王国われを刺す蜂いて
流すべき流灯われの胸照らす

「われ」という言葉の入った句は、この句集中に多く見られる。「われ」という言葉で思いだされるのが、よく、俳句は「いま・ここ・われ」を詠むものだ、という言われ方をするということだ。「いま・ここ・われ」を描く俳句とは、言い換えれば、今現在自分のいる世界を自分の五感や心情を通して捉えなおし、今まで誰も見なかったような形に再発見して描いている俳句、ということだ。

夏草や兵どもが夢のあと 松尾芭蕉

「夢のあと」と嘆じたのは芭蕉の心であるが、句に詠み込まれた主体は、その詠嘆を通じて見えてくる夏草の生命感やそのはかなさである。「兵ども」は「いま」ではないが、眼前に見える「夏草」の草いきれに「いま・ここ」を感じ取っていることで、中七・下五のように意識の中で時代を逆流している措辞も生かされている。別の言葉で言えば、夏草を感じ取っている身体感覚が、「いま・ここ」を保証しているのだ。「いま」「ここ」に続く三番目の要素・「われ」、即ち芭蕉の心は、あくまでそれらを差し出す水先案内人の役に徹している。

この句集の句も、「われを刺す蜂」「われの胸照らす」などと、きちんとそのときそのときの身体感覚に基づいた書かれ方をしている点では「いま・ここ・われ」を詠んでいるのだ、と言えよう。しかし、多くの俳人の句のように、世界が「われ」との関係から再発見されているのではなく、「われ」が世界との関係から再発見されている点に、この句集の特徴がある。だからこそ、「われ」という言葉が句中ににじみ出てきてしまうのだ。

描きたいのは、五月の鷹ではなく、五月の鷹に統べられている恍惚とした「われ」。土曜日の王国に紛れ込んだ蜂ではなくて、王国で蜂に刺されて憂愁に浸る「われ」。われの胸を照らす流灯ではなくて、流灯によって胸を照らされた「われ」。

「夏帽子」ではなく、その裏にある「われ」が大事だからこそ、「わが夏帽」と字あまりをも辞さずに述べる必要があった。

では、その「われ」、自分自身、とはどのような描かれ方をしているのか。



句集に出てくる「われ」はセンチメンタルで感じやすく、常に何かを欲しているのにまだ何も手に出来ていないという点で非常に若い。

ラグビーの頬傷ほてる海見ては
林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき
待てど来ずライターで焼く月見草

ラグビーも林檎の木も月見草も、彼のためだけに存在している。彼にとって季語とは目的ではなく、手段であった。あるいは、こういう言い方もできよう。季語に代表されるような現実世界は、彼自身の憂愁・恍惚・興奮を表現するピースに過ぎない。では、彼の憂愁・恍惚・興奮はどこに向けられているのか。彼の追い求めてやまないもの、それは。

「海見ては」「逢いたきとき」「待てど来ず」。これらの語の向こうには、他者へつながりたいという欲望がはっきり透けて見えている。気恥ずかしさをこらえて言えば、彼が欲しがっているものは、愛、そのものだ。しかし彼はそれを得ることができていない。彼はかつかつに乾きながら、愛すべき他者を求め、しかし、徒手空拳で世界というおそろしいものに対峙するしかなく、せいぜい持てるものと言えば、鬱憤晴らしにちっぽけな月見草を焼く小さな小さなライターくらいのものなのだった。

冷蔵庫に冷えゆく愛のトマトかな

あるいは、手に入れたと思って、それを大事に冷蔵庫などという現実世界の物体の中に囲いこんだが最後、手の届かないところで冷え切ってしまうのがオチ、というわけだ。愛を手付かずで保存できるなんて幻想に過ぎず、冷蔵庫で冷やされたトマトはおいしくなどなかった。皮肉なものだ。

それでも他者を求めずにいられない。そして、そのためには、自分の原点を、すなわち、母を、そして故郷を、捨てなければならない。



果たしてそれがどの程度理屈に合う話なのか、判断する術はない。自分の出自を捨てなければ、他者を求めることはできないのか。

浴衣着てゆえなく母に信ぜられ

しかし、たとえばこの句に漂う安心感と不安感を思えば、それは理屈よりも実感として僕には分かるものがある。「ゆえなく母に信ぜられ」ていることには、確かに自分を抱きとめてもらっていることへの強い安心感をおぼえるが、それゆえに、他者へ開いてゆかず、閉塞的にまとまってしまうという強烈な不安感が生まれる。それは、前々章で引いた

わが夏帽どこまで転べども故郷

にも通じる気分であろう。だから、捨てなければならない。それは強迫観念と言うか、思い込みに近いものなのかもしれないが。

母を消す火事の中なる鏡台に
雪解の故郷出る人みな逃ぐるさま
出奔す母の白髪を地平とし
母の蛍捨てに行く顔照らされて

太宰治の「父」においては、父は義のために子を捨てる。主人公である父は、義のため、義のため、と言いながら子を置いてお酒を飲みに行く。しかし、本当は捨てたくないのだ、という気持ちを出すために、佐倉惣五郎やアブラハムまで持ち出して、子別れを実にドラマチックに演出しようとする(その分不相応さまでおそらくは計算のうちなのだ)。

「火事」「逃ぐるさま」「地平」「蛍」という語彙の選択、過剰なムードの演出にも、それと似たような「頑張っちゃった」過剰なドラマチックさを感じる。帰るべき故郷、愛すべき母を捨てることなど、本当はしたくない。したくないけれどもしなくてはならない。だからこそ、せめてその別れは、一世一代のクライマックスシーンとして飾り立てたい。

山鳩啼く祈りわれより母長き

ああ、母さん!こんな母を捨て、故郷を捨てて、いったい「われ」はどこに行こうというのか。捨ててしまったものへの愛惜が胸に迫ってくるとき、次のような句が口をついて出てくるのであった。

方言かなし菫に語りおよぶとき



「われ」は、母を捨て、故郷を捨て、それを契機に他者とのつながりを求めて、他者へ開いてゆく自分を、愛、そうだ、それを探してさまよう。そうして、彼はいったい何を得たのか。

月蝕待つみずから遺失物となり


冒頭の句に戻る。彼はいったいなぜ、「他人のわかれ」など見ているのだろうか。別れてゆく二人には、ドラマがある。彼らだけにしか通じない感情、別れるときにこそより一層つながってしまう心と心の切なさ。それを彼は、自分の身にひきつけて懐かしく感じてでもいるのだろうか。

僕には、そうは思えない。彼は、他人の別れを、完全に部外者として見ている。彼は蚊帳の外なのだ。ただ見ているだけ、という。

それがはっきり示されているのは、「マスクのまま」という季語の選択である。自分は話しかけることも叶わない、自分と彼らの間を隔てる一枚の白い幕に閉ざされている。自分の熱い息はマスクに阻まれ、自分自身に戻ってくる。得られなかった愛は、あるいは既に捨ててきた愛は、今、目の前に、自分の介入できない形で輝きを見せている。その、世界からの疎外感は、どのようなものであろうか!

花粉は海を越えて飛ぶだろうか。たとえ越えたとしても、越えた先に、受け止めてくれる花はあるのだろうか。それは分からない。分からないし、おそらくそんな航海が成功する可能性は低いだろう。マスクしたまま、すれ違う他人を見送るだけの惨めな日々。それはいつまで続くのだろうか。

それでも、ここから始めるしかない。この句はそのことの確認のように思える。このみじめさを覗くところからしか、歩き出すことは出来ないのだ。故郷に帰る、などという選択肢はありえない。その決意が「見ていたり」という下五に見えているからこそ、僕はこの句が好きだ。

燕の巣盗れり少女に信ぜられ

前章で引いた「ゆえなく母に信ぜられ」と、この「少女に信ぜられ」は全く違う。自分の背景を捨てて、自分の手で何もかもを掴もうとしている。まぶしすぎるくらいに若いその決意がなめる辛酸を、僕は信じている。

それは、少女に無限に信じられている少年のまぶしさに、いつかつながると思うから。

作者は寺山修司(1935-1983)



あとがき

寺山修司が俳句を捨てたわけは、なんとなくではあるが、分かるような気もする。僕は、「彼にとって季語とは目的ではなく、手段であった」と書いた。正にそれが、彼に俳句を捨てさせた原因ではないか。

母とわが髪からみあう秋の櫛
目かくしの背後を冬の斧通る
詩人死して舞台は閉じぬ冬の鼻

「秋の櫛」「冬の斧」「冬の鼻」。その良し悪しはひとまず措くとしても、季語の使い方としてはやや窮屈に思える言葉遣いが割合に多く見られるのである。「冬の斧」「冬の鼻」は斧の刃の冷たさや、鼻が冷えてしまう感覚などを言い当てている点でまだ効果を挙げていると言えるが、「秋の櫛」の「秋」はどうにもとってつけた感じが拭えない。

このような季語の使い方になるのであったら、何も季語がある必要はないのではないか。しかし、季語のない句はイメージの喚起力が弱い。寺山が季語の持つイメージの喚起力をめいっぱいに用いていることもまた事実なのだ。

犬の屍を犬がはこびぬクリスマス

手段としての季語を捨て、より言葉を尽くして表現しようとするために、彼は結局、俳句を捨て、短歌、詩、そして演劇に移って行く。そして、言葉を尽くせば尽くすほど、文脈はずたずたに引き裂かれ、強烈なイメージのせめぎあいのみが、彼の作品を支配してゆくことになる。映画『田園に死す』は、断片の積み重ねという意味では、句集、あるいは歌集に似たところがあると言えよう(同名の歌集を元にしているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが)。

売られたる夜の冬田へ一人来て埋めゆく母の真赤な櫛を(田園に死す)

母親を殺そう と思いたってから
李は牛の夢を見ることが多くなった(長篇叙事詩 李庚順)

彼の言葉は、俳句を捨てることによって躍動しているようにも見える。俳句というがんじがらめの詩型を捨てることが、言葉を飛翔させるためのバネになったのかもしれない。

しかし、彼の作品の中には、強烈なイメージを短い言葉で伝える、という形で、俳句のエッセンスが残っている。彼は、俳句にとりこまれることなく、俳句を自らの航海のために利用し尽くし、盗めるものだけ盗んで捨てた。何を書いても寺山修司になる、という不世出の表現者の前に、俳句もまたなすすべはなかったということだろう。

書きとめられる前から航空力学はあった
記憶される前から空はあった
そして
飛びたいと思う前からおれは両手をひろげていたのだ(人力飛行機のための演説草案)

僕の好きな詩の一節だが、これは「五月の鷹」の句にダイレクトに通じているように思える。五月の鷹に統べられている「吾」は、まだ飛びたいと思う前、両手を広げている「吾」なのではなかったか。

それは、言葉を飛翔させる前に俳句に夢中になっていた彼の姿に重なるようにも思える。そういう俳句を作った表現者として、彼は稀有な俳句作者であったし、この句集も稀有な作品集だと言っていいのではないだろうか。

※『花粉航海』の制作時期については、一般的には高校時代のもので、その後、彼はほとんど俳句を作っていないと言われており、それに基づいてこの「あとがき」を書いている。しかし、たとえば五十嵐秀彦氏の論考『寺山修司俳句論―私の墓は、私の言葉―』のように、むしろ後年になって作られた作品が多く混じっているという指摘もあることはここに付言しておく。寺山の、自己を伝説化しようとする性癖を省みれば、そのような誤魔化しはありえない話ではないが、僕はむしろ、十年以上ものブランクを経て俳句に戻ってきた彼が昔と同じ水準で俳句を作れた、ということの方が、作られた神話のように思う。あくまで印象論に過ぎないが。





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