2008-07-06

「俳枕」2―印南野と永田耕衣― 広渡敬雄

俳枕 2 ―印南野と永田耕衣―      
広渡敬雄

初出『青垣』創刊号


google map→稲美町



印南野(いなみの)は、兵庫県(播磨)の加古川東岸の台地で都と大宰府を結ぶ官道沿いに位置し、万葉集時代からの歌枕。

柿本人麻呂の「印南野を行き過ぎがてに思へれば心恋しき加古の島見ゆ」、山部赤人の「印南野の浅茅押しなべさねる夜のけながくしあれば家し偲はゆ」等十数首がある。神亀3年(726年)には、聖武天皇の御幸。

清少納言は嵯峨野に次ぐ二番目の野として枕草子に記している。但し、実際に行ったとの記録はなく、おそらく風評、万葉集等で形成された彼女の心象風景なのだろう。もともと水利が悪く茅の原野であったが、大小のため池が造られ、江戸時代には、田が開かれた。


月の出や印南野に苗余るらし   永田耕衣


根源俳句論争を起こした難解俳人耕衣の句としては、極めて判りやすい(與奪鈔・昭和35年刊)。

作られたのは、昭和18年と戦争最中にもかかわらず、何一つとしてその気配すらない。良い意味で唯我独尊の耕衣の一境地でもある。

月の出とゆっくりと切り出し、その後意識して五、七として「NA」が韻を踏んで、読者の脳裏に暮れなずむ植田の景を浮かび上がらせる。

月に映し出される大小のため池と苗を植えたばかりの田、そして余り苗。田植えを終えた人達の充足感を共有できるが、それは、耕衣のこの地への愛着に自然と同化させられるからであろう。

「印南野」は耕衣のこの作品で俳枕となったと言っても過言ではない。清少納言ではないが、一度訪ねてみたい魔性のある俳枕としたのも、耕衣の力量だろう。

田植えを終えた静けさとふるさとへの賛歌。少年時代(加古川)、勤労者時代(三菱製紙高砂工場)と、五十五歳で神戸に移るまでこの地ですごした耕衣にとって、「印南野」という母の胎内のいる安らかさが、この句を導いたのであろうか。不仲の両親の母寄りの耕衣には〈朝顔や百たび訪はば母死なむ〉等敬慕に満ち溢れた母の句が多い。文字通り耕衣の「原風景」であり、「印南野」が動かないのもうぶすなの土台があるからだ。

 印南野は花菜曇りの神代から  鈴鹿野風呂

旅吟的なこの句との違いは、明白である。この二句以外に目立った佳句がないことでも、耕衣の句の偉大さがわかる。同じ耕衣の「印南野に初見の鳶や秋の風」との落差も大きい。

うぶすなを句材とした耕衣作品には、次に示すように、叙情的な句もかなり見られる。

月明の畝遊ばせてありしかな
人の田にしづかに水を落としけり
天上に映りて麦を刈り尽くす
夏蜜柑いずこも遠く思はるる
水を釣つて帰る寒鮒釣一人


google image→印南野




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