成分表 21 栄光の記憶
上田信治
初出:『里』2007年9月号
ひと夏の栄光について。
大学のとき入っていた漫画研究会は、夏合宿で、ソフトボールをする習慣があった。漫研というのは、自分も含め、いたって運動の苦手な人が多いのだが、苦手どうしなので、機嫌良く遊べるというわけである。
栄光というのは、そのソフトボールの、ある試合の最終回のことで、自分は二塁を守っていた。
相手チームの打球が外野に飛んで、長打になったのだが、外野手からの返球を自分が中継してホームに投げ、走者をアウトにして試合終了、ということがあったのだ。
野球を知らない人、あるいはふつうに運動ができる人には、なにが偉いのか分らないと思うが、ふだんキャッチボールもおぼつかない漫研の自分にとって、外野から内野、内野から本塁と、ボールが失敗なしに渡ったこと、そこへちょうど走者が還ってきてアウトになったことは、まさに小奇跡といっていい。
人生上にうっすらと光る、栄光の記憶である。
人生は陳腐なるかな走馬燈 高浜虚子
高校生のとき、なぜか、尺八を学校に持ってきた級友がいた。彼はそれを、通信販売で買ったのだ。
そして、どういう話の流れか、彼は、袋に入ったままの尺八で、誰かの頭をこつんと叩いた。たしか、その誰かが、何かつまらない冗談を言ったので、尺八の持ち主が「突っこみ」を入れたのだと思う。
叩かれた彼は、意外と痛かったらしく、頭を押さえて無言になった。
一部始終を見ていた自分は言った。
「それは、シャクハチ痛かろうなあ」
おそらく何のことか分らないと思いますが、シャクハチのところは、サゾカシと、同じ抑揚で言ったと想像してください。つまり、自分は駄洒落を言ったのだ。我ながら、かなり、うまく言えたと思う。
あれからずいぶん年月が流れたが、いまだに、自分はそれを越える駄洒落を言えていない。これも、ひとつの栄光の記憶である。
これらのことは、人に話して共感を得たり、芸術的に昇華されたりする可能性が、ほとんどない。
エピソードとしてささやかすぎる上に、単なる自慢だからだ。
こんなにも、人と共有されない感情がある。それは死ぬまで自分だけの物で、死んだら無くなってしまう。
そう思うと、ふつふつと、嬉しい気持ちが湧いてくるのである。
日課なる昼寝をすませ健康に 高浜虚子
■
■
■
2008-09-14
成分表21 栄光の記憶 上田信治
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿