2008-09-21

成分表22 偶然 上田信治

成分表22 偶然   

上田信治

初出:『里』2007年10月号

徒歩で移動をしていて、どこかに、偶然たどり着くということは、なかなか難しい。

足の向くまま疲れるまで散歩をしても、おおかたは、いかにも着きそうなところに着いてしまう。

人が、歩いて着いた場所で、「ここは、どこだ?」と叫ぶようなことは、あまりない。そういう人は、そこに「着く」以前から、道に迷っていることが、多いからだ。

どこか分らない場所を歩いていれば、どこか分らない場所に着くことは、すでに必然である。

夜中にでたらめに歩いていて、浅草寺の裏に出たことがある。

浅草寺の裏はがらんと広く空いていて、道の反対側には大きな病院があった。そのとき、自分は浅草の近くにいるとすら思っておらず、つまり、どこか分らない場所を歩いていて、いきなり知っている場所に出たので、驚いた。

ところで、自分には、足から背中にかけて痣があって、うしろから見ると、右脚ぜんたいが緋鯉のように赤くまだらになっている。

本人は、ふだん、痣の存在を忘れている、というか、あるのが当り前になっていて、温泉などで久しぶりに人の裸を見ると「体に模様がないな」と思う。

痣の出現は確率的な事象で、他ならぬ自分にそれがあることは偶然だが、本人にとっては、必然というか、単なる自分である。

では、朝起きていきなり体に痣ができていたら、それを偶然と感じるだろうか。いや、それは偶然というより、でたらめである。

自分は、偶然を、愛好する。この世に起こる全ては、偶然といえば偶然なのかもしれないが、そういうことではなく、ほとんど審美的対象であるような、みごとな偶然感にあふれた偶然。この世は自分の頭の中にだけあるのではないと、思い知らせてくれるような。

先日、久しぶりに浅草寺の裏に行き、いつかここに来たことがあった、と思った。

そのとき自分がどこから歩いて来たのか、なぜ台東区にいたのかということすら思い出せず、そのことに、なかなかの偶然感を味わった。


  さるすべり美しかりし与謝郡  森澄雄



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