2008-09-21

え? 週俳について、ですか? 結社誌取材への回答メモ

え? 週俳について、ですか?


結社誌取材への回答メモ




去る6月中旬、結社誌『銀化』から「週刊俳句」についてのメール取材を受けました。以下はその回答(さいばら天気・記)です。メモ書きのような粗いものですが、これをもとに簡潔に記事化していただき、『銀化』2008年9月号に紹介記事が掲載されました。


Q1 週刊俳句を始めようと思ったきっかけは?

A1 2005年頃でしょうか、いくつかのブログで、俳句についての意見や感想のようなものが交わされるようになりました。トラックバック機能によって点と点がつながって、おもしろい状況が生まれそうだったのですが、ちょっと煮詰まった感じになりました。言説のやりとりというより、個別の「日記」みたいな感じになってしまった。で、いっしょにしてみたら、どうだろう? と。

実際のスタートは、思いついてから半年後くらいです。スタート直前に、ネット上で知り合った何人かの人たちに、アイデアを伝えました。そのうち、上田信治さんは、まえまえからウェブマガジンのスタイルを構想していたこともあって、自然に「2人態勢」になりました。

ネット上には、ブログ流行の以前に、掲示板(BBS)等を使ったネット句会、それと、結社HPに代表される「お知らせウェブ」があったのですが、それらの多くは、リアルの党派をネットに持ち込んだだけで、自分のアタマの中にあったウェブマガジンの姿とは遠くかけ離れていました。

週刊俳句は、主張を持たず(主張はそれぞれのコンテンツ制作者=執筆者)、「場」を提供するのが本旨。党派性を排除するために、いろいろ工夫はしているつもりです。

読者のなかには、週刊俳句が「何かを為すこと」を企図している、と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、週刊俳句は「場」に過ぎず、そこで何かが起こるか、起こらないかは、私や信治さんが決めることではなく、参加者・読者、そして成り行きが決めること、という感じを持っています。

ただし、そうした「読者の皆さんがつくっていってくださいね」というこちら側の気持ちが伝わっているかというと、まだまだだと思います。


Q2 毎週というのはかなりハードだと思いますが、上田さんとの二人三脚(註1)はどのように?

A2 作業的には、それほどハードでもないんです。手間をかけたくなかったので、ホームページではなくブログというツールを選びました。

デジタル/ネットの大きなメリットで、原稿さえあれば、ページづくり・アップロード作業は、あっというまです。企画・原稿依頼がいちばん太い仕事です。

上田信治さんとは、原則、お互い、好きにやります。メール等で話し合うことも、あまりありません。ただ、大事な局面で、私が信治さんに相談するというパターンが多いです。浅慮断行=私・深慮遠謀=信治さん、ということで、いまのところ、いいバランスじゃないでしょうか。

ページ作成は、適当に分担して、アップロード(日曜日に日付が変わった直後)は、基本、1回交替。アップロードしたほうが「後記」を書き、動画のラインアップを考え更新します。


Q3 これまでの特別企画の狙いと反響など。

A3 週刊俳句賞第1回は、俳句研究の休刊で俳句研究賞が流れたとき、発案。週刊俳句賞第2回の大学生限定は、「なんとなくの思いつき」でした。このとき、最初に「大学生」と銘打ってしまったので、専門学校生・大学院生はOK、高校生はダメ、といったバラツキが生じてしまったことは、大いに反省しています。もし次にやるとしたら、サッカー日本代表のように、U22(アンダー22=22歳以下)といった区切り方にしたいと思っています。

落選展は、信治さんのハイクマシーンで前の年に開催。「合同にしちゃいましょう」というノリでした。

コンテストがらみの企画は、結果として、賞というのは「応募者、読者、審判」という3者がないと成立しないのだなあ、と。これは面白いことでした。

俳句総合誌の賞は、応募者と審判のやりとりで閉じている。読者が不在。結果が決まってから、読者に降りてくる。それだから権威があるのでしょうが、権威というものに関心のない人間(私も、そう)には、なんだか奇異なものです。

週刊俳句賞は、特別審査員を設け、互選もあり、読者投票もアリで、「参加型」俳句コンテストのオーンプンさ、そのおもしろさが出たのではないかと思います。

従来型は、「賞が欲しい人」と「賞をあげる機関」の密約のような肌合いですよね。それとはまったく違うことになったので、その意義があったと思います。

「まるごとプロデュース」は、週刊俳句が「場」であることを体現する企画という位置づけです。私や信治さんがいなくても、週俳という「場」が現に存在するので、そこで自由に遊んでください、という感じです。


Q4 ネットと俳句、ネットという俳句発表の場の可能性について、なにかあれば、お聞かせください。

A4 機会あるごとに申し上げていることですが、週刊俳句を運営するにあたって、私自身は、「ネット俳句」という考えは持っていません。ネットをツールに使っているというだけ。俳句は俳句。頭になにか付いた「俳句」にあまり関心がありません。

俳句活動の場がネットなので「ネット俳句」というなら、「公民館俳句」や「結社俳句」と呼ばねばなりませんが、そんな言い方は聞いたことがありません。

もちろんネットは便利なもので、固有の機能的メリットはあります。しかし、便利そのものにそれほどの価値があるわけではありません。また、機能は使うもので、機能がおのずと何かを生み出してくれるわけではないと思っています。


Q5 結社とネットという観点からなにか。

A5 例えば、ネット上の俳句の集まりが「オープン」、リアルの世界の結社などは「クローズド」という対照の図式が世間にはあるようですが、ちょっと違うと思います。

さきほども言いましたが、ネット上でも、党派的なところは党派的です(それが良い悪いという話ではなく、事実として、です)。ここでインターネット論をやる必要はありませんが、リアルの関係性の特徴が、ネット上にも反映される、というのがネットを見ていての感想です。とくに俳句関連はネットに「うぶ」なようで、それが如実にあらわれるように思います。


Q6 結社誌の編集に関してなにかご意見がございましたらお聞かせください(マンネリに悩んでいる結社も多いと思います)。

A6 ありません。理由は主に2つです。ひとつに、すでに申しましたが、週刊俳句は、党派性を持ち込まないことが大きなテーマで、そのために、「求心力」のようなものを排除する工夫をしているつもりです。いわば、「遠心力」を大事にしているわけです。一方、結社誌は、党派性の濃淡はあるでしょうが、「求心力」は必須でしょう。

あり方が、結社誌と週刊俳句とでは、このようにまるっきり対照的です。したがって、結社への「意見」など持ちようがありませんし、また、週俳に、結社誌編集のアイデアや参考は、あまり見つからないと思います。

もうひとつの理由は、意見などおこがましい、ということです。紙の雑誌(定期刊行物)の制作は、たいへん手間のかかるものです。それに比べると、ウェブマガジン「週俳」は、はっきりいって、ラクなのです。ラクをしているこちらから、苦労されている側への意見など、口幅ったくて、できません。もちろん、苦労や工夫はしていますが、きっとまったく違う種類のものだと思います。

「マンネリに悩んでいる」とのことですが、毎月粛々と主宰と会員の句が並ぶ、ということは、意義深いことです。そのことを、結社誌を運営している方々は誇りに思っていいと思います。

ただ、俳句作品とは別に、批評文などには、結社誌の最大数百人が対象ではもったいない、と思う記事があります。週刊俳句もそれほど読者が多いわけではありませんが、幅が広い。週俳に転載させていただくことで、結社誌掲載の論考が、広い場で新しい読者を獲得する可能性は高いと思っています。

この「広く」というベクトルは、結社誌の持ち得るものではないので、微力ながら、週俳のようなものの仕事のひとつと思います。


Q7 週刊俳句の今後の展望について

A7 『俳句界』の記事に書かせてもらいましたが、20年続けば1000号を超えます。その頃は、私はいないでしょうが、「もし続いていたら」と想像すると楽しい。

展望というのではなく、「続いていれば何かが起こるだろう」という考え方を、私自身はしています。その「何か」が何なのかは、まったくわかりません。もしわかっていたら、やっていなかったでしょう。何が起きるかわからないから始めたのが週俳で、このさきも、それは同じです。

将来的には、いまの若い人のなかから受け継いでくれる人が出てきてくれることを、勝手ながら願っています。



(註1)現在は、村田篠を加えて3人体制ですが、取材時点では上田信治、さいばら天気の2人体制でした。




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