2008-10-26

風を嗅ぐ鹿 ~川島葵さんのこと 対中いずみ

〔俳句つながり
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風を嗅ぐ鹿 ~川島葵さんのこと

対中いずみ




川島葵さんとのご縁は、私が「椋」に入会してからのことだから、かれこれ三年になる。川島葵さんは「椋」創刊同人。「椋」代表・石田郷子さんの友人で片腕で、十数年の句歴をもつ。

葵さんは長身で、しかもかなり彫りの深い西洋系の顔立ちの美人なのだけれど、ちっとも自分が美人だっていうことを知らない人みたいだ。口をきくと、けっこうラフでワイルドだし。

ほんとうは知る人ぞ知る植物博士のような人なのだけれど、吟行中、「ねぇ、これ、この花、何っていうの?」って聞くと、「え。そ、そんなぁ。私に聞かないで下さい…。そんなに知らないんですから…。でも○○じゃないかな」ってうろたえながらもちゃんと答えてくれる。その様子を見て、「何だか鹿みたいな人だ」と思ってしまう。ある一定距離以上を近づくとすっと向こうへ飛び跳ねて行ってしまいそうな、そんな人だ。

葵さんは、今秋、第一句集『草に花』をふらんす堂から出された。石田郷子さんの序文にこうある。

「私はふと考える。ひょっとしたら、それを野性と呼んでもいいかもしれないと。植物の、生きものの息づかいを感じ、人々の心の有りように目を向けるとき、葵さんは静かに腰をおろし、身の内の野性に耳を澄ませているのではないか。どうもそんな想像をしてしまうのだが。

  動物は一人で住んで蓼の花

右の一句は、葵さんの野性が生んだ、生きものへの挽歌なのかもしれない。」

この序文を読んで、胸がすくような思いがした。

「そう! 野性!!」。

葵さんという人の魅力を一言で言い止めるなら、それは野性。葵さんという人が句集を出すこと、そしてその時に葵さんにぴったりの言葉を郷子さんが贈っているということ、そのことに何だか感動した。

  耕しのときをり跪きにけり

集中いちばん好きだった句。多分、石か何かを取り除くためにかがむんだろうけれど、それを「ひざまずく」と言い止められた。そう言えば、春、種まきの前に田畑の土を鋤き返す、その労働は、ミレーの絵じゃないけれど、どこか敬虔なものを思わせる。葵さんはきっと少し離れたところから、耕しの人を見て、この一句を成されたのだろう。それを普通、写生っていうけれど、きっと葵さんは、鹿が風を嗅ぐような仕草で佇んでいたのだろう。だから、耕しという作業の奥にある敬虔なものが、これみよがしではなく一句から立ちのぼってくるのだと思う。

葵さんは日頃、あまり自分のことを語らないけれど、俳句という詩は、ときに怖いほどその人を映し出してしまう。次の句は、「悼」という前書きを持つ。お母様を亡くされた時の句だ。

  もう靴は履かなくていい草の花

葵さんにとって「靴」って何なのだろう。集中に、

  母の靴隅に揃ひて敗戦日

  靴に足納めてゐたる彼岸かな


  秋澄むや子供が靴を脱ぎたがり


がある。何となく靴は窮屈で、この世に人をつなぎとめるものとしてあるのだろうか。ある種の束縛のように。

そしてもう靴から解き放たれた母に、「草の花」という素朴な小さな花を贈っている。
また、葵さんの「鳥」の句も興味深い。

  雪原に触れて激しき烏なり

これは湖北の大雪の中での景。本当に一面の大雪原だった。地にある烏めがけて空から烏が急降下しては闘っていた。雪が舞い散った。それは激しい烏の姿だった。

ほかに、

  空に疲れて水鳥となりてゐし

  白鳥の傷つきたるは草の上

  一斉に羽を畳める彼岸かな

  片翼の傷ついてゐる穀雨かな

などがある。

鳥は、時には疲れたり傷ついたりする葵さんの分身のようだ。

  かもしかの眠り足らひし野畑かな

こちらは分身というよりも葵さんそのもののような一句。

葵さんは、これからも野にあって、風を嗅ぐ鹿のように、そのように句を詠み続けられるのだろう。





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2 コメント:

fragie さんのコメント...

ふらんす堂のyamaokaです。

川島葵句集『草に花』の
対中いずみさんによる紹介をありがとうございました。

「編集日記」ですこしふれましたので……。

haiku-weekly さんのコメント...

ブログで紹介していただき、ありがとうございます。