2008-11-23

スズキさん 第16回 ハウリング 中嶋憲武

スズキさん第16回 ハウリング
中嶋憲武



〔前回までのあらすじ〕 スズキさんと俺は、同じ職場で働いている。そんなある日、スズキさんが町内の神社の奉納カラオケ大会に出ることになり、それを見物にいった晩、スズキさん一家も見にきていて、スズキさんのたいそう美人の娘さんに、ビールを勧められ、俳句の話で盛り上がりかけるのだが。

そこへ娘さんのお子さんがやってきて、水ヨーヨーを買ってくれろと、娘さんを引っ張って行った。

さて、これをどうしたものかと考え、一口、啜ってみたが、不味い。冷たい風も吹いているし、無理して飲んでもトイレが近くなるばかりだし、第一、心臓の鼓動が早くなり、頭痛がしてくることも分かりきっていたので、せっかく美人の娘さんに頂いたビールであるが、捨てることにした。どこか、人目につかぬところはないかときょろきょろすると、回りの植え込みのくらがりが目に入った。ビールを持って、木陰のくらがりへ行くと、神社を囲っている低い石垣の向こうに、自転車に乗って、こちらを見ている男と目が合った。近所の人なのだろう。カラオケを見物しているのかもしれない。だが、心に疾しい様子を見て取られたような気がして、俺はビールを捨てるのを躊躇した。何気ないふうを装って、木陰を歩いていると、賑やかな祭の場で、そんなところを歩いていること自体が不自然で、なんだか屋台の兄さんたちや、事務所のひとたちから、不審者として見られているような気がしてきて、ふたたび、冷たく重いビールの容器を持って、明るい場所へ出た。

明るい場所へ出てみたものの、プラスティックの容器を持つてのひらは、いよいよ冷たく重くなるばかりだし、さりとて飲んでしまう訳にも行かず、美人の娘さんに頂いた一杯のビールの処置に困っている俺、47歳。もうすぐ48歳。俺はコーヒーが飲みてえんだよ。酒なんか、不味くて飲んでらんねえんだよ。心の叫びは、十三夜の夜空にむなしく木霊するばかり。元はといえば、あいつがと、石垣のあたりをみると、自転車の男は、どこかへ行ってしまったのか、家へ帰ったのか、見当たらず、これ幸いとばかりに、木陰のくらがりへ忍び込む。森の木陰でドンジャラホイ。シャンシャン手拍子足拍子。太鼓たたいて笛吹いて。今夜はお祭り夢の国。小人さんがそろってにぎやかに。あ ホイホイヨ。ドンジャラホイ。おつむふりふりドンジャラホイ。かわいいお手手で踊り出す。三角帽子に赤い靴。お月さんにこにこ森の中。小人さんがそろっておもしろく。あ ホイホイヨ。ドンジャラホイ。と、感極まって踊りだしたいくらいな心境であった。

俺は、てのひらの冷たく重く、プラスティックを満たしていたところのビールを、うやうやしく、樹の根元へゆっくりと注いだ。きらきらと、月光を受けて黄金の液体が、地面へ染み込んで行く。さようなら、ビールよ。

晴れやかな気分になって、神楽殿の特設ステージ前へ戻ると、この神社の宮司さんが挨拶をしているところだった。まだ若い宮司さんである。

スズキさんが、
「順番は25番になったよ。あと20分くらいかな」といったので、
「着替えなくていいんですか」というと、
「あとふたりくらい、終わったらね」というので、随分余裕があって、慣れているのだなと感じた。
「ずいぶん、風が出てきて寒くなってきたから、みんな帰っちゃうよ」とスズキさんは心配顔だ。

スズキさんと並んで、ステージの進行をみていると、なにやら鳥居のあたりが騒がしくなって、誰かが、「お出でになりました」と大きな声でいうのが聞こえた。スズキさんは、「来たかな。毎年、挨拶に来るんだよ。衆議院議員のね」聞くと、総裁選に出馬した二世の衆議院議員であった。この辺が地元であるらしい。

テレビジョンなどでみているよりも、顔色は浅黒く、背が高くみえた。若い秘書とふたりで来ていて、何度も何度も、集まっていた人たちや、宮司さんと記念写真に収まっていた。会場はもう大半が、カラオケよりも議員のほうへ関心が向いていて、飛び入りで何か一曲ということになり、その議員は、神楽殿のステージに立った。「ええ、こういう場ですから、面倒くさい挨拶は抜きにして、叔父の歌を一番だけ、歌わせていただきます」というと、傍らに控えていた秘書が、セッティングに入った。会場は、さっきまで誰かがステージで歌っていても、ざわざわとしていたが、水を打ったようにシーンとして、「聴こう」という雰囲気に満ち満ちていた。十三夜の風の音すら聞こえるようだった。

その議員が卒なく「北の旅人」を歌い終わると、やんやの喝采が巻き起こった。神楽殿のステージを降りて、二世議員は人々の差し出す手に、もれなく握手して行った。スズキさんが、さっと右手を差し出すと、素早く握手して、鳥居の外に待たせてある黒塗りの車へ足早に立ち去った。

「そろそろだな」といってスズキさんは、神楽殿の楽屋へ入っていった。ステージの後方の幕が、風でときおり翻り、隙間からスズキさんが、花束係の女性ふたりに手伝ってもらって、着替えているのがみえた。化粧もしているらしい。睫毛のあたりに何か塗っている女性の姿がみえた。

司会者が、「もう早いもので、大詰めに近づいて参りました。次は、25番、箱根八里の半次郎。歌うは氷川ただしさんで、氷川きよしさんの義理のお兄さんだそうです」と紹介すると、会場は湧いた。

イントロが流れ出すと、ステージ後方の幕間から、縞の合羽に三度笠、手甲脚絆に二本差しのスズキさんが、ダダッと現れ、刀を抜いて、欄干に足を掛けて、ハタと前方を見据え、なにかいったが、これは聞こえなかった。前列の方の人はウケていた。あとで、あのとき何ていったのか聞いたら、「逃げやがったな」といっていたのだそうだ。「そうか、聞こえなかったか。もうちょっと大きくゆっくり言わないと駄目なんだな」と反省していた。歌に入るときに、マイクが大きくハウリングして、これもあとから、「あのとき、あれで調子狂っちゃったねえ」といっていた。歌はスズキさん独特の高音で歌われ、振りも「やだねったらやだね」という箇所で、ちゃんと付けていた。最後に引っ込むときに、コケてみせると聞いていたので見ていると、コケはせず、割と普通に引っ込んで行った。

スーツに着替えて、戻ってきたスズキさんに「お疲れさまでした」というと、「いやあ、失敗しちゃったね。せっかく見にきてくれたのにね」といった。

帰るときに、スズキさんに挨拶すると、ちょっと待ってといわれ、スズキさんの奥さんにこれから家へ来ないかと誘われたが、時間も結構遅かったのでお断りすると、大きな袋をくれた。スズキさん、奥様、娘さん、娘さんのお子さんにお別れをして、駅へ歩いていった。

家へ帰って、大きな袋を開けてみると、お赤飯、お供物、コアラのマーチ、のど飴、ポッキー、缶ビールなどが入っていた。缶ビールはまだ冷蔵庫に眠っている。



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