成分表23 立体的 上田信治
初出:『里』2007年11月号
世界がゆがんで見えたことが、ありますか。
自分は、中年になってから、自動車の普通免許をとるために教習所に通った。
初日は、おもしろがって妻がついてきた。
練習所のコースを上から見ていて、あなたの車だけ動きが変で、とてもおもしろかった、まるで磁石で下から動かしているようだった、と言われた。
教習所というところは、なるべくさっさと生徒に卒業してもらったほうが良いのだそうで、自分も、すぐに路上教習に出ることになった。たびたび一時停止を無視したり、赤信号を無視したりということがあって、運転はむいていない、と思った。
何度めかの路上教習の帰り、家までの道を、運転のことを考えながら歩いていた。曲がり角に来たので、十分に減速し、左右と後方を確認して曲がった(徒歩で)。
そのとき、世界が、ぐにょーんとゆがんだのだ。
うわあ、と驚いたが、立ち止まらずに歩いた。世界の変調は続き、両側の家や木がおとなしく並んでいない。ひところ流行ったCGの一種に、モーフィングといって静止画と静止画のあいだをうにょーんと繋ぐものがあったが、ちょうどそんなふうに、目に映る景色が、ぐにょーんぐにょーんとゆがみながら、近づいてくる。歩くのをやめると、ぐにょーんは止る。
家に帰って、すこし寝込んだ。
いと低き土塀わたりぬ冬木中 高浜虚子
それまで自分は、左右の目に映る像を一つにまとめるのが苦手で、世界をほぼ写真のように平面的に見ていた。
しかし運転中は、ものをより立体的に見るように強いられる。例えばむこうの曲がり角は、本当に「むこう」にあって、さらにその奥から、いつ対向車が出てくるか分らない曲がり角なのだ。今さら何だという話でしょうが。
その日のゆがみは、世界を立体視するために、視覚にこれまでにない負荷がかかった結果だったのだろう。
その後、自分は、免許は取ったが運転していないので、世界はまた平べったい写真のような場所に戻ってしまった。
それでも、よく晴れた日の横断歩道のまん中などで、世界はすごく立体的な場所だ、と思うことがある。
目に映る道の幅、高い建物、雲の位置、それらがつくる空間のスケールなどが意識され、その真ん中に、自分がいると感じる。
すると、頭にとめどなく「今、今、今」という言葉が浮かんでくるのは、なぜだろう。
すっぽりと大根ぬけし湖国かな 橋閒石
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2008-11-02
成分表23 立体的 上田信治
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